知り合いとのやり取りの中で、外国籍の方についてひどい言葉を使ってしまったことをとても後悔しています。その当時は、自分が攻撃対象にならないために、あえて強い態度でやり取りしまいました。
取り返しがつかないことをしたと思えなかったこと、なんでそんなことをしてしまったんだと、自分を責める気持ちが止まりません。
言葉が切り取られ、悪者にされても仕方なかったとは思いますが、自分の過去の過ちに押しつぶされてしまいそうな日々を送っています。
鬱病になってしまったのも、自業自得と思いますが、助けてほしい、助かりたいという気持ちもあります。
これから、どう生きればいいかわかりません。生きていてもいいのでしょうか。自分を信じられる気持ちもなく、ただただつらく苦しいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
過去の過ち
感想2
あなたが一連の出来事について悔やんでいる切実な気持ちが伝わってきました。まず最初に思ったのは、世の中には排外主義をはじめ、多くの差別的な言葉が恐ろしいほど流布してしまっている状況があり、私たちは生きているだけで偏見を取り込んでしまっていているということです。「自分が攻撃対象にならないために」とも書いてあり、なにかあれば攻撃されてしまうかもしれないという恐れの中で、「強い側」であると示さねばというプレッシャーもあったのかなと想像しました。
私自身も無自覚に、あるいは考えがたりずに人のことを踏んづけてしまっていることが、残念ながらたくさんあると思います。ただその間違いを理解すること自体は、無自覚な自分を点検する機会にもなっていると思います。
読んでいて、「助かりたい」気持ちは私自身にもかなりあるなぁと思いました。藁をも縋るような中、私自身、リソースがない時はすべてをシャットアウトしてしまう時もただただ自分の加害性に苦しむ時もあります。ただその中で、無限に間違え続けている状況を変えたいから知らねばという関心によって、知っていくことで「助かる」ことを選んでいることもあるように思います。
私たちはだれしも間違えうる・間違えている存在だけど、だからといって、「間違った存在」でもないと思います。うつ病の中では休むことが第一に必要なのかなと思いつつ、あなたの言葉に仲間意識を感じて、いろいろと書いてみました。私もどう生きればいいかわからないけど、一緒に言葉をかわして、考えていくことはできるのかなと、信じてもいます。あなたの言葉を、また、待っています。
感想1
どのような状況下でそのような事になったのか、そうせざる得ない状況に追い込まれたのか?気になるところですが、自分を守るためとはいえ誰かに対して酷い言葉を使ったことに対する罪悪感が消えることなく自分を責め続けていることで心も体も疲弊しているのではと想像しました。
誰しも後になって後悔してしまう、反省するような事ってあると思います。もちろん言わない、行動しないが一番だと思いますが、起きた事柄の後々どう考え行動するかが個人的に大切なのかなと思います。これから同じような場面に立ち会う、知ってしまう時に「自分が吐き出した言葉がどんな結果に繋がるか」を伝えることはできるのかなと個人的に思います。(相手の傷つき、自分の罪悪感など)それが罪悪感の減になるのかは解りませんが少なくとも傷つく人、後悔にさいなまれる人が減るのではないか、減ってほしいと私は思っています。人ごとではなく自分自身も考えながら行動したいと思いながら書かせていただきました。