経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

摂食障害です

10代の頃に拒食症になって、過食症になって、過食嘔吐を発症しました。
お腹がはち切れそうになるまで無心で食べて吐く病気です。通学も通勤も生活もままならなくなりました。親は泣かせて友達はいなくなりました。病院に行っても治らなかったのに、ある日ふとおさまりました。
だけど「摂食障害は一生治らない」この言葉が呪いのようにずっと頭に残っていました。
普通の生活はもうできません。
誰かと生活なんてもっとできません。
現在30代、遅すぎる一人暮らしを始めると間もなく、この呪いが蘇って私は再発しました。
泣かせた親には再発したなんて二度と言えません。
病気だった頃を知らない今の友達にはもっと言えません。
最近ではふとした時に自分が自分で分からなくなります。全部他人の人生を俯瞰しているような感覚になるのです。
今はこの人生が、少しでも早く、穏やかに終わるように願う日々です。

感想1

私自身も、過食でしか生き抜けない時期があったこともあり、あなたのタイトルにひきつけられて、読ませてもらいました。そこで改めて、食事は、人間が切っても切り離せない行動だからこそ、食事の塩梅、付き合い方は難しいなと私自身は思いました。そして、一人暮らしを始めたからこそ、食事について自由に自分で決めることができてしまう、考えたくなくても食事に向き合わされてしまうことは多いので、摂食障害になりやすい部分はあるのではないかと私自身は思いました。
そんな中で、あなた自身が摂食障害になったのも、何か食べ物を口に入れる、そして、飲み込む、このプロセスを繰り返すことにより、無心になれる、何か遠ざけたいものを遠ざけるため、もしくは忘れるためにその行動をとっているのではないかと私自身は考えました。一方で、あなた自身も、これまでに親を泣かせてしまった、友達がいなくなってしまった、生活もままならなくなってしまった、そういう経験と、一度はおさまってなんとか過食に頼らなくても生きていけてた経験から、過食をしてしまうことにも一層罪悪感が増しているようにも思えたので、過食をしてしまった後の沈みはとても大きいものなのではないかと思いました。
だから、過食によって、救われる瞬間、生き延びれる瞬間もありつつも、過食(もしくは過食嘔吐)をしてしまうからこそ、苦しめられることもあるのかもしれないと考えると、複雑な気持ちになりました。だけど、きっと過食自身が何かから逃れるための手段だとすると、その行動自体がSOSの可能性もあるし、あなた自身も過食すること以外にしんどい何かを抱えているような気がしてならなかったので、私はあなたの根底にあるものがなんなのかがとても気になりました。(私自身も、長年悩んだことだったので、何か解決の糸口を見つけたくなったのかもしれないです…)

感想2

長い時間、症状がなくても再発の恐怖に怯えながら過ごしてきたのだと思いました。
一人暮らしになって、再発してしまった今、症状自体の辛さと共に、誰にも言えないということがさらなる苦しみになっているように感じました。摂食障害によって周囲との関係性が変化してしまった経験があるのであれば、再発したと伝えないことが、自分の心を守る手段でもある同時に、一人で抱え込まなければならないという息苦しさにもなっているのではないかと想像しています。
食事や睡眠は人間にとって基本的であり重要な事であるぶん、うまく摂ることができなかったときに体に不調が現れ、心には不安が襲ってくるものという感覚があります。反対に、心身の不調から睡眠や食事が乱れ、摂りすぎたり摂れなくなったりすることもあると思います。一人暮らしを始めたという環境の変化も、自覚の有無にかかわらず、負担の大きいことだったのではないかと思いました。
私は物心ついた頃から、食事について考えすぎなかった時期が恐らく一度もないように思います。誰かと一緒に食べることへの不安や緊張、量、質、時間など、いつも食事ないしは自分の食欲に悩んできました。最近は、何かを摂ることで分泌されるホルモンのバランスを意識したり、栄養の吸収効率を考えすぎて、食べるまでのリソースがかかりすぎていることに悩んでいます。食事に向かうストレスや、それに伴う金銭的負担、健康や体型への影響などから解放されて、ただ暮らしや食事そのものを純粋に楽しめたらいいのにと思います。こうして誰かと共有することで、少しでも食事以外の行為から発散したり何かを得られたらな、とも思っています。

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