経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

親ガチャ大成功

私は親ガチャが大当たりの人間です。
両親は仲が良いですし、やりたい習い事をやらせてくれましたし、勉強を強制されることもありませんでしたし、お年玉はしっかり私の口座に貯めておいてくれて両親が使うことはしませんでしたし、休みの日は色々なところに連れて行ってくれましたし、進路についても「やりたいことをやれ」と言ってくれましたし、大学進学への費用も用意してくれていたので奨学金を借りることもなさそうです。

反抗期はありました。こんな親嫌だと思ったことも、言ったこともありましたが、「反抗期が来るのは反抗できるほどに甘えることができたから」という言葉を見つけてとても納得しました。

父も母も、弟のことも大好きです。親戚も良い人ばかりですし、幼い頃になくなってしまった祖父との思い出も楽しいものばかりです。
学校でのいじめもありませんでした(いじりはありましたが)。

それでも私は鬱になりました。
家族は支えてくれました。今もです。

自分の仲間が欲しいという気持ちで匿名で通話をしてみたり、Twitterに書き込んでみたり、ネットで色々な方の経験談を読んでみたりしました。
そこで殆どの方に当てはまるのが「家庭環境の悪さ」でした。
ネグレクト気味だったり、過干渉だったり、殴られたり。
なんというか、「病んでも仕方がない」という環境の方が殆どでした。
そんなの周りのせい、家族のせいと断言できます。あなたはなにも悪くない。あなたはよく頑張ってきた。あなたのせいじゃないよと優しく声を掛けられる。

でも、私は違います。
家族にも友人にも恵まれていて。環境のせいでないなら、自分のせいでしかないんです。
私がなにをやっても上手く出来ないから、私の心が弱いから、私のせい、私が全部悪い。
つまるところ、「家庭環境が悪い」という免罪符が効かなくなってしまうんです。
言い訳ができなくなってしまう。
全てにおいて私が悪いということが浮き彫りになってしまうのが堪らないのです。だって私以外に悪い人間が登場しないから。
出来損ないの悪者は私。それで勝手に自爆して、同情の余地もない。自業自得。それが、嫌で。

いっそ毒親だったなら…なんて。絶対に考えちゃいけないのに、そんなことまで思ってしまうんです。恵まれた環境に感謝すべきなのに、どうも真っ直ぐにそれができない。

それと地味に辛いのが、学校で家族の話を出来ないということです。
学校の友人にも家庭環境の悪い子がいます。しかも結構沢山…。
きっと考えすぎなのでしょうが、そんな子達の前でなんの問題もない我が家の話なんて到底出来なくて。相手が嫌な気持ちになってしまうんじゃないかとか、悲しくなったり、怒ってしまったりするんじゃないかと思うと、下手なことを言えなくて、話題が「家族の愚痴」になった瞬間だんまりになってしまいます。

辛い。だなんて言えない。私には言う資格がないから。もっと死にたい人がいるから。でも、早く死なねばならないなとはずっと思っています。

感想1

あなたが「辛い」と感じていることは事実なのだと私は思いました。それと同時にあなたが自身の環境を「親ガチャ大成功」であり恵まれたものだと見なしている様子が伝わってきました。だから、「辛いって言っていいんだ」って自分に納得させられる理由が見つからない(または、見つけたくない)という状態に、私には見えました。

「理由」とか「資格」とか、あなたなりに自身の現状を評価している様子も伝わってきました。一方で、「辛い理由がなくても、『辛い』と他でもないあなたが感じているなら、それはそれでもうしょうがないのかも」とも思いました。もしかしたら「そんなのダメだよ」とあなたは思われるかもしれません。でも、「自分には『辛い』って言う資格はない」って思っても、あなたの今の辛い気持ちはやっぱり事実であることには変わりないと私は思います。
投稿してくださった経験談の中で「私には(『辛い』って)言う資格がないから」と書かれていますね。しかし、そうは思っていても辛いから経験談を書きに来られたのではないのかな…と私なりに考えていました(私は「辛い」と言うことに資格はいらないと思っています)。「辛いときに辛いって言える」「しんどいときに助け合える」…そんな世の中であってほしいなと思う今日この頃です。

