経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ひたすら運のない人生

私は、ひたすら運のない人生を送っているなと思います。

知的障害をもつ兄を持ち、兄に小学3年生の頃くらいから暴力を受け、高学年に上がってからは性暴力を受けるようになりました。

両親は兄は障害だから仕方ないのだ。と私に言い続け、簡単な注意はするものの私と兄のことで強く注意したことはほとんどありませんでした。
私も、兄は障害なのだから私が弱音を吐いて親により負担をかける訳にはいかない、とあまり相談もできませんでした。

その頃から学校でも軽いいじめや教師からのセクハラなども受けていて死んでしまいたい。と思うようにはなっていましたが、兄の部屋から兄の遺書を発見したり、兄が自殺未遂を犯したりと、自分が死を選んでしまえば自分の大嫌いな兄と同じことをするのだと思い、私は踏みとどまっていました。

中学生になってからは、兄からの暴力などはなんとなく納まったものの、先輩から無理やり強姦を受けたり、交際していた人からストーカーされたりとだんだん自分は生きている方が死ぬことよりよっぽど辛いと思うようになっていました。

誰かに相談しようにも、自分がそんな歳で無理やりとはいえすでに性的なことを経験したとも言い出せませんでしたし、なにより相談しても悪い出来事が多すぎて話を盛っている、と言われたり被害妄想だと言われてだんだん相談も出来なくなっていきました。

高校生になってからも、元々交際していた人からのストーカーや盗撮、強姦に悩まされ、しかもその影響で学年中で悪い噂がたち高校で作った友達や人間関係もほとんど無くなり孤立し、ヤケになって自傷行為のように性的な行動を繰り返した私はもう死にたいとか生きたいとか考えることすら面倒くさくなっていました。

私は今でも、恋愛しようにも友達を作ろうにも相手を信用出来ず、まともな人間関係を形成するのは難しいです。
死んでしまいたいという気持ちもありますが、もうそれすらもどうでも良くなっている。に近いです

感想1

経験談への投稿ありがとうございます。

文章を読んで、この過酷な経験の連続を「運」と呼んでしまうにはあまりにも心苦しく、身を切るような思いで読みました。あなたは一切悪くない、とまっすぐに伝えたい気持ちですが、その言葉が宙に浮いてしまうくらい、怒りも哀しみも、あらゆる感情を暴力が押し殺してしまったのかと想像しています。

死んでしまいたいと思った際、目の前の状況から思い留まることになったと書かれていましたが・・実行するかしないかは別として、置かれている状況に対して唯一抵抗を示すための意志だったとしたら、その選択肢が閉ざされたことは、あなたの残された力をさらに奪うような瞬間だったのではないかとも感じました。

周囲に懸命に伝えても理解してもらえず、誤解された経験は、二重の傷つきとなって今もあなたを苦しめているように感じています。人は怖いし、死ぬことも生きることもどちらも苦しい道だと思うと「もうそれすらもどうでも良くなっている」と考えてしまうのは当然だと私は思いました。常に警戒アラートが鳴りやまない危機的な状況に陥っている身体と心は、生き延びるために自分を殺し、感情を押し込んで呑み込んで、「何も感じない」ことで意識を遠ざけ、なんとか保っているのだろうかと想像しています。このことは、自分の意志や理性でコントロールできるものではなく、神経系の反応による生理現象に近いもののように感じています。

今回これまでのことを書くにあたって、なかなかに勇気とエネルギーが必要だったのではないかと思っています。文字を通じてあなたの人生とすれ違い、その経験に対して易々と共感の言葉をかけることは出来ないし、したくないなと思いつつ、被害者であるあなたがなぜここまで苦しまなければならないのかと、その理不尽さに静かに憤怒しています。

その思いとともに勝手ながら心配を寄せている私ですが、よかったらまたお話を聞かせてもらえたらと思っています。お待ちしていますね。

感想2

読みました。「運のない」という言葉で片づけられないような理不尽さを感じ、理不尽から守ってくれる大人がいなかったことへの憤りと、なんともいえない無力感を抱きました。

障害だから仕方ないという理論で、自分の苦しみを抑え込み、さらに次々と被害に遭ってきたあなたの人生は、いくら想像しようとしても、私には想像しきれないと思います、だから「つらかったね」的な言葉をかけるのは、あまりに安直だと思っています。
ただ、「生きている方が死ぬことよりよっぽど辛い」と思うことは私には当然にさえ見えましたし、そう感じるほどの人生があることは逃げずに受け止めたいと思いました。

私は女性なので、性暴力については他人事じゃないと思って読みました。自分は身体的な暴力を受けたことはありませんが、女性が「性的な道具」として簡単に扱われてしまう現実を、これまで大小さまざま感じてきています。
加害をする男性にも恐怖を抱きますが、そういったものを傍観し許す風潮や、自分が性暴力を受けてもおそらく十分には抵抗できないだろうということや、そういうものもとても怖くて、自分はなんでこんなに無力なのだろうと感じています。
その私の感覚が、あなたの無力感(と直接は表現されていなかったですが、どうでもいいという表現から私はそう受け取っています)とどれほどリンクしているかはわからないのですが、そういった現実を感じている私からすると「話を盛っている」「被害妄想」などとは全然思わなかったとは伝えたいです。

また、障害だから仕方ないという考えは、私は大人の責任放棄のように感じました。
ちょっと話を広げて「人間だから過ちを犯すのは仕方ない」のだとしても、たとえば「殺人をしても仕方ない」「性暴力をしても仕方ない」とはならないはずです。
人間は時に過ちを犯すのだからこそ、それは「仕方ない」のではなく、その過ちが起こらないように、起きてもなるべく最小限の被害で気づいて対処できるように、私たち(とくに大人)は努力しなくてはいけないはずです。
その努力を放棄した大人たちがあなたを追い詰めたという見方を私はしてしまうので、「運のない」ではなく「未熟な大人に追い詰められた」人生だと言い換えたい気持ちです。

今のあなたは、かなり傷つき、力を失っている状態かと思います。でもその中でも、死にトリで語ってくれたことに、あなたの力を感じる私もいます。
もし少しでも死にトリが役に立つなら、またいつでも書きにきてください。

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