経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

しにたい

こんばんは。見てくれてありがとうございます。多分途中から文章ぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれないです。
タイトルの通り、ひたすらに死にたいです。今私は高1で、通信制の高校に通っています。
通信にした理由は留学の資金を自分で溜めたくてバイトをしようと思ったからです。
今日、父と喧嘩しました。殴られました。蹴られました。
普段はどれだけ怒っても、説教されても、手は出すような人じゃありませんでした。
だから私がそれ相応のことをしたのかと思いました。
でも、私は頭が悪いからわからなかった。分かろうとしたけど無理だった。
無言でいたら近くの椅子を蹴って倒されました。怖かった。
必死に考えているのに向こうは「何なんだよその顔。」「おい、なんだよその目。なめてんのか」しか言ってこない。
小さな脳みそを使って必死に考えてるのに、馬鹿なりに、低能なりに。
父が前言ってきたんです、冗談交じりに軽いノリのように。「悪いけどあんた、なんの才能もないよ」すごく刺さりました。一生チクチクしてズキズキします。
私は歌うのも、演技をするのも、楽器をするのも、料理をするのも、絵を描くのも、小説を書くのも好きです。でも、「音痴だなw」「へたくそだな」「はぁ、こんな料理もできないのw」「なんだこれ、人か?」ずっと、馬鹿にしてくる。私にはなんの才能もない。
好きでやってるだけなのに。下手だったら、やっちゃいけないのか。すごくそう思いました。
なにもわかっていないくせに、人がどれだけ努力しているのかも。裏でどんな思いをしているのかも。生まれつきの病気のせいで人1倍苦労して生きていることも。
全部全部全部何もわかってない。父親面して気持ち悪い。
「ほんとクソガキだな。失敗した。ありえねぇわ」今日言われました。
さんざん言われたこと、慣れてること、なのに今日はすごく深く刺さってとてもつらいです。ひたすらに死にたい。私はなんの取り柄もない。ブスだし音痴だし頭は悪いしデブだし絵はへたくそだし料理もできない。迷惑かけてばかり。いらつかせてばかり。空気も読めない。仕事の覚えも悪い。ほんとに、荷物でしかない。
もういやなんです、生きてるのが。せっかくやめれた自傷行為も、今日またやってしまってすごく後悔してる。無心で腕を切り続けた。じゃないと涙が止まらなかった。
でもまたすぐ涙が出てくるから、また切った。もうボロボロになって、せっかく一度も切ったことのないきれいだった右腕も切った。自分で汚した。
生きる才能も、生きる価値も、生きてていい理由も、存在意義も、何もない。
「しにたいなんで言わないで。」「生きたいと願う人に失礼だよ」「痛い。そういうのw」「病みアピだる」さんざん、周りにも言われてきた。死にたいなんていうつもりなかった。思っちゃっただけ。生きたいと思う人に自分の寿命をあげたい、痛いことはわかってる、でも思っちゃう。アピってない、質問されたから答えただけ。全部がいやだ。
何気ない一言も、全部。
普段良く言われる「お前ほんとにばかだよなw」「あほw」ノリなのに、つらい。刺さって、ぐさぐさくる。
毒を吐かれたくない、愛されたい、ただそれだけなのに
ずっと信じていた人も結局は裏切る、私が悪い。私がそうさせた。
やっぱり私はいないほうがいい、何度もそう思った。
死にたい消えたい生きていたくないひたすらに死にたい。
ずっとずっと泣いて、泣いても泣いても収まらない。
いつもならすぐに元気になるのに、たとえどんなにつらくても元気なふりしてばかなふりして、みんなのこと笑わせられてたのに。
今回は、無理だった。つらい。ずっと苦しい。元気な振りすらできない
死にたい
それしか浮かんでこない、
夢とか、もう全部どうでもいい、くだらなくなってきた。
いままで他人最優先にしてきた自分も、自分の気持ち殺して他人に優しくして自分を偽って取り繕ってまで必死に好かれようとしてた自分も、こうやって病む自分も、全部気持ち悪い。死ねばいいのに。死ね。なんかいそうおもったのか。
死にたい、「誰のおかげで生きてられると思ってんのよ」父に言われた。
死ねるなら死にたい。子供だから、収入が安定してないから自立できないだけ。できるならとっくにしてる、一生関わらないで。
生きられる、生かされてる、生きたくもないのに。
もう限界。しにたい。もう自分が自分じゃないみたい。外から他人の人生を眺めてるみたいい。他人なら、どうでもいいか。

