経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

私の人生って何?

私は解離性障害(同一性障害)です。
原因は2歳の時に母が出産と胆石の手術を受けるために、預けられた(妹は母の実家)父方の伯父の家で伯母からの虐待でした。
この家には二人の兄弟がいて、特に弟さんがやんちゃ。
伯母は弟さんを溺愛していることは幼い私でも明確でした。
弟さんが玩具箱をひっくり返した際に出る大きな音で伯母が怒鳴りながらやって来て、お兄さんが弟がと言っても信じてもらえず私を含めて連帯責任だと頬を平手打ちされるのは日常的で、更に私はこの家族と共に食卓を囲む事はなく、子供用の折りたたみ式のテーブルが部屋の隅に置かれていて壁を見ながら食べる、寝る際もお仏間で一人で寝ていました。

布団の中で私が母を思い出して泣くので、伯母がなにか文句を言いながら肌色電球だけ点けで寝室に戻る。
怖くていつも顔色を伺っていた記憶があります。

これがスタートで、家に帰ってから最悪な環境から愛情に満ち満ちた生活を送れたら良かったのですが、知らない間に赤ちゃんがいて妹と言われたので可愛くて触りたい・抱っことかしてみたいと思うのと行動するのは誰しもがある事。
しかし、妹が泣くので母から「嫌がってるから触らないで!」と言われ続け、妹に母を取られたと言う気持ちが強くなり妹の存在が精神的に嫌でした。

書き忘れましたが子供の頃から極度の人見知りで、スパルタ教育の幼稚園に通園しており。
特定のグループからイジメを受けていても誰にも言えず、これは後に母から聞いたのですが夜中に私が特定の子の名前を言ってうなされ続けていたから大きな病院で診てもらったら“ヒステリー”だと言われたとの事。

特定のグループは、その後もイジメ対象としてエスカレートしていったのですが、追討ちのような形で父からの精神的抑圧・抑制、アルコールが入ると人が変わるので言葉も恐ろしく答えのない質問を夜〜朝方まで続き、行動制限もあり友達が出来ても遊びに行く際は友達の名前と電話番号を書かなければ許可は出ませんでした。
書くだけと思っていたのですが、父は友達の家に電話し確認をしていました。
当然、友達から絶交されてしまいました。
これらは私が社会人になっても続き、私は父が敷いたレールから外れることなく生きていました。

社会人になると、酷いイジメと私が知らない世界が広がっていて戸惑いと楽しいが入り混じり。
しかし厳しい門限もあり1分でも遅れたら鍵がかけられて、合鍵で静かに入ると父からの罵声。
土下座して謝っても「そんなもんはサラリーマンのクズがする事だ!」と。

私は自分の精神がギリギリで悲鳴をあげている事にも気づきませんでした。
重度の過呼吸症候群で2ヶ月半入院し、職場復帰は派遣社員として転々とし、イジメにも耐えた後に待っていたのが解離性障害だった。
顔色を伺って、つらいのに笑顔でいて。
言葉のナイフでズタズタに切られて血を流していても笑顔で心配ないと同時に不安定な心がリスカや自殺へと導く。
知らなかった“ストレス”生まれてこなかった感情の数々。

私の人生は父が敷いたレール。
自分じゃない。一人暮らしをしても呪縛から解き放たれない。
妹は私とは真逆の人生で羨ましい。

こんな人生いつ終わらせてもいい、楽になりたい。

感想1

幼少期の生活環境、そして大人になってからも続いたお父さんからの抑圧、家でも学校でも居場所を感じられないまま過ごしてきたことが伝わってきました。これまで周囲から受けてきた言動、感じてきた理不尽さは想像以上に耐え難いものだったでしょうし、それでもただ耐えるしかなかった投稿者さんのことを考えると、タイトルにもある「私の人生って何?」という問いが重たくそして切実な思いとして表現されているなと私は感じました。
「私の人生は父が敷いたレール」、「一人暮らしをしても呪縛から解き放たれない」という言葉が印象的でどんなにもがいても、自分の人生を自分のものとして生きられないことへの苦しさがずっと続いているのかなと想像しています。また、ずっと周囲の様子をうかがい波風立てないようにしてきたことでの影響が“つらいのに笑顔でいる”ことに繋がっているのだろうと思いますし、せめて死にトリは投稿者さんの素直な思いを表現できる場であってほしいなと勝手ながら思うのでした。
そしてどうすれば今の苦しみから人生を終わらすという選択肢以外の方法で少しでも楽になれるのか、どういったことがそれには必要なのか投稿者さんと一緒に考えてみたいなと私は思いました。良ければまたいつでも死にトリに参加してくださいね。お待ちしています。

感想2

家族との関わりを通じて、極度のストレスにさらされてきた半生を語っていただきました。幼い子どもにとって、必要な保護を受けて、愛情を注がれ、辛いときには慰めてもらう機会を奪われることが、どれほど深刻なことだろうと思いながら、文章を拝読しました。辛い思いや寂しい思いをしたときに、それを察してもらうことも、打ち明けることもできずに、ご自身の心のなかでひたすら耐えるしかなかったのでしょうか。子どもの頃に抱いた切実な思いを日常的に無視され、放置されてきた様子が伝わってきます。そして、逆に成長してからは、お父様からの過干渉や支配的な言動に従うことを余儀なくされてきた。どちらにしても、自分の感情や考えを抑え込んで生きるほかなくなってしまいます。解離性障害の原因は2歳のころの伯母からの虐待と書いておられましたが、ご両親との関わりを含めて、もう少し長いスパンにわたって深いダメージを受け続けてきたのではないでしょうか。
投稿者さんはこれまで、自分の感情を切り離すという手段により、過酷な環境に何とか適応して来たのだろうと想像します。それは当時の状況を生き延びるために必要な対処だったとは思いますが、投稿者さんのその後の人生の生きづらさの原因にもなっているのではないでしょうか。子どものころにも、社会人になってからも経験したいじめ被害は、その一つかもしれません。もちろん、いじめはいじめる側に問題があるのですが、攻撃されたことに対してしっかり怒りを表現して、有効な反撃ができない人は、いじめで不満を解消しようとする人の標的になりやすいと思われるからです。なぜなら、常にいじめる側も自分の加害行為のリスクを負うことや、周囲の人々から非難されることを恐れているからです。
もう一つの悪影響は、投稿者さん自身が語っておられるように、「自分の精神がギリギリで悲鳴をあげている」ことに気づかなくなることだと思います。ストレスに「笑顔で心配ない」対処をして、それでも溢れてくる辛さから自傷行為をしてしまう。ここを読んだとき、私には寂しくても、辛くてもたった一人で歩き続けてきた投稿者さんの子供の頃の姿が浮かび上がるような気がしました。投稿者さんが、「こんな人生いつ終わらせてもいい、楽になりたい。」と思うのも、無理はないと思います。なぜなら、魂を削りながら生きてきた投稿者さんの涙ぐましい努力が、まさに今の解離性障害の苦しみの源泉になっているからです。私があなたの立場だったら、他になにができたのか――そう考えると、言葉もありません。あなたの宿命的とも言える苦悩を前にして、安易な慰めは力をもたないと思います。かつて「可愛くて触りたい・抱っことかしてみたい」と思った妹さんを嫌ったり、比べたりする葛藤だけで、どれほどの心痛を重ねて来られたことか。投稿者さんが今まで生き延びてきたことだけでも、敬意に値すると思います。そして、少なくともこれからの投稿者さんの人生にとっては、自分の「知らなかった“ストレス”」に気づき始めたことは、画期的な一歩になるのではないかと思いました。

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