今思えば私の親は私をコントロールする親だった。
ありがた迷惑という言葉を最初に覚えてのは幼稚園児の頃教育番組の真似をして洗濯物を畳んだら、まだ濡れている部分があったという理由で「あんたのしたことはありがた迷惑だ」と怒鳴られた。「お母さんごめんなさい。お母さん許して。もうしないから。」と泣いて謝ってもその日一日怒鳴られ続けた。
料理も一度も手伝わせてもらったことがなく、邪魔だからテレビ見ててと言われてテレビが遊び相手として育った。
小さい頃からよく夕方になるとお腹がキリキリ痛くなってお腹が痛いと泣いて訴えたが病院には一度も連れて行ってもらったことはない。成長期になると貧血か低血圧かで日中倒れることが何度もあったが、しばらく休めば動けるようになるので病院には連れて行ってもらえず、特に夏休みには一日寝たきりで過ごした記憶が強く残っている。
ネットで調べるとストレス性の過敏性胃腸症候群と起立性調節障害のようだけど、子どもの頃に治療すれば治ると書いてあるばかりで、大人になった今精神科にかかっても結局うつ病の薬を飲むだけで治らず、精神科に行くこともやめてしまった。
親には褒めてもらった記憶も抱きしめてもらった記憶もない。
そもそも4ヶ月から保育園に朝から晩まで預けられて、夜ごはんも保育園で済まし、家は風呂と寝るだけの場所だった。
よく離乳食を食べさせた記憶もトイレトレーニングをした記憶もないと自慢げに話しているし、宿題をやれと言った記憶もないと言っているが、そんな時間にそもそも母は家にいなかった。仕事だから仕方ないと子どもなりに割り切っていた。おかげで苦労なく大学まで卒業させてもらったことに違いはないが、父は愛想を尽かして小学生に入る頃には家を出て行った。
今日そんな親の前で、自分の子どもを強く叱ってしまった。自分の体調不良や親の甘やかしなどでイライラしており、子どもが泣くほど強く叱ったのを見て、「私はそんな風に子どもに当たったことはない。そんなんじゃ子育てできない。」と言われた。
怒鳴り散らかして家に置き去りにして出かけたことを忘れたのだろうか?暗い時間に外に放置して仕事から帰ってきた父に発見されたことを忘れたのだろうか?言うことを聞かない私を何度も引っ叩いてあんたなんか産まなきゃよかったと叫んだのを忘れたのだろうか?
親のような親にはなりたくないという強い意志で子育てに憧れて、育児書をひたすら読み込み、子どもには同じ思いをさせまいとイライラしない子育てを心がけていた。
それでも体調不良で実家に帰ると親の甘やかしがひどく、その度に子どもも癇癪が強くなって欲求が達成されるまで泣き叫ぶようになってしまった。まるで昔の自分を見ているようで、現実と理想の違いに怒りが収まらなくなった。
そんなことで怒るなんて親失格と責められる度に、お前にだけは言われたくないという思いから余計に怒りがヒートアップし言い合いになった。
親失格と言われて、子どもにも愛情をもてなくなった。
「甘えたいなら私じゃなくてあんたのおばあちゃんに泣きつけばなんでもしてくれるんじゃない?私は親じゃないんだって」と子どもに冷たく当たってしまい、子どもも泣いてしまった。
泣いている姿を見ても、あんなに大切でかわいくて仕方なかった子どもにうるさいとしか思えなくなった。
親失格と思っていた親に親失格と言われて、自分の人生で積み上げてきたものが全てぶち壊された気分だった。
今なぜ生きていなければいけないのかもわからない。この憎い子どもと一緒に死んでしまいたい。
唯一の気晴らしで、自分を刃物で切り付けるとスッキリする。これが唯一誰も死なず誰も傷つかない方法。でもこれは親にも旦那にも止められる。見つかったらまた親失格だと怒られる。じゃあ死ぬしかない。親失格と言われるのは死ねと言われるのと一緒。
親に頼らず子育てできない自分も情け無い。
虐待された親は子どもを虐待する確率が高いというデータも見たが、そのループから抜け出すことはできないのか??