感想1

「こんばんは」とあったので、これを書いてくれた時は夜だったのかな?と想像して読んでいました。そんな私も今、夜を迎えそうです。こんばんは。
留学先、どこを希望してるとかってあるのだろうかと気になっています。(私の単純な興味です!)
思ったのが、あなたは自分のやりたいことや「そのためにこうしよう」と自分の中で分かってる人なんだなって感じています。

父親の殴る・蹴るは、あなたがそれ相応の事をしたからだとは私は思えなかったです。「仕方なかったね」で終わらせたくないと思いました。無言でいて椅子を蹴られるのも、”音”や”空気感”が凄く怖いと感じます…。実は私も経験があるんですが、(同じく父親から)物を蹴る音に身体が思いっきり跳ねるし、とにかく怖い。この場から逃げたいのに動けない。次また自分に手を出されるのでは?という恐怖。でもその中で頭をフル回転させてどうにか収束させようと必死になっていました。謝る以外なにも思いつかず、涙は出るし、考えて黙っていれば更に怒りは増す…。どうしようもなかったことを思い出します。
あなたが自分に掛ける言葉たち「才能・存在価値がない」や、自分自身を否定する事(読んでいて私はそう感じました)などは父親が特に強く影響しているように見えました。私自身がそんな感覚があったからなのもありますが、過去に言われてきた言葉を、まるで自分が言ったかのように自分自身に掛ける・思い込ませるようになってしまって……。ですので、これはあなたの言葉・あなたを表す真実ではないんじゃないか、沢山の言葉の攻撃を受けて「自分なんて」と感じてしまうような観念の植え付けもされてきたように私は思いました。人から言われた言葉を、あなたが今こうやってここに書き出す事ができているように、言われた側にはずっと残るって強く感じています。でも言った側は軽いノリであざ笑い、全然覚えていなさそうなところに理不尽さを覚えます。ほんとに、チクチクズキズキ…とてもとても苦しいと想像しています。
また、好きな事をやってる自分を否定されるのは、つらいだけじゃ言い表せないと思いました。ことあるごとに否定され続け、貶されると自分の存在を否定するようになってしまうし、私の場合”好きな事”を父親に知られるのが怖くなりました。絶対攻撃される・笑われると確信してしまって。本当はこんなことに警戒心を持ちたくないのに…。それに、好きな事自体をもたないようにしたい。とすら”思わされて”きたようにも思います。それくらいに影響は大きいです。数々の言葉の攻撃を「慣れてる」と表現していることに対して、とてもやるせない気持ちにもなりました。あまりにも沢山、ずーっと言われてきたんだと感じています。
そして、「痛い。そういうのw」「病みアピだる」の感じや言い方、とっても、とっても分かってしまいます……。これも本当に心にグサッとくる気がしています…。あなたの言う通り「アピってない」って私も思います。「本当のことを言っただけです」と今まで私はなっていました。でも悲しい事に、このような言葉を掛けてくる人が一定数いるような体感があります。なんというか「病む」という言葉がとてもマイナスというか、また時には世間でファッションの一部のように扱われている傾向もあるように感じます。でもそもそもただ「病んでる」わけじゃないし、そんな簡単に言い表してほしくないなぁって私の本音にあるかもしれません。
「毒を吐かれたくない・愛されたいただそれだけ」と書いていたところ、とっても頷いています。ただそれだけ、本当にこれだけなのになんで?って想いや、単純に疑問に感じているようなあなたの気持ちが伝わって来ましたし、同じくそれを望む私も「本当になんでだろうか…」って疑問に思ってしまいます。
とても個人的な私の意見なのですが、すぐ元気にならなくてもいいし、元気なふりもしなくていい。なんて思ってしまいました。でも同時に、きっととても難しいとも思いました。そうやってここまで一歩一歩来たであろうあなたを労いたいし、泣いても収まらない状態も、死にたい気持ちを抱くこと、夢がどうでもよくなることも「そうだよね」とどこか納得してしまう気持ちもありました。