また、私は「自分は因果関係を求めてしまうことが多いなぁ」と思うことがあります。この世の中にはたくさんの人やものがあって、目に見えないぐらい小さなものや数えきれないほどの出来事や決断があると思います。なので、そんな簡単に因果関係が分かるわけがないと思うのですが、気が付けば私は因果関係を探そうとしてしまいます。そういった「分かりやすい理由」のようなものを「責任」といった形で求めてしまうことがあるかもしれません。そして時にはそれを押し付けてしまうこともあるかもしれません。
そう考えると、本当は全部みんなのせいで、それと同時に誰のせいでもないのかもしれません(本当に私の考えにすぎないです)。もちろん、場合によっては本人からすれば「いくら事情があろうとも、自分には許せないことがある」って思うことも当然あるとは思いますが…。
あなたは自分を納得させたいとか、明確なものがほしいとか……そういった考えを持っているのかもしれないと思いました。そこで、「今の自分の状態を説明できる、分かりやすい理由」を求めていたのかもしれないと私は感じました。その結果として、「自分が悪い」というあなたなりの考えを見つけたのではないかと私は思いました。(こうは言ってますが、決して分かりやすいものを見つけることを否定する意図はありません。)
あなたの今の状態は、「自分が悪い」というようなたった一つの原因によるのだとは、私には思えません。本当は誰も悪いわけではなくて、相性の問題とか無意識の何かによって今の状態が生じているかもしれないと、私は感じました。
自分語りになってしまいますが、私は高校が結構楽しかったのにも関わらず、高校時代の知り合いとはほぼ絶縁しています。理由はいくつか言葉にできるのですが、全部正解な気がする一方で、全部しっくりくる万能な答えではないです。それぐらい、自分のことって実は自分もよく分かっていないのかもしれないと思うときがあります。

複雑なものを複雑なまま見つめることが必要なときもあるかもしれません。しかし、ずっとそうやっていると疲れちゃいそうだと私は思います。場面に合わせて単純と複雑の色んなグラデーションを調整して見ると生きやすいのかなぁ…と思っています。
経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。

大学生になったばかりなのかなと想像しながら読んでいました。大学では様々な境遇の人と出会う機会が増えるように思うので、「地味に辛い」話を見て「そうそう、きっとそういう辛さと直面することもあるだろうなぁ…」と勝手ながらうなづいています。

この社会は誰かと比べることがデフォルトのように私には見えるので、比べること自体は自然なことなのかと私は考えています。ただ、自己責任のもとで生きる社会になっているようにも見えるため、そうした社会では人を優位・劣位として分け、誰かを傷つける可能性と常に隣り合わせ(の構造)となっているように私は考えています。基本的には誰かを傷つけたいと思って人と接するわけではないと思うのですが、そうであっても自分が優位な立場にいると話しにくい・話せないと感じさせられることもあれば、自分の辛さが誰かの辛さよりも下にあると感じると「だんまり」しかできなくなったりする(それが逆に気を遣わせるかもなどと考えたりもする)こともあるように思います。本来あなたが「鬱」で苦しんでいることや「辛い」と口にすることは何も問題ないことのはずですが、そうした構造が生むコミュニケーションの難しさと、辛い気持ち・苦しみが多く生まれる社会に対して、うーんと頭を悩ます私がいます。

そんな風に頭を悩ませながらもあなたに伝えたいと思ったのは「環境のせいでないなら、自分のせいでしかない」や「私がなにをやっても上手く出来ないから、私の心が弱いから、私のせい、私が全部悪い」という考えに対しては「そうとも限らないのではないかな?」ということでした。
というのも(私は鬱の専門家ではありませんが)鬱はきっと誰でもなる可能性があり、その原因として言われるストレスは一見喜ばしい経験でも感じるもので、内実は多様だと思われるためです。学生さんであり、「やりたいことをやる」ようにしてくれたということから、これまであなたはおそらく様々な経験ー進学やクラス替え、友人関係や先生との関係の変化・卒業、習い事や部活、旅行などーをしてきたのではないかなと想像します。中には祝われたり羨ましがられたりする経験もあったかもしれませんが、環境の変化という意味ではどの経験もストレスを感じる経験ですし、仮にプラスの経験でも細かく見ていけばすべての瞬間がプラスに感じられるものではない(ストレスとなっている瞬間もある)だろうと思います。また、私は今の社会は不安定だと感じるので「やりたいこと」を選ぶことは不安定な中で自分の責任で決めていかないといけないプレッシャーを感じるものと思い、そのストレスから不調になる可能性もあるかと考えています(それが悪いという意味ではありません)。こうした視点は社会ではあまり共有されていないかと思うので、鬱になる決定的な理由を見つけられない=自身の「心が弱いから」と考える気持ちは理解しつつも、あなたの鬱には様々な社会的な要因があるのではないかなと感じています。その点でいえば、家族以外の大人や場と出会える機会が少ない社会であると感じるので、仮に「家庭環境」がよくても”家族の中の自分”(あるいは学校・友人関係の中の自分)以外でいられる機会が少ないということも考えなければいけないのかなと私は思いました。あなたが家族や学校・友人関係から離れ、ひとりのあなたとしていられて、そのあなたと関わる大人がいたらあなたの「辛い」はもっと語ることができるのではないかと感じるためです。鬱になることは何も悪いことではないですが、あなたの生きづらさは社会にあるように私には思えたことをそのまま書かせていただきました。またよければ書きに来てください。

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