経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

僕が人間不信になった理由

僕は、現在20代の男性です。
仕事はしていません。就職したことはありますが、どれも長続きせず辞めてしまいました。
今回の本題はそこではなく、僕の対人不安についてです。精神科に行ったことはありますが、そういった診断はつきませんでした。(適応障害と診断されたことはあります)

僕は人の目が気になったり、他人が自分に悪意があったり、自分のことを嫌いに思っているに違いない、と思うことがよくあります。コミュニケーションが苦手です。また、他人との距離感が分かりません。
自分は、そういったことを感じる原因が小学校高学年の頃のいじめられた経験にあると考えています。

集団で、女子がほとんどでした。リーダーが女子で、今でも名前と顔は覚えています。されたことは、「キモい」「ブサイク」「触るな、菌が移る」という、容姿に関する言葉の暴力が多かったです。それと同時に蹴るといった身体的な暴力、スーツケースに閉じ込められるということもありました。
最終的には学年のほとんどの子が他の人が言っている言葉を真似して、いじめに加担していました。仲の良かった子にそのようなことを言われた時はとてもショックでした。僕の場合は、言葉を言われた瞬間は、泣くというよりも、笑ってごまかしていました。それが原因でいじめが終わらずエスカレートしたのかもと思いますが、当時の自分にはそれが最善だったのかもと思います。

しばらくして、会う友達にみんなに悪口を言われるので、学校の児童全員が自分のことを「キモい」と思っているのだ、と錯覚するようになりました。自分がモノに触ると「触ると菌が移るから触るな」と言われるので、次第に自分のもの以外に触ることに抵抗がでて、触らなくなりました。
それからしばらくすると、学校ではなく街中の知らない人みんなが自分のことを「キモい」と思っているのではと錯覚していきました。街中を歩くのが怖かったです。知らない人ですので言葉は言いませんが、そういった人も、自分を悪いウイルスのように思っているのではと、感じていきました。

いじめ自体の顛末ですが。母に相談したところ担任の先生が対応してくれましたが、完全に終わることはなくリーダーなどは最後までいじめをしていました。最後までというのは小学校卒業までということです。僕の中では「もうすぐ卒業だからそれまでの辛抱」と思って耐えていました。

それから紆余曲折ありながら、大学まで卒業し今に至りますが、今振り返ると、その心の傷は今も癒えてないように思えてなりません。
こんな経験談ですが誰かが読んでくれるだけでどこか救われる気がします。

感想1

 経験談の投稿、ありがとうございました。読みながら、こんなに大事になっているのに、何故大人は早く気づかなかったのだろう?と当時の周囲にいた大人達に対して納得がいかないモヤモヤした気持ちがが湧いてきました。
 私だったら小学校卒業後、学校自体に行くのが怖くなってしまいそうだと思いましたが…あなたは大学までやり遂げたんだ、そして対人不安があるとのことだったからきっとそれは大変なことだったんじゃないかと思いました。あなたが一体どんな過程で大学までやり遂げたのかお話をお聞きしてみたいです。
 話は変わりますが、人と人との間には境界があるとされていて、その境界が曖昧になると、人間関係に様々な問題が生じます。あなたの身体はあなたのもので、誰かがあなたの身体を傷つけていい理由はないというのが境界の考え方です。小学生だった当時のあなたは、身体の境界を侵害されていた=適切な距離での関わりではなかったということだったように私は感じました。ですので、そのことが今現在の「距離感が分からないこと」に繋がっているのかなと私は考えました。(あくまで私の考えですので、違っていたらすみません。)
 また、あなたはもしかすると「好きか、嫌いか」の2択で生きていらっしゃる部分もあったりするのかな…と私は感じました。それは、実は私がそうだからです。私は幼少期に安心できる経験をあまりせず、今他者から向けられるものは「好きか、嫌いか」の2択で考えてしまっています。対人不安も大きいので、「好き」という感情が、唯一私を安心させてくれるものです。
 酷い言葉をかけ続けられた経験は、安心感が失われると私は思っています。また人からの言葉に敏感になり、実際にはそう思われていないとしても、最悪の想定をしてしまいやすくなるのかなと私は考えています。あなたの「自分のことを嫌いに思っているに違いない。」と思うことは、こういったことが関係しているのかな、と色々考えてみました。
 この場所には、あなたと同じように対人不安を抱えている人も多くいらっしゃると思いますので、そういった思いを共有する場としてまた死にトリを活用して欲しいなと思いました。お待ちしていますね。

