経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
文章が下手くそなのですがどうぞ最後まで読んでいただけると嬉しいです。
自分は今大学生なのですが、率直に言うと死にたいです。中学のころから死にたいと思いながらも様々な人の意見を聞き頑張ってここまで生きてきました。しかし、四年たった今でも死にたいと言う気持ちは変わりません。いじめられたとか、そういうわけではないんですけど自分がなぜ生きているのかわからなくなる日がよくあります。前は彼女がおり幸せに生きていましたがその人とも別れてしまい、生きている意味とまた向き合うことになってしまいました。自分はこの世は生きるのに不便だと思います。他人のことを考えて自分を押し殺して、なにものでもない架空の自分を演じているこの生活に何の意味があるのでしょうか。こんなことを考えている自分もキモくて嫌になってしまいます。死にたいのに死ねない人がいるのに、生きたいのに死んでしまう人がたくさんいるのに、なぜ死にたい僕は死ねないんでしょうか。このままこの苦しさのまま生きていくのがとても嫌です。僕は30歳になると死ぬ予定です。今はその死を素晴らしいものにするために生きていますがいつ心が折れるかわからないので、ぜひ僕でも生きていい、生きたいと思えるなにかがあるのかおしえて欲しいです。
感想2
自分でもわからない死にたい気持ちと、自分を見失って寄る辺なく漂っている、そんなあなたの姿を想像していました。
「中学生まではどんなことを感じていたのだろう」と気になりながらも、「自分でもよくわからない」ということも往々にしてあることを考えると、そこには些細なきっかけもないのかもしれないし、逆に、あなたも気づかない無意識の何かがあったのかもしれないと思わず考えていました。
それは、4年経った今に至るまでの「様々な人の意見を聞き頑張ってここまで生きてきました」という言葉にもあるように、自分の中にある不透明なものに対してあなたが向き合ってきたことにも現れている気がしますし、答えの出ない戸惑いや葛藤の強さのようなものも同時に感じています。
そういう意味でも付き合っていた彼女の存在は、「死にたいを忘れさせてくれる」、あるいは「死にたいに理由を求めなくてもいいんだ」と思わせてくれる存在だったのかなと思えますし、だからこそ、別れてから感じた気持ちは、再び自分に問いを立てられる、そんな感覚があったのかなと思えました。
一つ印象的に感じたのが、抱えてきた気持ちとこれまでの事がどこか淡々と書かれている中で、「他人のことを考えて自分を押し殺して、なにものでもない架空の自分を演じているこの生活に何の意味があるのでしょうか」と書かれていることが、唯一あなた自身の胸中を吐露しているように見えたことでした。もしかしたらそこにはあなたがあなたらしく、自分として振る舞えずに過ごしてきた堆積のようなものがあったのかなと勝手ながらに想像している私がいます。
私自身はこれまで生きてきて一度だけ死にたいと強く感じた瞬間があったのですが、今思うとそれは「死にたい」の中に複雑に入り組んでいる中身を自分自身で、自分のペースで、丁寧に紐解く時間だったように今となっては感じています(唐突にすみません…)。今でもその気持ちは完全になくなってはいませんが、もしかしたら「死にたい」という気持ちには意味も理由もいらないし、“それも含めて”自分の一部、そんな風に隣に置いておければいいものなのかもしれない、そう伝えたくなりました。
感想1
「なぜ生きているのか」を人の意見を聴きながら、そして何よりも自分なりに模索しながら頑張ってきたのだと想像しながら読みました。
自分を押し殺しながら他人のことを考えないといけない状況って、私でも「自分とは?自分の人生とは?何なんだ」って怒りのような感情が芽生えると思いながら、その先は「死にたい気持ち」に繋がりやすくなるよなと自分なりに考えていました。
死にたい気持ちを否定することは多いですが、共感と一緒に考えるということは極端に少ないように感じています。(個人的な考えなので違ったらすみません)
私自身もかつて「生きることに疲れた」と思い悩んだ時期がありました。そんな時「生きること、生きる意味を深く考えすぎない、囚われすぎないことで少しは心が軽くなる、気付いたら何となく生きてた、くらいでいいんじゃない人生って」と言ってくれた人がいました。この言葉の前提には「あなたの死にたい気持ちは否定しない」があったので尚更響きましたし心が軽くなりました。投稿者さんの心が軽くなるかは解りませんが、何かのヒントみたいな物になればと思い書いてみました。