つらチェックは79点
『人生はハードモード』です。
ですよね。
ちょっと笑いすら込み上げる私を常に俯瞰で見る私も笑った。
具体的にいつから?と判断するには難しいがまず物心がつく(幼稚園児程度)の記憶から劣等感がついてまわり、
それに引きずられるように既に希死念慮がありました。
ずっと私自身の存在が無い事になる事を希望しています。
存在自体が恥ずべき存在。
それが呼吸一つで無理をしている感覚の正体なのかな?と思っています。
他人よりも劣っていると自分への落胆、周囲や母に同じように思われているのではとの猜疑と羞恥心。
どんなに渇望してもから回る実母への執着。
『あんたは本当に人をイライラさせる事だけが取柄』
『何をしてもグズグズしてのろまで嫌になる』
『あんたは何を食べさせても本当に不味そうに食べるから食欲がなくなる』
実母から構って欲しいと思っても
大体、この類いの台詞しか貰えないのでした。
いっその事、1人が楽だと思えたらどんなに楽だっただろうか?
と今でも思う。し今でも孤独感は私を度々なやませます。
他人から観たら普通の家に産まれて
普通に学校にも行かせて貰い、
飢える事なく実家で暮らせて恵まれていると自覚はしています。
そして、その時実母も辛い状態だったと知った大人になっても
どこか消化しきれていない、澱のような何かが時折、希死念慮を連れてくるのです。
夢では父、母、私をクラスで吊るし上げることで結束力が上がったような錯覚をしている小学生の頃の夢を今でもみます。
荒いヤスリで削れるような痛みを錯覚します。
今は偶然のまた偶然の巡り合わせで
優しい夫と娘が2人います。
こんな人間のふりすら難しい私がなんで烏滸がましい生き残っただけの恥さらしが…
と罵倒は消えません。
ただただ、大切な人達が悲しく辛い目に遭う事がないように
それを私が見前に自分勝手だと自覚しつつも先に終わりを望んでいます。
大切な人達の肥料になれば幸せなのですが迷惑しかないので
いつもそれを決行できないのです。
40を超え、自分で決めた期限も過ぎました。
40になったら終わろうと思っていました。
そしてきっと今日も終われなかったと
後悔と少しの安堵と1日1日を終えています。
感想1
経験談の投稿をありがとうございます。
学生時代の課題図書で太宰の「人間失格」を読んだとき、この人は生涯を恥の多いものと言うけれど、存在は恥ではないのだろうな…と思ったことを思い出しました。そして、存在自体を恥と思ってしまう私は、失格にも当たらない何者なのだろう…と、しばらくモヤモヤしていたことを思い出します。結局結論の出ないまま、時間を重ねてきましたが、投稿者さんが『呼吸一つで無理をしている感覚の正体』と書いてくださったことで、今どこか救われた私です。美味しい空気に満ち溢れた世界で、いつかは過ごしてみたいものです…。
大人になると、いろいろな事象の原因や理由を見つけること、それを理解することが得意になってしまうように感じています。でも、本当の感情は整理もされないまま、ずっと心に影を落とし続け、荒いヤスリで削られ続ける…。傷は癒えるどころか、カサブタにもならない…。どうしたらヤスリを手放すことができるのか、誰か断捨離でもしてくれたらいいのに、と思います。
偶然の巡り合わせだったとしても、優しい夫さんと娘さんがいる今。その方たちと過ごす時間は、投稿者さんがヤスリと距離を置き、肌触りの良い毛布に包まれる一時であってほしいと、心から思いました。そして、今日も終われなかったと思うときに、安堵と少しの後悔に変わる日が来ることを願っています。
今日はどんな思いで1日を終えられたのでしょうか…。もしまた書いてみたい気持ちになったときには、届けてもらえたらと思います。