経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰でもいいから、誰か助けて

これを送ったら、迷惑かもしれないとか、知ってる人に読まれるかもしれない、とか思って迷ったのですが、書いてみました。

数年前、海外の学校に転校した。私は当時その国の言語である英語が全く話せなかったし、言葉が通じないみんなと交流しようとする度胸もなかった。
けど、この学校では、一人でいる事は許されなかった。学校で何が起こっているのか全くわからなくて、優しいみんなが私のために時間を使うのが申し訳なかった。初めて死にたいって思って、学校を休んでみた。けど、親はどんな手を使ってでも行かせようとして、何回か休んだきり、私は学校を休むのをやめた。私は、一日とかでいいから、普通に休ませてほしかったんだと思う。

今、私はある程度英語が話せるようになった。そしたら皆んな、私はもう大丈夫、とかもう大変な時は過ぎた、みたいに思うようになった。けど私はいまだに今の環境に慣れたと思えなかった。

学校に行くのが怖いのは変わっていない。私には刺激が強すぎるんだよ。いつも気を張っていないと皆んなについていけないし。友達もどこか他人行儀で、嫌われてるんじゃないかって勝手に思うし。なんかいつも忙しいし。私は皆んなの中では忙しくない方だけど、学校行くだけで私は精一杯なんだよ。勉強だけはなんとか出来たから、それを頑張ってみたらなんか勝手にハードル上げられたし。誰も組む人がいないのを分かってて、グループワークとかさせられるし。誰とも組めなくて困っててもほっとかれるし。こっちは日本に比べて、みんなで何かをする事が多い。

みんな、海外の学校に行くのはいい経験だと言った。私を羨ましいと思う人は沢山いると。いつか分かる、いつか感謝するだろうって。なんでみんな、いつかの話するんだろ。なんで今の私は助けてくれないんだろ。私にはいつかの事なんて考える余裕ないし、そもそも、そのいつか、まで生きてるか分からないよね。ここに来たことの代償には、誰も気づかない。私がどれだけ死にたいって思ったか、どれだけ自分を傷つけてきたかは誰も知らない。私が言わないのが悪いっていうのは分かってるんだけど。けど言ったところで分かってくれるとも思わない。私は恵まれた環境にいるはずなんだから。私も家族も皆んな健康だし、友達もいるし、今は誰からもいじめられてない。

だから私が、せめて中学生になってから来たかった、とか
少しでも英語を学んでから来たかった、とか
ここにいつ来るかを、せめて前日には知らせて欲しかった、とか
日本人の女子が一人でもいる学校に来たかった、とか
思うのは我儘だよね。親が言うには、ここに来たのは私のためらしいし。

私が今までいた環境は簡単すぎたらしい。私を成長させたかったらしい。だから私を、仕事の都合、とか言って連れて来たらしい。そして、その選択は良かったと思っているらしい。
私は、今まで生きているのが簡単だなんて思ったこともなかったし、ここに来て良かったなんてどうしても思えなかった。けどそれは私が、皆んなと同じでないといけない学校の中で、普通になれなかったからだよね。

みんな、これだけいたら英語はもっと話せるようになるし、この環境に慣れる事ができる。
みんな自分の第一言語なら普通に人と話せるし、予想外の事を聞かれてもフリーズしたりなんかしないよね。

他にも色々な所で私は皆んなと違って、なのにそれを変えようと努力することもできなかった。というか、私は小学生の頃からあんまり変わってない。なんか、あんまり普通じゃない事をすると、キモいんだって。いつもなんでこんなことも出来ないんだって思って、消えたくなる。色々な事を、人のせいにすることが出来なくなった。

私は自分をなるべく普通に見せる事はできたから、そうした。私はいい子な訳じゃなくて、怒られるのが極端に苦手なだけ。なんでも一人で出来るんじゃなくて、頼り方を知らないだけ。「大丈夫?」に対する返事は「大丈夫!」しかないと思ってる。
皆んなの話を聞くのが好きなんじゃなくて、会話に入れないだけ。だって英語でも理解できない事が多いのに、みんな中国語で話されたら全く分からないよ。

