経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

小さい頃からの積み重ねのでこぼこ

私は、とても今苦しんでいます。

理由は自分の夢を叶えたいのに叶えるための努力が出来ないからです。好きなことのために努力が出来ないからです。

本当に好きなことが見つかったり本当の夢が見つかった時人は皆頑張れるって小説や周りの人は言います。

でも私は違います、本当の夢、本当に好きな事のはずなのに努力ができません。毎日ダラダラYouTubeを聞いてTwitterを見ていつまで経ってもダラダラです。

私には大学に行きたいという夢とサイエンスライターになりたいという夢があります。自分でも勉強しなきゃいけないとは分かっているのにずっとダラダラしています。

生産性のない日々です。そのために私は何回か努力をけしかけて見たけれど全部散々でした。

こんなことになったのは、昔周りに言われた言葉によるコンプレックスが原因だと思っています。

私は今の自分がコンプレックスです。何も出来ないくせして勉強を怠るそんな自分が大嫌いです。

昔親に言われたことが真っ先に私は頭を過ります。親に「人は結局変われないどんなに変わったとしても見かけだけ性根は変わらない」「お前は結局口だけなんだ」と言われました。たしか親に夢を語った時だったように思います。

私は昔から続けることが出来ない性格でした。だから今はこの言葉もわかると思っています。

でもこの時の私にとってはその言葉は、毒でした。私にとっては必死に考えたことなのに踏み躙られて悔しくて悲しくて泣きました。

苦しくてでも言い返せませんでした。その通りだと思ったのです。

だから言い返せなくてそれで見返そうとも思いましたが、それをしようとする度にその言葉が脳をぐるぐる回って

1歩を出すのが怖くなりました。

自分のせいだとはわかっていたんです自業自得だって言うのは、でもどうしてもその言葉が頭を離れないんです。

どんなに計画を立ててもその言葉によって全てが台無しになる感覚になります。

どう考えても私には無理なんだ、私は何も成せないんだ、何も出来ないんだ、一生このまま愚図なんだって考えてしまいます。

それでどうせ出来ないことなら努力しなくていいやってずっと思ってきました。

他人を確実に満足させられないとダメなんだってずっと心の中で思ってきました。
それは、今もそうです。

誰かをあっと言わせないと私は価値がないんです。承認欲求なのは知ってます。

ここには昔からいじめられて舐められやすかったのも関係していると思っています。

小学の頃から体型でいじられたり、性格も強く出れなかったので、舐められたりしてきました。

中学の頃には友達にもいじめてきた人と似たようなことされて苦しいのに友達だと思ってるから拒絶も出来なくていよいよ苦しかったです。

中学の頃に出会った友人は親と似たような言葉を投げかけてきて、とても苦しかったです。でも何故か友達だからって許してしまいました。

この文を読んでどう思っても構いませんが、このことから私にとっては人が呪いのように見えます。

どんな人も私に呪いを投げかけてくるように見えます。でも、私を助けてくれた人もいます。だから苦しいです。

どうすれば良かったんでしょうか、どうすれば私は私を諦められるんでしょうか。諦めるのが難しいならどうすれば私は変われるのでしょうか。

もう分かりません。経験談なのにこんな稚拙な文章ですみません。考えてること考えてきたこと、書くだけでもスッキリしました。
支離滅裂で読みにくいかもしれませんが読んでくださってありがとうございます。

感想1

投稿ありがとうございます。
自分の中にある苦しさやどうしていいかわからない気持ちを、一気に誰かに向って綴ったような印象を持ちました。

理想の家を建てるためにはそれを支える基礎となる土台が必要です。土台がグラグラしていると家も斜めになったり、ちょっとの揺れで崩れてしまいます。土台は幼少期の経験を基にして作られていきます。例えば身近な家族なら意思を尊重されたり、SOSを出した時にケアされたりしながら成長して頑丈な土台になって行きます。

あなたの投稿を読ませてもらうと土台を築く時期にあなたの希望を尊重されにくかったり、小中学校はいじめを受けたりしているので、人が怖くなり、やる気や気力を出力しにくくなったのかなと想像しました。その結果「思ったように頑張れない」「相当なことをしないと自分には価値がない」という感覚が芽生えたように私には思えました。正に積み重ねられた感覚なのだと思います。

