経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

エンドレス自己嫌悪

考えがまとまらないので、変な文になってます。ご了承下さい。
中学を卒業してから勉強への意欲が極端に落ちました。私は文系(特に国語と英語)が得意なのですが、進んだ高校は理系に力を入れている県内トップクラスの進高校です。この高校にしたのは入ってみたい部活(文化部)があったからで、まだ中学のときはなんとか数学や理科もできたのでいけるかなと思って受験し、合格して今の高校に在籍しています。入学した最初は「数学苦手だから頑張らないと!」と思って勉強を頑張っていたのですが、ゴールデンウィークを過ぎたあたりから勉強への意欲が極端に落ちました。自分の得意な教科はすぐに課題とかできるのに、苦手な科目は全然頭が動かないんです。当たり前ですが数学や理科関係の授業にはついていけなくなり、テストでは文系は全て平均を超えているのに、理系は全部平均落ちです。科学に至っては下から30番目くらいです。この結果を見てから「このままじゃ駄目だから勉強しなきゃ」と思うのですが、相変わらずやる気がでません。両親は「成績がどうであれ自分で行きたい大学にいけるような学力さえあればいいよ」と言ってくれるのですが(両親は学歴よりもやりたいことができる場所にいけることを優先で考えてくれます)、まだ大学も行きたい学部も決めてないのに「浪人とかしたらどうしよう」と怯えています。
勉強できないイライラから自傷をするのが習慣になり(できない自分が許せないので自分を罰する気持ちでやってます)、手首切る勇気はなかったので腕をひっかいていたら親にバレて怒られました。それからはバレないように親がいないときに頭とか腕を全力で叩いてます。今のところバレてません。一時期は「死ねたらな」と思っていたのですが、残される親がどう思うのかといったことや私のぬいぐるみさん達(推しのぬいぐるみで、よく話しかけたりご飯あげたりしてます)のお世話のことを考えたら迂闊に死ねないなと思うようになりました(ぬいぐるみに話しかけたりするのは私が小さい頃に親がやっていたことで、私は今でもしています。)。最近はたまに友達に「◯月に推しのライブあるから死ねない〜」って言ったりしてます。
中3のときから「実は鬱でした〜みたいなことがあって、合法的に学校が休めたらな」と思っていたのですが、そんな日がなかなか訪れません。両親も「高校は義務教育じゃないから単位とらないと留年するし、心や体の病気とかじゃないときは学校に行こうね」主義です。なので今でも学校にはちゃんと行っています。

どうしたら楽になれますか?誰か教えてほしいです。

感想1

苦手なものに取り組むだけでもすごいのに、さらに「頑張り続ける前提」という状況の中で、いつもアクセル全開で頑張るのはとっても大変だろうなと思いました。GWまではなんとか取り組めていたとのことで、きっとそこ以降は疲れが出たのかなと想像できます。私は同じく理数系が極端に苦手で、高校でも嫌な気持ちが強過ぎたのか数学がある日ばかり休んでしまい、単位が危なかったなんてことを経験しました。そんな逃げていた私からすると、毎日学校へ行き授業を受けるという状況は当たり前ではないことが理解できるし、今そんな状況でよく頑張っているねと労いたくなりました。でも学校に行けているから大丈夫、というわけではないですよね。行けていても、毎日自分を追い詰めながら過ごしているのであれば、それだけで十分しんどいことだと思います。県内トップの高校という環境では、周りが当たり前に勉強しているように見えたり、自分の成績を周囲と比べてしまいやすかったりするのかなと思います。結果を見て「もっと頑張らなきゃ」と無意識にでも自分を追い詰めていたり、「勉強できない自分=ダメな自分」になってしまっているようにもみえて日々苦しいだろうと想像できます。でも本来得意があれば苦手もあって当たり前で、むしろあなたは苦手とわかりながらも自分がやりたいこと(部活に入ること)を叶えるために行動に移すことのできる行動力のある人だなと私は思いました。
自分を罰するようになってしまったことはもちろん、あなたが傷つかなくて済む方法があれば良いなと思うけれど、きっとそれで自分を保っていることもあるのだと思います。成績よりも自分のやりたいことをやっていいと言ってくれる両親がいることに私は勝手に安堵しつつも、一般的に理解ある両親であるが故に、それに応えられない自分を責めてしまうこともあるのかもしれない、なんて思うと今のあなたにとって親からの言葉や休めない環境は苦しい時もあるのかなと想像しました。
ぬいぐるみのことや、推しのライブのことを理由に「まだ死ねない」と思えていること、私はとても大切なことだと思いました。大きな目標じゃなくても、楽しみたいことや見届けたいと思えるものがあることは、生きていく上でちゃんと意味のある支えなのだと思います。今は勉強も将来も、何もかもが「ちゃんとしなきゃいけないこと」に見えているのかもしれません。でも、高校生の今の時点で大学や学部が決まっていなくてもいいし、途中で進路が変わってもいい。浪人するかどうかも、まだ起きていない未来のことで今の自分に、何年も先の心配まで背負わせなくてもいいんだよ、と伝えたいなと思いました。どうしたら楽になれるのか、その答えを一人で見つけなくても良くて、勉強のことだけではなく、学校でのこと、自分を責めてしまうこと、自分を傷つけたくなることも含めて、安心して話せる大人がいてくれたらいいのにな。勉強ができるあなたでなくても、うまくできないあなたでも、そのままで大切にされていい人なのだということを、少しずつ感じられる環境や人に出会ってほしいなと思いました。

