つたない文章で申し訳ありません。もし最後まで読んでいただけたら幸いです。
現在専門学生2年の私ですが、去年の冬ごろから就活を始めました。当初は「きっとすぐ決まる」とワクワクしながら気になる企業を探していました。今まで受験など人生が大きく決まるタイミングで失敗したことがなかったため、慢心していました。
自信満々だった時間も一瞬で、大きな壁にぶち当たりました。第一志望の企業はあっけなく書類で落とされ、その後探した地元企業は全滅。やっとのことで6月の頭に最終面接までこぎつけた企業はサイレントお祈り(不採用通知すら届かなかった)でした。1週間ほど落ち込んでいましたが、母から「次応募する企業を探しなさい」と急かされ、厳しい口調で言われました。私のためを思って発せられた言葉でしょうが、「なぜこんなに頑張っているのに責められないといけないんだ」と思いました。希死念慮が生まれたのもこの時期だと思います。
追い打ちをかけるように、高校時代の友人が既に内定を取ったと聞きました。私より後に就活を始めて1社目の面接で合格した、というのです。友人に当たるつもりはありませんが、大して苦労していないのに…と内心複雑になりました。
現在10社以上は受けたでしょうか。もちろん書類選考で落とされたところもありますし、面接まで行って「今回こそうまくいった」と思っても「ご期待に添えかねる結果となりました」の文面が送られてきます。
来週も面接が既に入っていますが、もう就活はしたくありません。ここまで酷い結果を見たら分かるでしょう。「運が悪かったんだよ」、「どうにかなるよ」、慰められても内定は取れないし、どうにかなっていないからこんな苦しい状況なんだよ、あなたは今安定しているから、就活に成功したからそんなことが言えるんでしょうと声を大にして言いたい。人手不足などとうたっておきながら、うちには合わないから採用しませんでした、なんて、ふざけるなと怒りたい。こっちは人生かけられているんだぞって。
ただ私の努力不足だということもはっきりしています。面接練習なんて片手で数えるほど、志望動機や自己PRはAI任せ、ぶっつけ本番で失敗するを繰り返してもまだ学びません。だらしない自分にムシャクシャして、腕や足に爪をたてるばかりです。こんな無能なら死んでしまえばいい。生きているだけで資源の無駄で、迷惑極まりないとつくづく思います。
就活をやめて、夏休みに有り金はたいて、内定もらったら行きたいと思っていた海外旅行に行って、楽しい時間のまま死にたい。死んだ人さえ羨ましく思ってしまいます。もしくは逝去した有名人に私の寿命をあげられたら、と考えます。私より世間に役立つはずです。
卒業まであと半年ちょっとありますが、自信がありません。仮に就職できたとしても社会に馴染めるかどうかさえ不安です。だってたった10社落ちただけで「死にたい」と思うような人間なのですから、社会人になれると言ったほうがおかしいでしょう。
就活でこんなふうに壊れていくんだよ、と今まで落としてきた企業の人間とこれから受けるであろう企業の人間に見せてあげたい。
同情するなら内定をください。それだけが今の私にとっての安定剤です。
長々と駄文失礼しました。
感想1
予想もしなかったようなつらさが襲来したような状況を感じました。不安と焦燥感がひしひしと伝わってきています。というか、もしかしたら、就活という仕組みが不安と焦燥感を煽るだけ煽りまくるものなのではないか?という気持ちにもなってきていました。
あなたが当初ワクワク就活に向かっていたとあって、その気持ちを打ち砕く就活って本当になんなんだろうなぁと思います。本当だったら、この先の生活などが関わってくることがうまく行かなければ、思う存分落ち込んでもいい気がするのですが、次々にやらないといけないことがある中で、それが許されない感じもあるのかなぁと想像していました。急かした母親さんとしては、あなたを案じるあまりの言葉だったのかなとも思いますが、責められたらつらいのは当然だと思います。追い詰められた感覚になるほど「内定さえあれば」という気持ちにつながって、「内定」が今の苦しさを打開してすべてを解決してくれるものって感じになるのかなと想像しました。しんどいときほど一発逆転のカードを求めてしまうし、一斉就活的なやり方はそういう考えを強めていくものだと思います。
そんなことをうだうだと言っている私自身のことを少し思い返しつつ書いてみると、私は学校を卒業して10年以上経っているのですが、だらだらと就活もせずに卒業してしまったほうの人間で、新卒的なタイミングでほとんど活動をしていません(なぜか就活用のスーツの証明写真だけは撮りました)。
私自身は学生時代のアルバイト先になんとなく居着いたあと転職を繰り返して今に至るので、「就職活動」自体は何度かしているのですが、いわゆるエントリーシートとかガクチカ的なのとかを書いたり言ったりしたことがほぼなく、あれって新卒だけの文化なのでしょうか?不思議な儀式のように感じています。そういう特殊な儀式に最適化することが就活をうまくやる方法なら、そんなもの適応できなくていいししなくていいと思うのですが、とにかく就活という世界の中では、それに適応できないことは否定につながりまくる異常な事態があるようにも思います。
だって、内定だけが安定剤になる(ほかのどんなものもならない)って、就活や横並びの仕組みが、どれだけ安心を奪ってるのかと思わずにいられませんでした。前に聞いた話ですが、デンマークでは学校を卒業してから就活がはじまるそうで、仕事が決まるまでは給付を受けられる仕組みもあるのだそうです。聞いた時びっくりしたのですが、よく考えたら、学校に通ってる間はちゃんと学習をさせてよっていう当たり前の話かもしれません。デンマークのほうがいい、みたいな二項対立でもないのですが、仕事に就くことひとつをとっても、別に日本のやり方が絶対ってわけでもないんだなと思います。そして、日本にも、私のようなはみ出しものを含め、いろんな就活いろんな働き方があると思います。そんなことは気休めにもならないかもと思いつつ、それがすべてでないと、どうしても言いたくなってしまいました。海外旅行もいいですよね。私なかなか行けないですが、別の文化を見ると自分のいる場所が見えてくる気がするし、まったくしらない風景はそれだけでハッとする瞬間があるように思います。
「就活でこんなふうに壊れていくんだよ」ってこと、企業だけじゃなくて、国の偉い人とか、文部科学省とか、いろんなところの人に見てもらいたいって私も思いました。親からのプレッシャーも強い中では、逃げ場所がなくなってしまいそうと思いつつ、就活をすこしでも忘れてのびのびした気持ちでいられる場所はないものだろうか……と思っています。これを送ってくれてから数週間、あなたはいまどうしているでしょうか。