なんで私は英語も中国語も話せなかったんだろ。けど今は日本語もあまり上手くない。小学生レベルで止まったまま。ちゃんとした文章も書けない。日本人としての常識も通じなくて、私には帰るところも無くなった。初めは日本に戻れば全部解決するって思ってたけど、今は全部私が悪いんだなって思って、だからどこにいても同じかなって。学校行かないと家にも居場所がなくなるし、日本に帰っても今の私が元通り適応出来るとは思えない。私はどうすればいいんだろ。

ここまで読んで下さってありがとうございました。

感想1

投稿ありがとうございます。

誰かに自分の話を伝えることは周りに知られてしまうかもしれない不安や「もしかしたら迷惑かも」という気持ちとが生まれるものだよな…と考えさせられました。私もそう思ってこれまで話さないできたことがたくさんあるなと思い出しています。
それでもあなたがここに書きに来てくれたのは、タイトルにある通り「助けて」という切実な気持ちからだろうと想像したので、その気持ちを大事に受け止めながら感想を書きたいと思います。

まず私はあなたの経験談を読んで驚きました。今あなたは何年生(何歳)なのでしょう…。きっと、あなたが幼い頃からの数年の話だろうと思ったので、さぞかし大変だっただろうな(今もそうですよね…)と思います。
自分の経験を言葉・文章にすることもまた、私としては大変なことだと思っているので(しかもあなたの経験は、あなたも周りの人も何が起こっているのか理解することが難しい経験な気がするので余計に…)それをこうして書きに来てくれたあなたの力に驚かされたのでした。

あなたの親は、“将来のあなたのため”としてあなたを海外に連れて行ったのですね。
その提案(あなたからしたら強制でしょうか)は、あなたがこの社会で生きていくためにという思いからだっただろうとは思います。
それでも私は、あなたはあなたの人生を生きていく主体だと思うので、「せめて中学生になってから来たかった」「少しでも英語を学んでから来たかった」というあなたの声が第一に聴かれて(尊重されて)ほしかったなと思います。
海外生活では「優しく」されたものの、言葉の壁をはじめ、何がなんだかわからなくて困惑したでしょうし、学校に行くよう強いられてきたとすると、あなたには逃げ場がなかっただろうなとも思いました。日本という逃げ場も逃げ場じゃなくなってしまうとすると、こんな理不尽なことをどう理解したらいいか…。きっとあなたは「自分が悪い」からこうなったんだと理解しようとしているのかなと文章を読んでいて感じました。

ひとつ思ったのは、あなたの経験してきたこれらは差別の問題と言えるのかなということでした。母国語を話せない人や、「普通」とされる生活に適応できない人が安心して生活ができないこと。これは母国語で話せることや、その環境での「普通」の生活に適応できることが前提となっているということで、そうでない人のことが見逃されているということだ(つまり差別されてしまっているということ)と思ったのです。そう考えると、あなたの努力が足りなかったということでは一切なくて、あなたは何も悪くないのだと私は思います。差別が生じてしまっている、そしてそれを改善できない環境(学校や地域・社会)にこそ問題があるのかなと思います。

でも、環境に問題があるとすると、状況を変えるというのはなかなか時間とエネルギーが必要なことだとも言えるように思います。あなたは「「大丈夫?」に対する返事は「大丈夫!」しかない」といった中で生きている(きた)と思いますし、SOSをあげてもあげても気づいてもらえない状態で暮らしているのかなとも思うと、どうすることもできず「どうしたらいいんだろう」と思うだろうなと率直に思います。。私も「どうしたらいいんだろう」と思いつつ、あなたにはあなたの感じることがあっていいし、考えがあっていいと思うとは伝えたくなりました。それが周りと違っていても、うまく言葉にできなくてもよくて、あなたが「人のせい」だと思うことは「人のせい」と思っていていいのだろうと思うのです。あなたのその声を聴く大人の存在が必要なのではないかなと思います。
もしよければ、あなたが困っていること・ひとりで抱えていることを、信頼できそうな大人がいたら話してみてほしいと思いました(もう十分にSOSを出していると思うので、本当はあなたのつらさに大人が気づいて声をかけてほしい・耳を傾けてほしいと思うのですが)。ここでよければ、あなたの声を聴き一緒に考えたいと思うので、またぜひ書きに来てください。