ここに書き出してくれた時のあなたは、自分をそんなに抑える事なく、本心で書いてくれたように私は感じているのですが、どうだったでしょうか…。「一生関わらないでほしい」など、父親本人に言えてないような(想像ですが)本心がこうしてここに見えた事、それを書いてくれた事を嬉しいと思った私が確かにここにいました。今まで沢山言葉を投げられて傷つけられて、それに対して返したい言葉があっても、飲み込んできた過程が多いんじゃないかと考えたのですが、もっと(勿論できる範囲で)あなたの言葉を書き出してほしいと私は思うのです。留学についての想いもきっとまだ抑えてることや、「本当は…。」のような事がもしかしたらあるのかなとも想像しています。書けそうであれば、感情そのままにあなたの言葉をまたここへ書いてもらえたらと思っています。投稿ありがとうございます。

感想2

お父さんから暴力を受けて、強いショックを受けている中、あなたの中にある思いを言葉にして表していった過程を想像しながら読みました。送ってくれた日からしばらく経ち、いまはどのように過ごしているのでしょうか。

世の中では、なにが好きなのか自分でもわからないという人の話をよく聞くことがあるのですが、あなたにははっきりと好きなことがある人なのだなと思いました。また、そういう好きなことがあなた自身を支えてきたのかなと思いました。
私もあなたが書いている中で、歌うことと小説を書くことはとても好きです。でも、好きなことを好きだからやっているのに、それを勝手に評価してくるのは無責任で暴力的なことだと私は感じます。私自身も10代のころ父親から自分の書いたものや作ったものを「幼稚」などなどと勝手に評価されてきて、呪縛みたいにそういう言葉に縛られてきたな…と思うので、人ごととは思えないでいます。30代になった今では、私は好きなことを好きな気持ちでやれることがなにより大事で、他の人のいうことは気にする必要ないとは思います。(人の言うことってこういう場合あまりあてにならないことが多いな…という感じがしています。)といっても、そう思おうとしても、気にしないでいるのって難しいよね…という実感もあるので、悩ましいところなのですが。
あなたが表現したり、なにかを作ったりすることを、あなたにとってやりやすい方法や場所でやれるといいなぁ、と個人的には思っています。

自傷行為はあなたの苦しさを少しだけでも分散させたり、発散させたりする方法なのかなぁと思います。私もアームカットなどのさまざまな自傷行為をしてきたのですが、しんどいときにそれを我慢するのって、ものすごく大変な気がしています。だから個人的には、無理にすぐやめなくてもいいんじゃないかと思いました。どちらかといえば、しんどくて他に楽なやり方が思いつかない時に我慢するというよりも、あなたにとってべつの、負担が少ない発散方法が徐々に見つかっていけばいいのかなぁと想像しています。私は最近ではアームカットをすることはほとんどなくなったのですが、発散のやり方をいまも試行錯誤しているような感じです。

養育者には子どもを養育する義務があるし、あなたには暴力を受けないで生きる権利、あなた自身やあなたの大切なものごとを蔑ろにされないで生きる権利があります。養育者の暴力はどんな場面でも養育者の問題で、あなたが悪いとか、あなたのせいとかいうことではないと私は伝えたいです。学校の先生やカウンセラーなどにもし相談できそうだったら、あなたの気持ちや苦しさ、出来事などを伝えてみるのもいいのかもしれないと思いました。
今回はきっと書いてくれたこの日のつらい出来事を中心に、感じていることを書いたのかなと思うのですが、この他にも、今回はくわしく書いていないけれど困っていることや悩んでいること、しんどいことなどもあるかもしれません。もし、なにかまた書きたいことが出てきたら、死にトリに投稿してください。待っていますね。

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