感想2

「勉強への意欲が極端に落ちました」とあったけれど、文章を読むと、それって意欲でどうにかすることでもないんじゃないかなと気になっています。文章からもともと勉強の習慣はある人なのだと思うのですが、それでも苦手なことで頭が働かないのは当然という気もします。私も公立中学から高校で進学校に入って理系が壊滅的になったので、当時を思い出しながら、ついていけないことの焦りもあるのだろうなと思っているところです。
入学試験を経るということは、近い成績の人が集められるから、とくにこれまでいい成績でやってきた人にとってその中での順位ってだいぶ未知のものになる気がします。母数となる集団が変わったのだから順位が変わるのは当然で、たとえば10000人の人を100個のグループに分けたとしたら、「1位」は合計100人いますが、その1位の人だけを集めて作った100人のグループで1位になれるのは1人だけ、みたいなイメージです。
だから、自分なりに勉強を続けられればなんも問題ないとは思うのですが、そうは思っても人間って身近な人たちと比べてしまいがちだし、「順位」として現れてくるものに動揺しないのもむずかしいよなぁと思っています。両親が学歴が重要じゃないと言っても、勉強をしないとというプレッシャーはかかっているし、それを自分なりに把握する方法が順位以外にわからない中ではダメかどうか、自分をジャッジする視線が強くなっていくのもわかる気がしました。

学歴はたくさんある能力のごく一部しか測れないのに、学生時代の生活ではものすごく重視されてしまう気がします。私も高校時代はものすごく学歴に脅かされていて、成績が落ちるなら死ぬしかないってくらいに思っていたし、そしてどうやっても実際成績がふるわなかったので、絶望的な気持ちでいました。最近、岩波新書の『学校の戦後史 新版』(木村元著)という本を読んだのですが、この数十年の間に、「偏差値」みたいな学力の概念がどんなふうに流布してきたかも書かれていて印象的でした。もともとはミスマッチをなくして困る子どもが減ることを目的に作られたはずなのに、気づいたら順位に振り回されてしまって逃れがたい問題だなぁと思います。
私の今の職場は大学に行くのが当たり前じゃなくて、勉強するのが当たり前の人生じゃない人がたくさんいて、自分がめちゃくちゃ狭い世界にいたことにハッとすることがあります。それに気づくことも、学校の勉強とは違うけれどむしろ大事な「学び」だと個人的には思っている日々です。

高校に進学して、単純に新しい環境で疲労もあるのだろうと思います。中3のときから鬱だったら休めるのにという気持ちがあったと書いてあったので、実は気づかないうちに無理するのが当たり前になってきた部分もあるんじゃないかなと思っています。そこに勉強のストレスや順位への焦燥感が重なったら、あなたに襲いかかる圧力ってものすごく高い状態なんじゃないかと思います。
もしかしたら、これだけあなたがプレッシャーに感じている切実さには両親は気づいていないのかもと思っています。
私は中学も高校もしんどくて、不登校とさぼりを繰り返してギリギリ卒業したので、望ましくないロールモデルなのかもしれませんが、苦しい時に無理をする以外の選択肢はいくらあってもいいと個人的には思っています。ぬいぐるみたちや推しは勉強からすこしあなたの意識を遠ざけてくれるものなのかなと思って、そういう時間はすごく大事だと思っています。あなたの感性が押さえつけられることなく、あなたが暮らしていけることを願っています。

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