感想2

あなたの経験談を読みあなたが一日の大部分を過ごす環境・コミュニティに自分と似た状況の人がいない中で、なんとかやってきたのだろうこの数年間に思いを馳せています。また、海外の学校に行くまでにもあなたは「普通」とは違うと周りに捉えられて、それによって波風が立ってしまう経験があったのかなと思います。「けど今は日本語もあまり上手くない」と書いてありましたが、この文章からは、言語で捉えて内省したり、周囲の状況と照らし合わせて考えるのがもともと得意な人なのだろうなと感じました。

言葉というのは人がコミュニケーションをとるためだけでなく、考えたり、自分の考えていることを理解したりするためにも日常的に使う道具だと思います。そう考えると、今まで使ってきた道具とはまったく別の道具を使う環境に放り込まれて、自分もその道具を使わなければならなくなったらそれだけでとても大変なことだと思います。他の人たちはその道具をもう長い間使ってきていて慣れているのに対し、あなたは初心者ですし、道具が違えば単純に置き換えて使うことも難しいだろうと思います。そんな中であなたは苦労して英語という新しい道具に触れ、慣れる努力をしてきたことを想像しました。
私は日本以外に長期的に滞在したことがないので、これは本当に想像したにすぎず、不十分な想像だとも思うのですが、どれほどの負荷の中でやってきたのだろうと思いました。また、私自身は日本国内でも自分が周りとなにか異質なものだと感じて生きてきたので、同じだとか、わかるだとかは言えないけれど、あなたの書いている言葉を読みながら、知っている気がすると感じることが何度もありました。

「海外の学校に行くのはいい経験だ」「私を羨ましいと思う人は沢山いる」「いつか分かる、いつか感謝するだろう」と言う「みんな」が話しているのは誰のことなのだろう?と思いました。もちろんその人たちからしたらあなたのことなのだろうと思いますが、その人たちがイメージする、あるいは期待する未来にいるあなたのことであって、あなた自身もかいているように「今の私」が置き去りにされていると感じました。
でも世の中には「就職するには◯◯の学校に行くべきだから」「定年後に楽な暮らしをするためにはバリバリ働くべきだから」みたいな言葉が溢れている気がするので、もしかしたら、あなたの周りの人も自分の「今」を置き去りにすることに馴れてしまっているのかもしれません。
他者と比較して「恵まれた環境」かどうかということはたしかに一つの観点かもしれませんが、それも一部分だけをみて決められないし、そもそも、苦しんでいることはだれかとの比較の余地のない、絶対的なことと捉えていいと私は思います。

ドイツに在住し日本語とドイツ語で小説を書いている小説家が、言葉は檻だけど、二つの言語を使うことで、二つの檻を行き来することができるようになる自由がある…というようなことを書いていたことを思い出しました。(うろ覚えなので間違っていたらすみません…。)
この例えで考えると、あなたの場合は、言葉を自由に行き来できるように自分で選択したわけではなく、とつぜん別の見も知らぬ檻に入れられてしまった状況だったのかなと思います。このような「檻」は言葉だけでなく、「常識」と呼ばれるものや「文化」と呼ばれるものもそうなのかもしれません。その中で「私には帰るところも無くなった」という言葉は痛切だと思いました。一方で、日本国内でも学校などのコミュニティに適応できないまま生きてきた大人になったものとしては、べつに適応する必要もないということだけは伝えたいなと思いました。もちろん、適応できないことで困ることとか苦しいことがあるのは事実で変え難いかもしれないのですが、苦しいことと適応しなければいけないかどうかは別だと思います。また、同じ国の中でも、コミュニティや場所、関わり方などによって、その場所の「常識」は大きく変わるように思います。
私は本の中に居場所を見つけてきたと思っていますし、今は経験談を通してこうやって言葉にしてくれるさまざまな思いや感覚、世界がどのように見えているかを知り、遠い場所にいる人たちに、勝手につながりを感じています。あなたにとって帰りたいと思える場所、そうでなくても、今過ごしていて苦痛ではない場所があることを願っています。よかったら、死にトリにもまたきてくださいね。葛藤の中で、経験談を投稿することを選んでくれて、こうやってあなたを知る機会をくれてありがとうございました。

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