経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

分かっているようでわかっていない自分

生きづらい。自分が嫌い。死にたい。
そういう思いが自分の中で渦巻くようになったのはいつからだろう。高校生くらいからは確実に感じてて、その頃から自分に対する認識が変わった気がする。
ずーっと辛い。誰かに何かを話したくて。でも話すのが怖くて。話したら自分の中で抑えていたものがプツっと切れてしまいそうだから。自分で自分をコントロールできなくなりそうだから。
自分の中で抱えることが限界なこともある。でもどうにかしてやり過ごしてる。臨機応変に対応するから悩みなさそうって言われたことがある。悩みだらけだよ。人に言えない悩みが多いんだ。
辛いけど動けてしまう。仕事に行けるし学校にも行ってた。死にたいって思っても死ぬための行動に走ったことがない。自分が怖い。休む理由が欲しい。自分の中の辛いに答えが欲しい。頑張って自分でバランスとってるけど辛い。限界。苦しい。
生きづらさを感じない人って、どんな風に物事を考えて、どんな風に過ごしてるのだろうか。
ずっと何者かになりたかった。受験で1回も上手くいかなかった自分も。夢を諦めて結局学生の頃に考えていた頃とは全然違う道に進んだ私も嫌だった。
高校の友達2人は専門学校で学んだことを活かして働いている。なんかその事実が嫌だった。悔しかった。学生の頃に思い描いていた自分じゃない方向に進んでる自分がいる。けど友達は学んだことを活かしてる。私だけ逃げてるみたいだ。
クラスメイトで推薦で決まってる人が何人もいて、その選択は私はできなくて。兄弟のこともあるし、家にお金がないから。私立に行く選択ができなかった。そういう世の中の格差に、そしてそうなることはわかってるのにそこまでの努力をできなかった自分に嫌気がさす。
私は結果を出せるほどの努力をしていない。そんなことはわかってる。だから自分が悪くて自分のせいで思うような道に進めなかったのだが。
結果、成功体験が積めなくて自分を信じられなくなるだけ。私はこのままずっとこうなのかな。
負けたくないからで頑張ってたのに、いつからか失敗を避けるために、自分を守るために頑張るようになった。頑張っても何のために頑張ってるのか分からなくなった。ずっと満たされなかった。
そして、人の成功が嬉しくもあるし、おめでとうと言う。でも、心の片隅で自分と比べて傷ついてる。素直に喜べない。私の短所の1つだろうな。
誰かに話したい。でも話せない。友達には話してねって言うのに。私は人に話せない。
人から言われたら迷惑だって感じないのに、自分がするとなると迷惑かなって思っちゃう。人との距離感が掴めない。
自分が自分を1番大事にしなきゃいけない。そんなことはわかってる。でも、それができない。
自分が自分のことを1番わかっているようでわかってない。
他人に答えをすぐ求めるのはいけないのはわかってる。でも、1人で考えることにも限度があるし疲れた。
なんでこんなに生きづらいのか。
自分を愛せるようになりたい。

感想1

「人に言える悩み」と「人に言えない悩み」のちがいについて考えながら読みました。
前者は、わかりやすい内容だったり、日常の中にある比較的ささいなものだったり、あるいは自分の中でもうとっくに答えが決まっているものだったりするイメージがあります。その視点に立って考えてみると、投稿者さんのなかに渦巻くモヤモヤはきっと複雑で、生活や人生そのものに対することで、切実で、だからこそそう簡単に人に触れてほしくはない側面も多く孕んでいて、だからこそ「人に言えない」のだろうと想像しました。

