経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「普通」って大変

現在会社員で営業職をしています。
私は仕事ができません。外的要因から仕事が出来ない訳ではなく、要領が悪い・問題を起こす・仕事で成果を出せないなどの「仕事ができない」です。
昔から変わった子だねと言われることが多くあり、友達を作るのが苦手でした。勉強も得意ではありません。弟がいますが私より遥かに出来る子で私を反面教師にして上手いことやっています。
話が逸れました。
過去に事務職に就いた事がありましたが上司と上手くいかず退職。4回の転職を経て現在の会社におりますがコミュニケーションが上手く取れず、ほぼ毎日怒られてばかりです。問題を起こすのはいつも自分ばかり。どうして問題を起こすのかも分かりません。その場しのぎの嘘をついてしまい怒られて萎縮して話しづらくなって問題を抱えて相談できず自分では処理できなくなる、の繰り返しです。問題を起こすことについても嘘をついてしまうことについても悪い事だとは認識しています。営業ですから外に出ることも多いです。ですが、運転している時に事故を起こしたことや成績を出せず問題ばかり起こすこともあり、上司には今後の進退を聞かれた際「このままでは皆様のご迷惑になってしまうので辞めたいです」と素直に伝えても「まだ成長する見込みがあるから言っている。辞めることは逃げだ」と言われ何も答えられずズルズル今に至ります。
他人の気持ちを考えられない、物事の優先順位を付けられず仕事が中途半端、極端に要領を得ないなどから仕事がしづらく、人格否定的なことを言われることもあり自分の存在意義が分からなくなり消えたい気持ちがあります。
だって、家族も仕事も私が居なくなれば全て上手く回っていくのですから。
自分の気持ちも分からない、何をどうしていいかも分からず聞けない、そんな人間居ても仕方ないと思うんです。

こうして文章にしている時も涙が溢れそうになります。
もう、楽になりたいです。

「普通に」生きるって大変ですね…。

感想1

「普通」という言葉の持つ得体のしれない不気味さや一括りにして何もかも呑み込んでしまう、そんな力の大きさのようなものを(私自身も体験してきたように)文章を読ませていただいてひしひしと感じていました。タイトルと文末の言葉は、なんとかしてあなたが苦悩しながらもがいている中でポロっと出た心の呟きのような印象を受けました。

生きているとなにかにつけて顔を出してきて、嫌でも向き合わされる・考えさせられる「普通」という言葉ですが、言葉自体は「ごくありふれたさま」という意味を指すはずなのに、一見軽く受け止められそうな雰囲気とは裏腹に「万人に対して一律に前提や適応を強いる」意味や概念になり果ててる気がして私はなりません。そこには個々の価値観や考えが反映されておらず、誰しもを縛るものとして言葉だけが独り歩きしているように私には思えます。

「外的要因ではなく」、いくつかの部分から「仕事ができない」と書かれていましたが、それこそ社会や一般的な価値観(ここでいうと職場や上司に当たるかと思われますが)が求める「普通」にあなたが照らし合わされ、あなたという人間が評価・判断されて、あなたがそれを自身の問題として受け止めさせられているように私は思いました。それは外的要因といえるような気がしますし、あなた自身の「普通」(キャパやペースなどなど)が尊重されずにいっしょくたに「普通」に塗りつぶされていることとも言えるような気がします。そんななかで自身が「迷惑をかけたくない」と思い伝えた気持ちと言葉に対して、「まだ成長する見込みがある」と投げかけられた言葉は(仮にそう思っていたとしても)根拠も理由もなくあなたを留める言葉として、とてもあなたを困惑させるものであったのかなと想像していました。

ただ、自身がうまくできないことに対して、できない自分を受け止め・見つめ、思い悩みながらでも今の場所であなたが動き続けていることは、なんとかして「普通」になろう、自分なりの折り合いを見つけようと、諦めずに実直に向き合っている証であるように私には思えます。

もしかしたらそれは今の場所で実現できるのかもしれませんし、今とは違うまったく別の場所にあるのかもしれません。見つけるのも折り合いをつけられるのも容易ではないのかもしれませんが、これからのあなたの道が今よりも緩やかに、明るくなっていくことを勝手ながらに願っています。

投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。
具体的な経験、境遇等は違えど、ビックリするくらい自分と同じような経験をされているな、と感じたので、是非お返事させていただきたいと思います。
前置きとして、私も「転職を4度経て今の会社にいる」「前職は上司と上手くいかず退職」「自分よりできる弟がいる」「要領が悪いと嫌なほど言われていた」ことをお伝えしてからお話ししたいと思います。

コミュニケーションが上手く取れないことは、投稿者さんにとってもすごく気にしてしまう所だと思います。「上手く伝わるか」「正しく理解できているか」を都度気にしながらお話しているのではないかと、もしそうだったら私と同じ方がいてうれしいと個人的に感じると同時に、投稿者さんにとってやりづらいなぁ、ストレスだなぁと感じる場面なのかなと思いました。
気にし過ぎるあまり、ストレスやら職場の立場からくる威圧感やら、上司の高圧的な態度やらで縮こまってしまうのかなぁと、勝手ながら想像しました。(違ってたら申し訳ありません。)
いわゆる「仕事が出来る」とされている上司の頭の中では「これくらいできて当然だ」と思われていても、その下で働く人にとっては「こんなことしたことない。どうしたらいいんだろう。」と不安に感じていることって、表に出ないから分からないことですが、実は意外と多いんじゃないかなって思っています。誰かにとって思うようにいかなかったとき、「自分ならこうするのに」とか「こうしたらもっとうまく出来るのに」という考えが浮かんだ時に、「要領が悪い」という感情まかせ半分の言葉が出てくるんじゃないかなと思うんです。(違ったらすみません…。)

辞職の意を伝える際の上司の「まだ成長の見込みがある。辞める事は逃げだ」という言葉には、投稿者さんの成長を願っての発言だと初めは感じましたが、後半の逃げだ、という言葉を見てから「会社に留めるための言葉」のように感じてしまいました。もちろん、投稿者さんに伸びしろがある、についてはまさにそうだと思いますが、投稿者さんへいいように解釈させ、会社につなぎとめるための言葉のように思えてなりません。伸びしろのベクトルが必ずしも今の会社で発揮するものとは限らないと感じているところです。

これまでのつらい経験があるなかでご自身の過去を振り返ることは、とてもとてもおおきな負荷を伴うことだったと思います。つらくて逃げだしたい場面も数えきれないほどだと思います。
色々な感情が絡まり合って、今すぐに気持ちの整理なんて出来ないのかなって思います。時間をかけてゆっくり修復していくものなのだろうと感じています。
これから先すこしでも、すこしでも投稿者さんの心が報われる瞬間が多く訪れることを願っています。

ありがとうございました。

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