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
虐待親の呪い
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
「なんでよりによってあなたがその一言を言うの?」という一言で、それまで気を張り詰めてどうにか保っていたものが崩れていく・・・そんな経験が自分にもあったので、それをさらに煮詰めたような苦しさを想像しながら感想を書き始めています。
体調不良のときに頼れる場所が、実家以外にあるような世の中だったら…という、「もしも」を強く願って、もどかしい気持ちにもなりました。
でも今ここで理想論をわたしが語っても、労いの言葉を重ねても、あなたにはむしろ虚しく響いてしまうだろうか…という葛藤の中、次の言葉を探しています。
わたし自身は虐待を受けた経験はありませんが、いろんな巡り合わせがあり、虐待を受けた人と関わる機会はそれなりにもってきました。
そして話を聞く度に、また、自分をコントロールしきれない状態を実際に見る度に、虐待というのはまさに「呪い」に近いなと感じています。
産まれてからずっと、身近な自分を守ってくれるはずの大人から、つらい仕打ちを受けていると、「自分はどうせ○○な人間なんだ」というのが心身に刻み込まれてしまう。そして、心が弱ったとき、不安になったとき「どうせ私なんて○○だ」「そうでしょう?もうダメだ」と、大事にしたいものも、積み重ねてきたものも、なぎ倒されていく・・・そんなイメージがわたしにはあります。
それに当てはめたときに、あなたの「どうせ○○だ」が何になるかはわからないですが、「親みたいな親には絶対にならない」という努力と結果によって、「どうせ○○だ」に引きずり込まれていく(かもしれない)自分を留めていたのかな、という印象を受けました。
泣いている子どもにうるさいとしか思えないときや、子どもにきつい言葉をかけてしまうときは、どんな親にもあるとわたしは思います。親だろうと一人の人間なので、あなたの身に起こったように人に責められたら、心の余裕もなくなって当然だと思います。
その狂おしいと呼べるほどつらい精神状態にあって、自分を傷つけるという方法で気晴らしをすること、経験談に思いを送ってくれたことに、あなたが懸命に生きのびようとする力をわたしは感じてしまいます。
積み上げてきたことは、もしたとえ表向きは壊れてしまったとしても、無意味になることはないとわたしは思っています。
また、これまであなたが子どもを大事にしてきたことも、子どもの中に積み重ねられているのではないでしょうか。
まずは、あなたの頼れる先や、語れる先が少しでも見つかってほしい…と願っています。また死にトリもいつでも利用してください。
感想1
「まだ、支配は終わっていない」経験談を読み終えた時にそう思いました。
昔だけではなくて今もあなたの親はあなたを支配しているように思えます。以前は親としてあなたを育てるという立場で、そして今は祖母としてあなたの子どもである孫を面倒みることによって不全感や欲求を満たしているように私には見えました。あなたは親を反面教師にして子どもが安心して育つ親になろうと自分なりに必死で頑張ってきたのに、そうさせない様なとても複雑な現実が目の前にあったんだろうと思います。そのギャップにとても苦しんでいる様子が浮かんできます。
私が感じた複雑な現実…あなたの親が甘やかす孫と幼少期のあなたが重なったり、あなたの親になつく子どもがかわいくないという感覚になったり…私があなただったら整理できない複雑な感情に毎日振り回されそうで、強い怒りを感じたり、子どものことが憎く感じてしまうのもわかるような気がしました。
まだ続く支配の中で子育てをする…それはあなたが目指す親になろうとする(ループから抜け出そうとする)にはかなり過酷な子育て環境なのかなと私は感じました。まるで激流の川を浮き輪もロープも無しに小さなボートで川上に向かって漕いでいるようなそんなイメージが浮かんできました。
でも今回こうやって死にトリにつながってくれたことがループから抜け出す何か小さなきっかけになるかもしれません。あなたはあなたとして生きようとしてきた姿勢や行動は経験談からとても伝わってきました。だからこそ私は浮き輪やロープのように親とは別の支援者につながって欲しいなって思いながら感想を書いています。もしかしたら親がいることでそういう方法も考えにくいのかもしれません。そんなときはどうしたらいいか一緒に考えたいと思いますのでまた死にトリに来てほしいと思います。
投稿ありがとうございました。