「女は顔がダメなら体だけでもマシじゃないといけない」
私が母に言われた言葉です。当時は、引っ越した先の家の上の階に住む人の騒音がひどくて精神的に参っていたんでしょう。元から「朝体重を報告する。筋トレをする。」というおかしなルールがありましたが、腕立て伏せをさせられている最中に投げられた叫び声に、目の前が真っ白になって辛くて苦しくて流れていた涙がぴたりと止まったことをよく覚えています。
当時は毎日が辛くて辛くて。勉強なんて全く手につかず、夜中の2時まで現実逃避の小説を読んだり、音楽を聴いたりして過ごしていました。お水なんてもちろん飲まないです。次の日重くなるので。朝ごはんをこっそり吐いたり、学校でお弁当を半分残して家でこっそり捨てたりしていました。今思うと食品ロスですね。申し訳ないです。
こんな最低最悪な日々を過ごして、ある日限界が来て、母に懇願しました。文字通り土下座をして、もうやめてほしい、と。何回も何回もして、今はもうおかしなルールも罵倒も無くなりました。
そのこと自体はね、確かによかった、良かったんですけど、よくない点が一個あったんです。それは、母の記憶から、私にそんな言葉を投げかけたこと、物を投げつけたこと、体重を報告したこと、筋トレをさせたこと、これら全てがほとんどなくなったことです。つまりね、私が誰にも言えず苦しんでたあの時期は、もう私の記憶の中にしかないってことです。
やられた側はずっと覚えてるんです。体の痛みは消えるかもしれないけど、あの時感じた心が抉られるような痛みはずっと残ってるんです。でも、やった側はすぐに忘れてしまうんですね。「あなたのためだった」とか言って、過去の自分を正当化してしまうんですね。悲しいことです、ほんと。
今、高校三年生になりました。あの最低な日々からは遠いところにいます。けど、勉強してる最中にフラッシュバックしてきます。事あるごとに思い出して、「私の顔、ダメなんだ」と思って落ち込みます。マスクをするとちょっぴり安心します。何度も何度も自分の顔の写真を撮ってしまいます。それに比例して、人前で喋ることがさらに苦手になりました。あがり症が酷くなって、人前で喋ると声が震え、手足が震え、散々です。
以前、あがり症のことを相談した時に、友達に「治せばいいじゃん。調べたら出てくるでしょ」と。悲しくなりました。私だってたくさんたくさん練習して、調べて、動画を見て、発表に臨んでるのに。私の性格考えたらわかるでしょ、と思いました。でも同時に、私も性格悪いな、とも思いました。
以前、クラスでムービーを撮りました。あまりに酷い写りだったんでしょう。テレビに映った私の顔を見て、クラス中がざわめきました。よくわからないフォローも入れられました。最悪です。でも、そんな空気も、フォローも、あの時言われた衝撃からはほど遠かったです。
以前、友達と服を買いに行きました。楽しかったのですが、その子は言いました。「他の子は可愛いからいいけど、私たちはおしゃれをしないとダメだから」と。なんだそれと思いました。あなたも顔を優劣つけて見てるのか、と悲しくなりました。
以前、思い切って相談をした先生には「昔こんな生徒がいてね」と、他の生徒の体験談を延々と聞かされました。確かに私より酷い環境だったのでしょう。先生も慰めようとしてくださっていたんでしょう。ですが、私にはどうしても、「あなたよりあの子の方が酷かった。あなたの方がマシなんだからしっかりしなさい」と言われているようにしか、感じませんでした。
人の苦しみに大小はつけられないと思います。だって、みんなその人の世界を生きてるんですから。その生徒にはその生徒の世界があって、私には私の世界があったんです。その世界の中でもがいてるんですから、比べられるものではないでしょう?比べてはいけないでしょう?そう思ってしまう私は、ただ自分の苦しみに浸っているだけなのでしょうか。悲劇のヒロインぶってるだけなんでしょうか。どうしてもそんなことを考えてしまいます。
でもね、私は単純ですから、美味しいものを食べる時、楽しいものを見てる時、散歩してる時、読書をしてる時、全部忘れて楽しめます。母とも笑い合えます。マスクだって外して学校に行ってます。学校は嫌いですけど、毎日行ってます。友達とだって話せてます。3日に一度、いやほぼ毎日あの時の言葉を思い出しますが、ちゃんと毎日笑えてます。生きて、生きて、生きています。我ながらすごいと思います。いつも消えたい、朝が来ないでほしいと願っていたのに、あれから、何年も生きているんですから。
まだまだ私の世界は狭いですが、そうやってちょっとずつ、広げていけるといいです。
いつか、本当にいつか、何も気にせず、過去に囚われず、笑える日が来るといいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
いつか
感想2
