経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

他者評価でしか生きていけない

二十歳、男。
もともと家庭がおかしかった。おかしいことに気づいたのは17歳とかだったけど。
挨拶ができなきゃダメ。笑顔でいなきゃダメ。ネガティブ感情を親の前で出しちゃダメ。言葉はきれいじゃなきゃダメ。好きな食べ物を言ってもダメ。泣いちゃダメ。「これ遊びたい」って言うのもダメ。全部ダメ。ダメの連続。逆らえばタバコと酒に溺れた親が暴れ狂う。
じゃあなにしたら認められるかって、簡単な話、社会的に認められれば良い。良いことをすれば良い。
親の手伝いをする。おもちゃをねだらない。勉強で満点の成績をとってくる。部活で賞状をとってくる。なんでも良いから一位通過する。親の機嫌を取る。
「頑張らなくても良い」じゃない。「頑張らないと死ぬ」。
今はその親から離れて安全な環境に身をおけている。でもトラウマが俺を苦しめる。「頑張らない自分はゴミ」だと。「結果を出せないお前は価値がない。死ね」って言ってくる。カウンセリングも三年かけて通ったからある程度トラウマは改善された。フラッシュバックも前ほどは起きない。そこは感謝だ。
でも苦しい。前より良くなったとかはどうでも良い。苦しいんだよ。頑張る生き方しかできない。等身大の自分でいての良かったことなんて一度もない。思い込みか?思い込みだとしても苦しい。思い込みなんだろうけど。今もその頑張る呪いからは逃れられてない。結果を出さないと死ぬ気がする。勉強する手が止まらない。筋トレも本当はやりたくない。でもやらないとまた俺はトラウマに殺される。
等身大の、頑張らない自分でいたい。頑張らなくても生きていけるようになりたい。今頑張ってこの文章を書いてる。強迫行動に立ち向かうのは辛い。苦しい。
近々人と関わる機会がある。
頑張らなきゃいけない恐怖に立ち向かって、等身大の自分を探したい。

感想1

自分を感じ取り、理解して、内面を表現する文章のわかりやすさに引き込まれながら読みました。他者評価で生きてきたあなたにとって、評価するような表現は本当は自重した方がいいように思ったのですが、私の中にはあなたの心の声や葛藤がとても分かりやすく届いたので、最初にその気持ちを伝えたくなりました。
私の周りにも幼少期に自由が保障されず、大人に従うしかなく、等身大の自分が分からず苦労している人たちがいますが、安全な環境に行くほどに苦しみが増し、何度もくじけそうになる様子を見てきました。三年通ったカウンセリングの効果もあったとのこと、今までとてつもない重い蓋をしてきた自我や自己が出てきて、強く内在化された他人軸と戦っているからの苦しみなのかと推測しています。
その姿は幼少期とは別の意味で「頑張らなければ死ぬ」というレベルの戦いなのかもしれないと思えました。「頑張らないように頑張っている」とも言えるかもしれません。ただ、幼少期の戦いと違うのは今の戦いはあなたが選んでいるという点だと思いました。自分を取り戻すための戦いだと思うので、意味合いは全く異なるものと考えます。そう考えると、あなたが他者評価で頑張ってきたことが今の戦いに役に立っているのかもしれないと思いました。他者評価であっても、確かにこれまで生きてきたあなたがストックしてきたものがあるはずです。それを今のあなたに還元するための作業を今やっているようにも思えてきました。こうして、気持ちを書き出すのもその一つなのかなと感じています。この文章も「頑張って」書いてくれたとのこと。頑張ってしまってもいいし、頑張らなくてもいいので、また必要そうなら死にトリに来てください。待っています。

感想2

過酷な幼少期の描写に圧倒されながら、否定から入る行動動機の影響がここまで人を苦しめることの悲しさ、やりきれなさに、心臓が握られたようにこちらも苦しく唸るような思いで読ませていただきました。
違和感を覚えながらも逃げられない状況にあったと思いますし、現在は離れて過ごしていることに少しだけ安心しましたが、積み重なったトラウマの影響は今もなおあなたを苦しめていることが切々と伝わってくるようでした。

カウンセリングに通い、フラッシュバックの頻度が減ったとしても「でも苦しい」の一言には、どれだけ知識や経験を積み重ねても、からだに染み渡った「頑張らないといけない」の思考を取り除くことの難しさを目の前に突きつけられたような思いです。
あなたの感覚には遠く及ばないかもしれないですが、私自身も「頑張らないと認めてもらえない」という切迫感を機動力にして行動してしまうことに覚えがあります。
すぐにでも手放したくてしょうがない思考でありながら、それで自分を守り生き延びてきたとすればそう簡単に脱ぎ捨てることもできず・・近頃は「あ、また頑張ってるな」と気づけるだけマシかと半分さじを投げている自分もいます。あなたの「頑張らないといけない」との付き合い方も聞いてみたい気持ちです。

「頑張らない自分でいたい。頑張らなくても生きていけるようになりたい」とここに表明してくれたことは、陰ながら静かにエールを送りたい気持ちです。(大声で応援すると、また頑張らないと・・!と思わせてしまうかなと想像しつつ)
あなたが世界と自分のつながり方を再構築し、経験を経て「生き直し」の一歩を踏み出しているように私は感じています。
よかったらまたお話を聞かせて下さい。お待ちしていますね。

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