会社員です
結婚も出産も離婚もしました
運動もやりました
もういい年なのにずっと前向きに生きることはしてません
その時その時で、求められたからやってきました
いつ、この流れはなくなるのか。
いつ、許してもらえるのか。
誰に?何に?と思うが頭から離れない
気軽に行こうと何度も思う
ーが、そのたびに嫌な体験が積み上がる
そして反省し、また一歩下がる
生きてる間はずっとそうなのか?
子供の頃はそうだったか?
いつからそうなった?
分からなくて通院もした(もちろん家族に内緒で)
それでも最後の方になると、私が通う理由を聞かれる
ここも来ちゃだめなの?と思い行くことをやめた
人はすぐ死ぬというが、私のように普通にしてる風でなんとなく惰性で生きてるだけの人はたくさんいるんだろう
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
生きにくくしてるのは
感想2
人生には決められたルートがあって、その流れに乗らなければならないと思い込まされている人が多いし、その流れから逸脱してはならないという強迫観念や流れに乗れなかったときの恐怖を与えられていると思います。就職する、結婚する、出産するという年齢ごとのイベントが「普通のもの」として勝手に自分の人生に組み込まれていくことで、人生を自分で歩むという感覚が無くなっていってしまうのかなと考えていました。
いったい私たちは誰に求められているのか、この流れは誰が作り出しているのか。この「誰か」は特定の個人ではなく、きっと社会というとんでもなく大きいものであり、そう思うと私はあまりのどうしようもなさに恐ろしくなります。しかし、流れから逸れないこと、逸れたら逸れたなりの理由を求められること、それらがどれほどの人を生きにくくしてしまっているのかを考えると、やはりこの状態を維持することが正しいとは思えません。
もし社会に流れがあるのなら、肩の力を抜いて気軽に生きることができるような、穏やかで柔軟で支流が多い流れであってほしいなと思いました。
お返事
まさか返信するなんて思わなかったです。
このまま無駄に生きてても良いのか?無理して会社勤めしてて自分すり減らして自由はあるのか?
狭めているのは自分なのか?
毎日毎日、自問自答し時間だけがやみくもに過ぎているんです。
正直今の状態はとてもしんどい。
逃げられるなら逃げて終わらせたい。
感想1
「いつ、許してもらえるのか。」という一文を読んで、私自身が感じている日々の焦りや孤独をぴたりと言い当てられたような気持ちになりました。
進学、就職、スピード退職からの転職、フリーター生活、家族との関係性の再構築や家族以外の人との繋がり・交流。どこかでずっと「あとどのくらいこの生活を、人生をやれば楽になれるんだろう」という気持ちがあります。我慢とも違うけれど、無理はしている感じというか。
別にやらなくても、一人でも、不健康でも、その日暮らしでも、…と頭で考えても、そうしてはいけない気がするのはどうしてなのでしょうね…。個人的には「もしそれで生きることに絶望しても、誰にも責任を取ってもらえないから」という思いでどうにか踏みとどまっていると推測しています(自分のことなのに曖昧で、書いている今もどうにか当てはまる言葉を探しているような気分です)。
自分の面倒を自分で見て、自分の意思の乗った”何か”をしながら(それをしているように振る舞いながら)生きないといけないなんて、面倒で息苦しいなと私は思います。のんびりぼんやりとしていても現実に直面しなくて済むくらい、ゆとりのある社会がいいなと思います。