おおまかな年表とか
1985年、ど田舎に産まれる
2歳頃、親が離婚(物心つく前、母が親権を持つ)
物心ついた頃、既に二番目の父親がいた
両親から虐待を受ける、怒鳴られる、殴られるが日常、雪が降る極寒日に肌着みたいな薄着で長時間外に放り出されることもよくあった
常に見窄らしい見た目だった為か、学校ではいじめに遭っていた、教師も見て見ぬふりか一緒にいじめてきた
10歳頃、親がまた離婚(二度の離婚とも理由は母親の浮気、親権は母)
離婚後は母方の祖母に押し付けられ、祖母に育ててもらった、その後母親は行方不明
叔父、叔母、従姉妹等、祖母以外の全親戚から虐待を受ける、祖母の家と親戚の家が近かったので誹謗中傷や暴力がほぼ毎日
14歳頃と16歳頃に二度、知らない人からレイプ未遂にあう、どちらも警察に行くも禄に相手にされず捜査もされず犯人は捕まってない
17歳頃、母親が見知らぬ土地で発見されたと警察から連絡がある(祖母が捜索願を出していたらしい)
母親を迎えに行くと母親は記憶喪失だと言われ、自分を産んだ記憶もないと言われた
その後高校を中退、無理矢理母親と2人暮らしをさせられる
コンビニと新聞勧誘のバイトを掛け持ちしてたけど母親に水商売や風俗で働くようにと言われてそう言う仕事をした
18歳頃、そう言う仕事をし易いように都会に引っ越す
19歳頃、初めての恋人の子を妊娠、「子供は望んでない、いらない」と言われて別れた
その後、出産(長子誕生、未婚の母になる)
20代前半頃までそう言う仕事をしていた、当時の友人の紹介で知り合った人と交際、結婚
その後、第二子出産
結婚した元旦那に入籍3日目で浮気される
その後離婚までの5年間、モラハラ、パワハラが日常だった、体調が悪くても性行為に応じないと罵詈雑言を浴びせられ蹴られた
20代後半頃、離婚、シングルマザーとなる
もう精神が限界で精神科の通院が始まる
医師から働くことへのドクターストップがかかり、生活保護を受けて通院しながら子育てをする
長子は健康体で見た目は普通だけど軽度の自閉症、二子は生まれつき心臓疾患がある
自分の病院に行く余裕がないくらい、長子と二子の病院に通院(二子は生まれてから今までで5回くらい手術した、検査入院や体調を崩しての入院は数えきれない)
子供達は2人とも本当に大切だけど、2人とも20歳を超えたら自分は死にたい
物心ついてから今まで、死にたいと思わなかった日はないくらいずっと死にたいと思って生きてきた
誰からも愛されない人生だった、万が一愛されてても自分はそれに気付けてない
産まれても生きてても、自分みたいに望まれず愛されない人間もいる
何度か他人に自分の生い立ちを話した事もあるけど、何処で誰に話しても「嘘をつくな、そんな作り話みたいな人生の人間なんている訳ない、大袈裟だ」と言われるばかりだった
自分は本当に不用品なんだと思う
今でも自分は要らない子だしいつでも死にたい
いい歳して未だに感覚だけが子供のままで、誰かに愛されたい、認められたい、とどこかで思っている自分が気持ち悪い
自分の全てが気持ち悪いし自分の全てが嫌い
躁の時は全部周りのせいにして、鬱の時は全部自分が悪くて、産まれた意味も生きてる理由も死ねない現実も、全部よく分からない
「貴方は一人じゃない」とか綺麗事言われても自分は独りだし心には何も響かないし届かないし、どんどん心は荒む一方
今でも母親の面倒もみている
それが自分の今まで生きてきた人生、経験談です
この先もずっと病院と家を往復する為に生きるしかない人生なんだと思う
希望なんてない、ただ無心と苦痛があるだけ
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
作り話みたいな人生
感想2
次から次に押し寄せる理不尽を、耐える・受け入れるしかなかった子ども時代があり、そこで身につけた(身につけざるを得なかった)諦めが、大人になっても次の理不尽を引き寄せてしまってきたイメージが浮かびました。
凄惨とも表現したいほどの過酷な子ども時代を送ってきた人が、大人になっても理不尽と苦痛の波にのまれ続けている話を身近でも聞いたことがある私としては、作り話だとは全く感じませんでした。
「いい歳して未だに感覚だけが子供のまま」とありましたが、適切にケアされ成長を見守られるような子ども時代を送れなかった人が、大人になりきれないのは自然なことだと私は思います。愛されたい、認められたい、という気持ちは、守られて大人になった人も抱く感情だと感じますし、私は気持ち悪いとは思いません。ただ、それを目の前の現実において求めても満たされることのないだろう状況で、そういった欲求を抱くのはしんどいことだとは思いますし、傷ついた人が自分の願いや存在を否定したくなる気持ちは、私自身も抱いてきたので感覚的に想像できるものはあります。
