生きようとしている自分も全て許せなくて生活も全て諦めてスマホのデータもほとんど消してずっと眠る予定だった。もう何もやらない予定だった。何もやらずにずっといた、エアコンもつけずにいた。でも親にエアコンをつけられて、起こされて、食べるようにもトイレに行くようにも言われた。起きたらすぐまた生活が始まってしまった。ずっと寝ていたかったけれどだめだった。寝ていたかったもう何もやりたくなかった。やっぱり生きていたらずっと何かをやらないといけない、終わらない、休みたいのにずっとやらないといけないことだらけで、まだ頑張らないといけない。ずっとやらないといけないのに何もやれなくて、課題もできなくてずっとベッドの上でどうしようもできなくて、休もうとしてももう休めない、もう終わらない、自殺すらできない、自殺もできずにずっと苦しむだけ、まだ頑張らないといけない。もう二度と休みたくもない、嫌でもなんでも絶対に学校に行くって約束をしたから。もう許されないから。毎日朝から遅刻せずに学校に行かないといけない。ずっと何かをやり続けないといけない。まだやらないといけない。まだ大丈夫。休んだらやらないといけないことが溜まるから。ずっと親にも先生にも友達にも「ズル休み」だと言われるから、「着替えも歯磨きもシャワーもできないなんて人間としてダメ」「できない子」「朝から学校に行け」「明日は絶対に」「明日は遅刻せずに」「親に迷惑」ってずっと、人に迷惑をかけてきたことも分かっている、死んだほうがいいともわかっている、死なないと終わらないし死なないとずっと人に迷惑をかけるから。でもお金がないから死ぬ手段も何もない、ずっとやり続けないといけない、ずっとやり続けないといけないのに休んでずっと苦しむしかない、どうやってももう終わらないから。死ぬ以外に終わらせる方法がないから。死ぬ以外に終わる方法がもうない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
もう終わらない
感想2
投稿ありがとうございます。
何もしたくない、ずっと眠っていたいと思うほどのしんどさがある中で、周りから起こされたり、食べることやトイレに行くことを促されたりして、起きた瞬間にまた「生活」が始まってしまうこと…。休みたいのに休むことができず、また何かをしなければならない日常に戻されてしまう感覚は、どうしようもないしんどさがあるのではないかと、私なりに思いを巡らせながら読んでいました。
家や学校は、あなたの「何もしたくない」という気持ちを否定されてしまうような、そんな環境なのかな…勝手ながら想像しています。
もし私の想像が近いのだとしたら、ただそこにいるだけでエネルギーが消費されていくような、心がなかなか休まらない空間になっているのではないかと感じていました。
これまで周りの人たちから、いろいろな言葉を浴びてきたのだと想像しています。特に、家族や学校など、自分の生活に大きく関わる人から言われる言葉は、簡単に聞き流せるものではないと思います。
私の勝手な気持ちにはなりますが、学校に行きたくない気持ちがあるときでも、心や身体がなんだか思うように動かないときでも、どんなときでも、学校を休む権利はあるんじゃないかな、と思っています。
何もしたくないことや身体が思うように動かないのは、そこまで動けなくなるほどの苦しさがあるのかもしれない…と私は思いましたし、もしかすると、心や身体が「これ以上は頑張れないかも」と、知らせてくれているのかなと思っていました。(勝手な私の気持ちにはなってしまうんですけどね)
それと同時に、あなたが苦しいと感じている気持ちを、家や学校の大人が簡単に否定してしまうことに、私はとても悲しく思いますし、憤りも感じています。
大人の「~するべき」という思いばかりが優先されてしまって、その前にある、あなたのしんどい気持ちが置き去りになってしまうことに、なんでだろうなとやるせない気持ちです…。学校に行かないことや、何もしない日をつくることは、心を守るための1つの方法なのにな…と、声を大にして言いたくなってしまいます。
学校のことも、家のことも、死にたいほどしんどい気持ちも、私はそっと一緒に考えたい思いでいました。まとまらない気持ちのままでも大丈夫ですので、よければまた、そっと気持ちを置きに来てください。
感想1
まるで過去の私と同じようで、共感しながら読ませてもらいました。
もう何もしないでただ死を待つ。そのためにデータを消したり身辺整理をしてみたり…本当に「何もしない」を、暑い部屋の下でやろうとしていた、正確には”始めていた”のだろうと思いました。私も親から全てやるように言われ、泣きながら床から起き上がったことを思い出しました。その時点でもう”これから”が始まってしまう気がして、とても苦しかったのをよく覚えています(実はいまもやってしまいます。)ですのであなたも、終わらないループ、そして、始まるループを感じながら日々苦しくしているんじゃないだろうかと想像しました。率直な気持ちとして「休みたい」が常にあることを感じました。その「休みたい」の中身には「終わらせたい・もう何もしたくない」など、様々な気持ちがたくさん詰まっているんだろうなぁ…と、自分の経験からも考えています。また、「休めない」のは、”休み方がわからない”というのと、”休ませてもらえない”の、両方が、感覚としてあるのではないかなと思いました。〇〇しないといけない…という強迫観念を周りから植え付けられ、自分でもそうせねばと思い込んでしまい、ただでさえ限界の状態にムチを打っているような、そんな様子も浮かんできたように思いました…。そういった苦しさから、このループを断ち切るには死しかない、と、そのように思い、自殺という単語が浮かぶ感覚があるのかなと考えています。「ズル休み」という言葉は、本当に人を傷つけるなぁと改めて思います。「休みたいから休む」のは、言い換えると「休みが必要だから休む」わけであって、それがイコール「ズル休み」になるのは、私はずっと納得がいかない思いです。”ズル”という言葉が入るだけで、一気に悪者というか、ダメなことと思わされる…そんな悪質な・理解のない言葉だなぁと考えてしまいます。文章から、日々”当たり前”を押し付けられ・目の当たりにして、もがきながら過ごしていることを感じました。もし仮に、自分のやりたいように休ませてもらえるのであれば、あなたはどんな気持ち・状態になるのかなぁと気になっています。大変個人的な意見ですが、保健室登校を考えてみたり、保健の先生や、もしいるならスクールカウンセラーに相談してみたり、そして、「学校にいかない」という選択肢も確実に存在していると私は考えます。親や周りの影響でそういったいくつかの選択肢が見えないものになっているというか、消されてしまっているように私は感じました。ここでもし本音を書けるのであれば、いつでも来てみてください。