「いつか」というタイトルから、あなたの切望する「何も気にせず、過去に囚われずに、笑いたい」という強い思いを感じるとともに、まだまだフラッシュバックを含めた苦しさを抱えていらっしゃることを感じています。苦しかった日々を誰にも言えず一人で抱えてきたこと、そしてあなた自身が母親に土下座をして懇願したこと・・。誰にも相談せずに、自分自身で解決に至るアクションを起こしたことの聡明さと行動力に脱帽する思いと、あなたの苦しみに誰も気づけなかったのかと社会の至らなさの双方を思います。
記憶を共有しているはずの他者に、出来事をなかったことにされることの痛烈な痛みを思い出していますが、それは自分だけが覚えているという頼りなさに加えて、自分自身が存在しなかったような思いにさせられることのように感じることもあるのではないかなと想像します。一番過去を消したいのは自分自身なはずなのに、忘れてしまったら苦しかった自分の存在がなくなってしまうような、そんな矛盾をもしかしたらあなたも抱えていらっしゃるかもしれません。だからこそ、あなたが書き出してくださった出来事と事実を、ここではしっかりと刻むように、受け止めたいと思います。
高校生という多感な時期に、SNSだけでなく周囲からもあなたのトラウマをフラッシュバックさせる言葉や行動を、どうしても目の当たりにしてしまうことも沢山あるのではないかなと想像しています。それに触れた時の、あなたの苦しさはあなたの過去の傷にも通じていることだから、誰にもあなたの抱える苦しさを表面的な悩みとして捉えてほしくないなあと思います。一方で、人の心の傷は目に見えず伝わりにくいという性質から、あなたの傷を知らない人のふとした反応や発言でもあなたの傷口が開いてしまうこともあるのかもしれないなとも思いました。
人の発言を、「あれはどういう意味なんだろう?」と家に持ち帰り、自分の中で考えるところが私にあったりするのですが、あなたもそうだったりするのかなと文章から感じています。言われたことにすぐに反応できず、家に帰ってからもやもやしたり、傷ついていたことに気づいたりする人間なのですが、どういう意味でその人が言っているのか、何を伝えたいのか、私がどう感じたか、私の過去の傷口がそこにあること、人の考え方、私の考え方・・敵意を持たずにお互いを知るためのコミュニケーションができればいいなあと、よく思います。
もしも、今のあなたならどんな風にクラスメートや友達や先生に言いたいかな、とそんなことも聞いてみたくなりました。人の苦しみに大小もないし比較もできないこと、とても大切なことをあなたは持っていらっしゃると私は感じるので、話した先にあなたの思いが伝わるコミュニケーションが生まれるような感触を持っています。・・本当に思っていることを伝えるのが難しいというのも、もしかしたらあなたと親御さんとの関係に影響されてきた部分なのかも知れないなとイメージもしました(違っていたらすみません)。
耐えたり行動に起こしたりしながら、今日ここまでのあなたの人生を取り戻したことを私も勝手ながら誇らしい気持ちです。あなたの過去の苦しみ、今の苦しさ、今の楽しさや幸せもそのまま受け止め、人との関わりの中で少しずつ癒されながら、きっとあなたの望む「いつか」があることをわたしも信じています。
感想1
暴言暴力を浴びせられ、外見を値踏みされ、行動を強制されたこと、その日々の中で重ねられた傷の痛みはそう簡単には消えてくれないものであることが分かりました。特に「女は顔がダメなら体だけでもマシじゃないといけない」というルッキズムまみれの言葉とボディメイクの強制を、実の親から投げかけられたことは非常にショックなことだと思いました。お母さんもとりわけ女性に強制されがちな外見至上主義、外見を他者に勝手に見定められることに耐えながら生きるうち、その規範を内面化してしまったのではないかという気がしますが、それが下の世代にも伝播して苦しみが広がってしまったのは本当に残念なことだったと感じました。
「自分の身体は自分もの」であって、傷つけられたり何かを強制されたりすることは誰に対してもあってはならないことだと思います。本来、何度も懇願しなくてもダイエットはあなたの判断だけでやめてよいことだったとは思うけれど、親という過程内の権力者に逆らうことが難しかった環境で、どんどん自分の身体に対しての自信が失われていってしまったのかなと想像しています。しかも、ルールを課した当本人がそのことをすっかり忘れているというのも、脱力するというか、やるせない気持ちになって当然です。今もあのときの傷に苦しんでいるあなたと、かたやそれを忘れているお母さんとの対比がより一層あなたを苦しめさせているように感じました。
あなたの言う通り、人の苦しみの大きさを比べることはできないと私は思います。比較したところで、人それぞれの苦しいという状態は変わらないし、意味の無いことだと思います。苦しみそれ自体を我慢したり消そうとしても、たしかに存在しているものを押さえつけることになってしまうような気がして逆効果になってしまうことが多いと個人的に思っています。あなたが楽しい瞬間を感じられるているように、あなたが苦しかったこと、苦しいことも自分や他人が認めてあげてほしいなと感じました。また話したいことがあったら来てください。