経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ただぼんやりとした不安

第一志望の大学に合格したが、これでいいのかと思ってしまう。合格したことを嬉しいと思えない。むしろ「入らない方が良かったかも」と思ってしまう。大学に入ったら大量の課題と定期考査に追われる忙しさから精神を病んで中退する未来しか見えない。「大学に落ちて浪人している人もいるんだからお前なんか大したことないさ」と言われればそれまでなのだか、どうしてもモヤモヤとしてしまう。
今から振り返ってみると、志望校に合格して「やったー嬉しいな、新生活が楽しみだな」とポジティブな気持ちになったことはなかった。それどころか「ああ行きたくないなあ」と思っていた。そして実際に入学すると、授業をこなしていく辛さから「学校辞めたい、他にもやりたいことがあるから別の学校に行きたい」と思うようになった。
学校に行く辛さを親に相談すれば「どうせ学校生活なんかあっという間に終わるんだから行きなさいw」「社会に出たらそんな考えは通用しない」「こっちなんか仕事でもっと大変なんだからお前なんか大したことない」「学校を休んだら変なサボり癖がつくからダメだ」と軽くあしらわれた。私の家は「学校に行かずんば人にあらず」という雰囲気だったのでこれ以上相談もできなかった。(その割には「何かあったらはっきり言いなさい!」と言ってくるからタチが悪い)学校の先生やカウンセラーにもなかなか相談できず、我慢して中学高校を過ごしてきた。
おかげさまで性格が少し歪んでしまった。大学に入ったら、今まで我慢してきたツケが回ってきそうだ。そろそろ心身ともに限界が来てもおかしくない。「お前は大学に入って遊びほうけたいのか」と言われたらそうではない。休みたいのだ、とにかく。「サークルに入れ」とうるさく言う親が鬱陶しい。体がだるい。島も何も見えない大海原で一人でプカプカしているような気分だ。
もし大学を辞めて実家に引きこもってしまったら、親に「この人でなし、お金を出してやったのに」と言われるのだろう。学費も生活費も何もかも出してくれて、バイトをわざわざしなくてもいいのだから、文句は言えない。そうなったら、私はどこかに行ってしまおう。そしてふっと消えていなくなってしまおう。
そうなっても構わないと思ってしまう自分がいる。別に将来やりたいこともないろくでなしなのだから。「〇〇をしたい」と将来の目標をはっきり持っている周りが羨ましい。どうしてそのように考えられるのか不思議でしょうがない。

感想1

第一志望の大学に合格をしたり、辛さを感じながらも中高時代は学校に頑張っていったりと、あなたは「こうあらねば」という状態に向かってまじめに取り組まれる方なんだなと感じながら読ませてもらいました。
ハードルを飛び越えるように、ひとつひとつをクリアしながら人生を過ごしてきたのかもしれません。「入らない方がよかったかも」という気持ちは、大学にいけなくなってしまうかもしれない=うまくやれないかもしれない、という不安でもあるのかなあと想像しています。先に先に目を向けながら慎重にすごしていて、新しいことにわくわくするよりも新しい環境に適応できるのか不安になることもあるのではないでしょうか。
どこかにふんぬと力を入れたらどうにかできるのだけれども、ただずっと頑張っていてそれに疲れてしまっているように感じています。「休みたいのだ、とにかく」というのが、もう頑張るのはたくさんだ、というあなたの叫びのように聞こえてきました。
文章を読ませてもらった私の勝手な気持ちとしては、心のゆくままに休んでほしいし、あなたが少しでも緩められる時間あったら、と思っています。常に先を見ている分、いつもどこかを緊張させながら頭を動かして生活しているのではないかなと。(私自身がそうなので、という予測です。)強制シャットダウンのように、意識して何も考えないというのも一個の方法なのかも~とここ数年で経験したこととして、そっとお伝えしたいなと思っています。
またあなたと親の関係も、あなたが我慢をしてできる限り合わせて過ごすことで成り立っているのではと感じています。もし、親元から離れて暮らせたり、少し距離をとったりできるのであれば、それもあなたが休むために必要な手かもしれないな、と私は思います。

周りの人はあなたほど予測していなかったり、不安を感じていなかったりするので将来のことを考えられるのかもしれません。また将来の目標がないのがだめなことでもないと感じています。ただあなたの心がうごくものが世の中にはあるかもしれないので、心ゆくままにやすんで緩めたあと、あなたの予測をいったん横に置いてみて、あなたが感じることに寄り添ってみてもいいのかなと思いました。
投稿ありがとうございました。

感想2

第一志望の大学への進学が決まっても、希望する職種への内定が決まっても、ポジティブな感情を抱くことが難しかった自分自身の経験と、あの頃の気持ちを思い出しながら読ませていただきました。
「休みたいのだ、とにかく」というのが、今の投稿者さんの唯一の希望、目標なのではないかと感じました。〝休む〟ということは、第一志望への合格や日々の様々な人間関係をこなすことより、簡単そうに見えてとても達成が難しいことのように思います。ただ休みたい。それだけなのに、言葉にすることも許されず、言葉にする前に他者(親)からそれ以上の言葉で蓋をされてしまう。そのような抑圧された状況では、将来の目標を持つことも難しくなってしまうものと思いました。
本来の投稿者さんには、やりたいことがあり、そのために他の学校に行きたいという思いがあったのですよね…。その思いを周りの大人が聞ける状況にないことに、憤りや悔しさを感じます。せめて「休みたい」という希望を聞いてもらいたいと、願わずにはいられません。
何も見えない大海原から、小さな無人島にレジャーシートとパラソルが見え、浮き輪に乗ってプカプカと浮いていられることができたら…。一緒に波に揺られ、浮かんでいたいと思いました。
経験談の投稿をありがとうございました。

感想3

新生活や新しい環境に飛び込むにあたって人間関係やこれからやらなければいけないことを想像してしまって、いつも不安の前借りをしてしまう私自身が大学合格時から入学に至るまで思っていた気持ちととても重なるものがあり、勝手ながらに親近感を感じながら読ませて頂きました。

高校を卒業したら働く、もしくは専門や大学に進学したりなど“世間で言われがちなルート”に乗れたはずなのに、未来への見通しや自分の姿が投稿者さんにとって明るいものではないのは自分が選択した現状やこれからに対して、もしかしたら投稿者さんの意志や在りたい自分があまり反映されていないからなのかなと想像していました(違っていたらすみません)。

親から醸し出される「学校にいかずんば人にあらず」という雰囲気はとても相談できる気にはなれないと思いましたし、かといって「何かあったらはっきり言いなさい!」と投げかけられる言葉はただただ困惑させられるものであったのかなと想像しましたし、「今まで我慢してきた」ともあるように、もしかしたらこれまでも投稿者さんはそういった言葉をかけられつづけてきて自分の意志や心に思っていることを表出する機会を奪われてきたこともあったのかなと想像していました。

「他にもやりたいことがある」というのが何なのか気になりつつ、今は「休みたいのだ、とにかく」という他の誰でもない投稿者さん自身のありのままの気持ちを大切にしてほしいと私は思います。それをやることは簡単ではないのかもしれませんが、可能ならそれこそ大海原をプカプカと浮かぶように休んでいたら、「〇〇をしたい」と投稿者さんが思う何かが見つかったりもするのかなと私は思いました。

投稿ありがとうございました。

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