誰かに自分の話をすることの怖さやためらいを、私自身も事あるごとに感じてきていて、全く同じではないけれど「わかる」ような気がしました。自分でも掴めない、よくわからない、なんなら見たくないものだからこそ、誰かに一緒に向き合ってほしい。でも、その「誰か」が「私」を見るまなざしが変わったらどうしよう、言われたくないことを言われたらどうしよう…と、そんな気持ちでものすごく勇気がいります。本当は、まっすぐに相手に答えを求めるようなキャッチボールだけが会話(や相談)ではなくて、ふわっと下投げで様子をうかがうやり方や、そっと差し出して相手が受け取ってくれるか確かめるようなやり方など、いろんな打ち明け方があるんだろうと思うのですが、自分がどんな届け方をイメージしても結局相手の受け取り方に全てが委ねられてしまう感じが怖いのかも…と個人的には感じています。そして、自分が人に向ける(受け取り方の)やわらかさを、人が自分に対しても向けてくれるはず、と信じることは、実体験無しにはなかなか出来ない(そのくらい難しいことである)と私は思います。

「自分を大切に」「まずは自分で考える」などなど、「こうあるべき生き方」のキャッチコピーみたいなものがいろんな角度で溢れている世の中で、それをまっすぐに受け入れて適応できることも1つの力なのだと思います。しかし、投稿者さんの言葉たちには生きる上での違和感やズレを見逃さずに自分の中に落とし込んで向き合っている印象があって、それはすごく真っ当でまっすぐで、自分らしく生きる力だと思いました。するするとは前に進みづらくても、踏みしめて生きているように感じました。

機会があればまたこの場所で、一時休んで、抱えたものを降ろしてもらえたらと思っています。

感想2

足元にずっとしんどさがありながら、それを隠すように過ごしている日々を感じました。

悩みがなさそうと言うのは一方的な言葉だなと私も感じたのですが、周囲に悩みがなさそうに振る舞ってしまうあなたがいるのかなとも想像します。「ネガティブな感情は外に出してはいけないもの、出せないもの」のようなあなたの中に内面化されているものと、あなたの本音「生きづらい、自分が嫌い、死にたい」がぶつかり合って、ある種のダブルバインド状態が起こっているような感覚を覚えています。

他にも学校や仕事を休みたいのに休む理由がなければ休めない、おめでとうという気持ちと傷ついている気持ち、人に話したいのに話せない、理想と現実など・・。心身と理性がそれぞれに受け取る矛盾するメッセージを、同時に持ち合わせる(ダブルバインド)状態の中で本音が語れなくなったり、身動きがとれなくなることもあるなあ、と自分のことのように思います。どちらが正解不正解と言うことでもなく、本音であり思考であり、どちらもあなたの一部なのではないかなとわたしは受け止めています。

とはいえ、どちらかというと理性があなたを制御したりコントロールすることが強いようにも感じました。ものごころつく前は、感性や感情が豊かだったのではないかなと想像したりもしています。もしかしたら、成長するにつれて自分の感性や感情を押さえつけたり、無理に言葉にして納得しようとされていることが多いのではないかなとも思いましたがどうでしょうか・・(感性や感情にのまれないように、理性を働かせることで助けようとしてきたあなたもいらっしゃるのかもしれません)。

矛盾する感情や考えを持つということは、思考や感情が行ったり来たり、その分考えることもエネルギーも倍増するので、人一倍疲れやすかったり敏感だったりもするのかなと想像しています。心身の素直な反応を、理性でカバーし続けるのにも限界があるようにも感じるので、できそうな範囲から休むことなども含めて我慢しないことを優先する日をつくれたらとも思うのですが、わかっているのにそうできない、あるいは今必死に抑えているものが溢れ出す怖さがあなたの中にあることも伝わってきています。

私も人の成功をおめでとうと心から言えないことがしょっちゅうですが、なんと言えばいいのかもわからず(シチュエーションにもよりますが)「おー」とだけ言ったり、拍手だけ送る時があります・・(武骨)。人を褒めるのも苦手なので、素直に人を祝福できたり、人を褒めることが上手な人が羨ましいとも思います。

そうしたことはなかなか人と話せてない部分だなぁ・・と思いながら、あなたと向き合えたことがうれしくもあります。素直な人も、複雑な思いを抱く人も、正解不正解はなくどちらも良さにも悪さにもなりうることだと思うのですが、どうも素直な人が羨ましく見えてしまうのは、正しくありたい、優しくなりたいと複雑なりに願っているからなのでしょうか。経験談だからこそ気を負わずに今後も必要な時には、また本音を語りにきてほしいなと思いました。

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