以前に理想と現実のギャップが大きいほど人は苦しくなるって学んだことがあります。
つらチェックってやってみましたか?つらチェックはそのギャップに焦点を当てて作られているそうです。もしもやったことがなかったら、今の自分を見つめてみるちょっとしたヒントになるかもしれませんのでおすすめです。

最近私は考えこんだら「折り合いをつける」ということにハマって?います。1つの物事を1人で考えているとその思考から抜けられなくなって「~しかない」と凝り固まって苦しくなることが多いものです。だから事実と感情を分けたり、過去のできごとと自分の今の感情を分けたり、やりたいこととやるべきことを分けたり、誰か第三者の話を聞いてみたり(この経験談もその機会ですね)します。どうしても誰かに傷つけられると「自分」の考えと「他人」の言葉が混ざったりもします。そういう時も分けて考えてみるんです。すると「~なんだ」って思考から「~でもいいかも…」に代わって段々考えが和らいだり、違う考えが浮かんだり、1つにこだわらなくなって楽になります。これが私の中の”折り合いをつける”です。もうどうしたらいいんだろう…そう考えるあなたの何か参考になったらいいなって思いました。(参考にならないかもですが)

今回は書いてくれてスッキリしたということでした。正にこれも折り合いをつける1つの方法ですね!また良かったら死にトリを利用してくださいね。

感想2

やりたいことがあるのに、努力できない自分への強いもどかしさや認められない気持ちが伝わってきました。読んでいると二つの相反する叫びが聞こえてくる気がしました。1つは「このままの私を認めてほしい、私を受け入れてほしい、そして自分も受け入れたい」という願いです。そしてもう1つは「こんなはずじゃなかった、本当はもっとできるはずだし、輝く自分になりたい」という願いです。明確な夢があるのに、それに向かって現実的な努力ができないというギャップはあなたの苦しさを象徴しているのかなと思いました。頭で思い描くことと実際の心や体がついていかないことは、比較的よくあることなのかもしれません。ただ、そのことに対してここまで真摯に向き合い、自分を追い込んでいくことにあなたらしさがあるのかもしれないと私は注目しています。
あなたは「自分を諦める」という表現を使っています。なるほど、自分を諦められたらこの苦しみから解放されるのかもしれません。でも、一方では諦めたくないとこれほどまでにストレートにもがいているのには理由があるようにも思いました。そこには望むことができてもできなくても、本当はそのままの自分を受け入れてほしい、受け入れたいという渇望感のような気持ちがあるのかもしれないと思っています。それは、おそらくタイトルにあるような小さい頃からの積み重ねがざわざわと騒ぎだして、あなたのコントロールの及ばないところで、あなたがあなたであることを邪魔しているのではないかと思いました。明確な夢に向かって努力ができないことも、自分を諦めたいのに諦められないことも、積み重ねのでこぼこの仕業のように思えてなりません。かといって、その積み重ねのでこぼこを含めてあなた自身です。他の人との付き合いは距離をとったり、縁を切ったりもできますが、自分との付き合いはそうはいきません。
どうしたらいいのかという答えはきっとあなた自身が出すものだろうと思います。1つだけ確かに私から言えることは、こうして自分の悩みや苦しみに気付いて、書いて送ってくれることであなたは悩みや苦しみと付き合う第一歩は歩んでいるということです。そして、私の経験上から、お伝えしたいこととしては、実は自分の努力で何とかなることはものすごく小さくて少ないということです。成功できない人が努力不足なのかといったらそうでもないですし、成功している人がすべてその人の努力だけなのかというとそうでもないです。自分の努力だけに目を向けるのではなく、自分の周りにある自分以外のものにも目を向けてみたり、自分に与えられられた条件の中で、自分で何とかなりそうなことを見極めてみたり、選んでみたりすると見える風景が変わるかもしれません(そうはいっても、実際には全然役に立たないかもしれませんが…適当に年配者の独り言だと思って聞き流してください…苦笑)。
いずれにしても、あなたは自分の心に目を向けて、悩み考えていることは紛れもない事実です。それだけでも私は価値と意味があることだと思いますし、それも努力の1つだと思っていいのではないかと思いました。きっと、今の悩みや苦しみも何かの役に立つと私は感じました。ただ、ひとりで抱えていくのは苦しすぎると思うので、死にトリに限らず自分を表現できるところにつながってください。死にトリならいつでも歓迎です。

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