感想2

投稿、読みました。これまでも今も、小学生の頃のいじめられた経験がずっと投稿者さんの心に深く刻まれていて特に人との関わりで大きく影響していることが伝わってきました。人の目が気になってしまうのも他人が自分に悪意があったり嫌いに違いないと思ってしまうのも、書かれている状況を想像すると、そうなってしまうのも無理はないなと私は思いました。
言葉の暴力も身体的な暴力もどちらも傷つくことではありますが、どちらかというと言葉の暴力のほうが忘れたくても忘れられず、言われたことをふとした時に思い出したりして苦しくなったりしているのではないかなと想像しています。最終的には親に相談したのちに先生が介入してくれたようですが、そこまでに至るまで一人で抱えていたことを考えるとよく耐えてこられた(耐えざるを得なかったのだとも思いますが・・・)なと思いましたし、「僕の場合は、言葉を言われた瞬間は、泣くというよりも、笑ってごまかしていました。」とあったのでその時の投稿者さんの気持ちを考えると周囲の言動には憤りを抱いてしまいます。
冒頭に少し書かれていた就職しても長続きしないのは人間関係が理由のことが多かったのでしょうか。他人との距離感が分からないのは、投稿者さん自身の問題ではなく適切な距離感を学ぶ経験を積むことができなかった環境に原因があると私は思います。人と関わるということ自体に怖さがあってなかなか難しいことなのかもしれませんが、この先色々な環境に身を置くことになったり人と関わる中で少しずつ“距離感”について自分の中で習得できることを勝手ではあるのですが願っています。(私も人との距離感は本当に苦手で未だにトライ&エラー繰り返しています。苦笑)
心の傷を癒すというのは容易なことではありませんが、こうして投稿してくれたように自分のこと(気持ち含めて)を言葉にすることが投稿者さんにとって役に立ちそうでしたらまたいつでも死にトリを活用してほしいなと思っています。経験談の投稿ありがとうございました。

お返事1

ご感想ありがとうございました。
いくつか感じたことを返信します。

>>大学までの生活について
大学卒業するまで、決して簡単ではなかったです。
中学と高校は、不登校を繰り返しました。相談学級に通ったり中学・高校を転校しました。
強いて言えば、相談学級や、卒業した高校での人間関係には恵まれました。壁を感じることは常にありましたが、そんな中でも比較的信頼できる先生や友達がいました。現在でもその高校のころの友達とは連絡をとります。
大学は一年留年して五年で卒業し、友達は二人しかいませんでした。そのうち一人は、高校からの友達で一緒に同じ大学に行きました。大学の頃の学生相談室の先生はとても信頼を置いていました。僕の生きづらさをよく理解してくれていたと思います。その先生がいたから、五年かかりましたが大学も卒業できたのだと感じます。

>>「好き」か「嫌い」の2択
感想の中で、僕が「好き」か「嫌い」の2択で生きているのでは、と書いてありましたが、おっしゃる通りだと思います。
嫌いではないと確信できる材料がないと常に相手を警戒したり怖がってしまいます。いつ自分に危害を加えてくるかビクビクしている感じです。仮に気を許している人でも、些細な言葉が深く胸に刺さっていつまでもそれについて考えしまったり傷がついてしまいます。

>>就職しても長続きしない
就職しても長続きしないのは人間関係が理由か、と書かれていますが、こちらもおっしゃる通りです。学生時代から勉強は得意なので仕事ができないことで退職につながることは、少ないです。
具体的には、上司に少し注意されるとひどく怒られて自分のことを否定されたように感じてしまいます。例えば研修で教わって上手くできないと、上司の視線が気になって自分を強く責めてしまいます。
常に自分は上司に見下されていたり、上司から邪魔な人間に思われていたり、仕事を教えてもできないダメ人間と思われていたりと、そんな考えが絶えません。

長文失礼しました。
僕の気持ちが伝わったでしょうか。
自分の考えやこれまでの経験を、こうやって文字や文章で言語化することはとても難しいなと改めて感じました。
今の無職の状況から早く抜け出せればと思います。
また、この経験談が何らかの形でどなたかのお役に立てば非常に嬉しいです。

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