また、自分も満たされていない中で、普通以上にケアが必要な子どもが2人いて、面倒をみたい気持ちもなかなか湧かないだろう母親の面倒を見ているあなたを想像すると、無心になる他に身を守る方法はないように想像しました。
幼い頃殴られたり外に放り出されているとき、いじめられ大人にも助けてもらえなかったとき、レイプ未遂で警察に行っても寄り添ってもらえなかったとき・・・どのシーンを想像しても、それに一人耐えているあなたを考えると、いてもたってもいられないような気持ちになります。駆けつけてその環境から連れ出してくれる大人がいれば…と、そうじゃなかった世界を恨みたくなるし、今もそんな社会があることに危機感と恥ずかしさを抱きます。水商売や風俗の仕事も、女性の私としては、自分の身に置き換えて想像すると苦痛が生々しく浮かび(あなたはもしかしたら苦痛も麻痺していたかもですが…)、あなたが耐えるしかなかったものの量に、圧倒されてしまいます。
だからここまで生き延びてきたことを、ざっくりしたニュアンスで言うと「労いたい」みたいな気持ちになっているのですが、労うなんて言葉じゃあまりに軽くて・・・。ただあなたが今生きていることだけで「偉業を成し遂げた」(そんな偉業を成し遂げたかったわけではないことは勿論わかっていますが…)と表現できるような、そして本当は「一生分以上頑張ったので、もうこれからずっと休む権利があります」と扱われるべきなのに…といった、そんな気持ちです。
とにかく、リアリティのある人生だと感じた私は、何を言おうとしても自分の存在自体が薄っぺらくて、言葉にするのに躊躇いながらこれを書きました。でも、私が伝える術は文章にするしかないし、何も伝えないのも卑怯な逃げになってしまう気がして、思うことをなるべく正直に書かせてもらいました。
感想1
幼少期からあらゆる形の暴力とSOSが届かない経験を何度となくされてきたことが書かれていて、序盤まで呼吸を止めながら読んでいる自分がいました。
親や周囲の大人から守られるべき幼少期に、次から次とあらゆる危険に晒されるような日常の中で生きていたのですから、自分の心や感情を停止させる必要があったのではないでしょうか…。すべての出来事に心を動かし、怒り、泣き、悲しんでいたら、身がもたなかったと思います。エピソードが淡々と書かれていましたが、それについての感情表現がほとんど無かったから私はそう思ったのかもしれません。ただ、そういった感情の代わりに死にたいって毎日のように思いながら生きてきたこともわかりました。それはそうだよ…と心から思います。死にたいという言葉にすべて集約されているんでしょうね。10代後半以降もSOSを出しているのに、助けてもらった経験がほとんど無かったということもその後のダメージと諦めのような感覚をより濃いものにしたんだと私は思います。身近な家族からもあなたの意思も尊厳も踏みにじられる、存在を脅かすような行為が多々あったと思います。あなたの根幹や核心が歪んでしまってもおかしくないし、自分がケアされてこなかったにも関わらず、踏ん張って子育てをしてきたことに敬意を感じざるを得ません。
“いい歳して未だに感覚だけがこどものままで”という言葉がとても大事なことを表現されていると思いました。こども時代にこどもとして生きられなかった(守られなかった)あなたが、認められた、愛されたいと思うのは決して気持ちが悪いことではなく、とても自然な気持ちだと思うんです。いまは大人であっても、あなたの中に膝を抱えている「リトルあなた」が泣いていたり、怒っていたり、怖がっていたりするんだと思います。守ってもらいたいあなたが、子どもを守って育てているんですから、それはもういつもギリギリで生きているんだと私は思います。
そして最後に母親さんの面倒を今もみていると書いてあって少し驚きました。(私も母の面倒をみているのですが、色々思うことがありつい気になりました)これまでの母親さんとの関係や過程を考えると、かなり複雑な思いの中でお世話をされているのかなと想像します。常にあなたが、自分は二の次で生きてこられた…もしくは自分の意思や希望なんて感じさせてもらえなかったことも想像すると、あなたが母親さんのお世話を放棄する選択肢はあまり無かったのかもしれませんね…。(ちょっと自分に重ね合わせています)
あなたはひとりじゃない…確かにこのひと言はよく聞く気休めの言葉だと私も思います。ただ、人はひとりでしかないけれど、このやり取りのように人と人が関わり合うことで何か少しだけ気持ちが落ち着いたり、次につながったりすることもあるかもしれません。
この経験談への投稿は、あなた自身が感じたことを書いてくれた貴重な言葉だし、自分を助ける行動だと私は思います。こどもの為でも、母親さんの為でもなく、あなたがあなたとしてこうやって少しずつ言葉にしてほしいです。私はあなたとこうやってやり取りできて良かったと思っています。
またいつでも死にトリに気持ちを置きに立ち寄ってみてくださいね。