経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

養子縁組

私は4歳の頃、アルコール中毒の祖父とその再婚相手の中国人の祖母の養子縁組となりました。理由は、私の父に恨みのある男が母のストーカーになりいつしか家に住みついたので、私の身の安全のためと聞いていました。でも私が小学3年生のときに、酔った養父から「お前の母親はあの男(ストーカー)との間に子どもが出来て、3人で仲良く暮らしている」と聞かされます。私は実母と一緒に暮らせないのに、一緒に暮らしている子どもがいることにひどく傷付き、パニック状態になったのを覚えています。それ以降から養父は食事を取らずお酒を飲み、人格が変わり、嘔吐や下痢で苦しむ声が家中に響き渡りました。養母は小学生の私をアルコール中毒の養父と置き去りにし、実家へ帰っていました。中学校の入学式の日に養父が亡くなりました。葬式のために実母とその手を引く異父兄弟が現れて、養父の言っていたことが本当だったことを思い知ります。実母は「 この子はあの男が面倒を見るはずだったけど、あの男の母親の虐待のせいで失明しかけて、私が引き取った」と私に弁明しました。葬式が終わると、養母と実母の長きに渡る親権と相続の争いが始まりました。その間に、実母から「実の父親に会わせるから一緒に暮らそう」と提案され、養母との喧嘩を発端に私は養母のもとを去り、実母と暮らすことことにしました。実際実の父に会えることはなく、実母はよく養母の悪口を私に吹き込むようになり、暴力は振らずとも「疫病神」「悲劇のヒロイン」だのと罵り怒鳴り、そのうち「あんたは養母にそっくりだ」と軽蔑し、弟をあからさまに可愛いがりました。そんな中で部活帰りに弟を保育園に迎えに行くようお願いされたり、休日は弟の子守りを任されて、弟がどうしても可愛く思えず、上手く接することが出来ませんでした。私が高校生になってバイトを始めても弟を任されることが多々あり、ひどいときにはもうバイトの時間というときにお願いされ「あんたがバイトを休まなきゃ弟はひとりだから」と、なんとか私が休むよう促されました。バイト代は「あなたのために通帳を作ったから、毎月2万は自分で取っておいて、残りはこの通帳で貯金していきなさい」と言われ、母を信じていた私はその通りにしていると、下手な理由を付けられ根こそぎ奪われました。そのうち母は朝帰りを繰り返すようになり、新しい男が出来ました。私は弟の父親のことがあり、実母に新しい男とは絶対に会わないと伝えておりました。高校生活にも慣れて来た頃、急に高校から車で1時間、交通機関を駆使して2時間離れた場所への引越しを告げられ、その一週間後に引越し。引越したその日に、母の男との同居が始まりました。男が家に訪れた時点で私は部屋に籠りました。翌日男が出かけたのを確認しお風呂へ入ると、風呂の外から「黙って聞きなさい」と、母から男への挨拶がなかったことを攻め立てられ、終いには「私の父親(私の養父)をお前は見殺しにした」と言われ、私は風呂の中で声を押し殺して泣き、そこにあったカミソリで初めてリストカットをしました。その後、当時私に「虐待で失明仕掛けて〜」と弁明していた弟を引き取った理由が、虐待の事実はなかったことをポロッと実母が漏らし、いろいろ聞いていたこととの相違が現れていきました。そこから社会人になり4年後、戸籍も抜け、引越し先も引越すことさえも告げずに県外に引越しました。このような経験から未だになかなか人を信じられず、彼氏が出来ても試すようなことばかりして上手く行かず。知り合いは出来ても、遊びに誘うことも気が引けて孤独です。自分のことを知りたくて、子育て支援員の資格取得の際には養子縁組にも触れている社会的養護コースを選択し”負の連鎖”を知り、結婚や子どもを作ることに対しても前向きになれません。孤独の中で垣間見える情緒不安定な実母に似た自分の姿に、死にたいと感じています。

感想1

読ませていただきました。
本来あなたを守るべきはずの「親」という立場の人たちが、守られるべき「子」であるあなたにたくさんの嘘を吐いて、あなたの「誰かを信用する力」を繰り返し奪っていったのだなと感じました。信じた先に「良い結果」があった経験がないと、中々人を信じられないよなあと思います…。
また、本来のあなたはきっと、「自分」という存在によく目を凝らして、自分がしたい事を信じて、実行できる力がある人のはずだという印象を受けました(文章の端々から、あなた自身がどう思ったのか、相手が自分をどう扱ったのか、という自他に線を引けている視点が垣間見えるところから、そう感じました)。そして、大人たちの身勝手や狡さに巻き込まれても尚、その力が失われていないからこそ、「自分のことを知りたい」という気持ち・学ぶ姿勢があるのだと思いました。
日々の生活の中で、ご家族の幻影がある種の呪いのようになって、何度もあなたを襲うのだと思います。死にトリで経験談を書くという行為が、少しでもその呪いを小さくしたり、別の形に変えたりして、あなたから離れるよう願うばかりです。
投稿ありがとうございました。

感想2

子ども時代に保障されるはずの安全や安心を得ることができず、大人の事情に翻弄された過酷な経験を思い出すように語られているのが印象的でした。その時の情景や言われた言葉など記憶に強く刻まれているシーンがいくつかあるのだろうかと思いながら読みました。その内容に対して、タイトルが「養子縁組」というのがちょっと気になりました。私がタイトルとつけるとしたらと考えてみて「信用できる大人に会いたかった」という心の叫びを勝手に想像して考えてみましたが、どうでしょうか。でも、最後に今、社会的養護の勉強をしているという話題があったので、それで「養子縁組」というタイトルになったのかもしれないとも考えました。
いずれにしても、人を信頼するための土台がないなかでもここまで生き抜いてきたことに敬意を抱いています。そして、その経験をこうして思い出して、客観的に語り、送ってくれたことに感謝したいです。また、子育て支援員の資格取得に向けて勉強していることは自分をもっと理解したいという願いがそこにあるのだろうと思いました。
最後に負の連鎖についてですが、私にはあなたはすでに負の連鎖から脱しているように感じました。なぜなら、自分自身の課題を受け止め、孤独であることや不安であること、そして親密な人間関係で試すようなことをしてしまったり、人を信じられないということを具体的によく把握し、より理解しようとしているからです。いくらわかっていても、上手くいかない事実は簡単には変わらないと思いますが、わかることが第一歩だと私は感じています。上手くいかないことにはちゃんとした理由があると私は思いますし、それはあなたのせいではありません。それはあなたも痛いほどわかっているのだろうと思います。そのことがわかっていることが強みで、おそらくそのことが役に立つ場面や生かされることが必ずあると私は思いました。
死にトリの連携サイト「生きづLABO」https://ikidulabo.lifelink.or.jp/では今後、研究員を募って自分の生きづらさについて社会的に理解するような仕組みを作る予定です。もしよかったら、のぞきに来てください。死にトリにもまた声を届けてもらえると嬉しいです。

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