経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

誰かに聞いて欲しいけど言えなかったこと

私は人に弱い部分を見せることが苦手で、このように自分の内面を誰かに伝えるという行為に不慣れなので、拙い文章になってしまうことを最初に謝罪させていただきます。申し訳ありません。
私は、特に虐待やいじめといったことを経験したわけでもないですが、昔から自分の良いところが見つからなかったり怒られるとすぐ泣いてしまったりといった性格でした。しかも、その性格が年々酷くなっているような気がしています。私は現在大学生なのですが、自分の良いところが見つからないのは就活の時に悪い影響を及ぼすのではないかと不安です。かと言って長年染み付いた考え方を変えることは難しく、どこが自分の良いところだろうと考えて例を挙げてみても、自分はそんな言葉が似合うほど出来た人間ではないと否定ばかりしてしまいます。また、すぐに泣いてしまうというのもここ2年ほど本当に酷くなっています。その原因としては、父との関係の悪化があるのではないかと考えています。高校生くらいから父との折り合いが悪くなり始め、最近はコロナ禍ということで遠隔授業で家にこもりがちになっているのがいけないのか、家でずっとサボっているのではないかと責められることが多くなってきました。段々と、顔を合わせる度に人格否定のような言葉を投げかけられ、同じ空間にいると気分が悪いからとずっと部屋にいるよう強要されることもありました。度々怒鳴られることもあり、父と家に2人でいると、何か話しかけるだけで怒鳴られるんじゃないかと怖くなりました。父が怒鳴っている時は、私が何を言っても意見を聞き入れてくれないので、そこで何を言っても無駄だと思ってしまうからこそ、行き場を無くした感情が涙となって溢れてしまうのかなと思います。ですが、幸いそのようなことは殆ど父と2人でいる時にしか起こらないので、2人きりになることを極力避け、どうしても一緒にいなくてはならない時は他の家族にもいてもらうようにすることでどうにかしています。それに、4月からは対面授業が始まったため、家にいる時間が少なくなったことも良い方向に働いていると思います。すぐ泣いてしまうのをなおすことはできなくても、元々の状態くらいには戻せるといいなと思っています。
上記の性格に加えて、私には自分の嫌いなところがあります。まず、努力ができないところです。私は今まで大した努力もせずにここまで生きてきてしまったと感じています。ぼんやりと生きてきて、何かに入れこんだり、努力した末の成功があったりという経験はすぐに思い浮かびません。また、コミュニケーションを取るのが苦手という点も嫌いです。こちらは昔よりも酷くなっていると感じます。というのも、何か話さなくちゃ話さなくちゃと考えすぎた挙句、訳の分からないことを言って相手を困らせてしまった経験が積み重なってしまったせいだと思います。特に高校生の時に、先生に対してそのような対応をしてしまい、変なことを言う度にいちいち突っ込まれたのが、とても嫌だった体験として胸に刻まれています。最近ではレジの店員さんと話すのも緊張してしまう時があり、レジ袋が必要かどうかなどの事前に予想できる決まったやり取りはスムーズにできるのですが、予想もしないようなことを言われるとどもるようになってしまいました。家族や友達にも、特に自分の意見を言う時などに、声が震えてどもってしまうことがあり、これでは誰とも喋ることが出来なくなってしまうんじゃないかと不安です。
以上のような性格や嫌いなところが、これからの大学生活ひいては就活に著しく支障をきたすのではないかと悩んでいます。私は大学で医療系の学部に属しており、これから実習に向けてより難しいことを学んだり、コミュニケーションを取る練習をしたりしなくてはなりません。ですが、努力ができない私はやる気が出なくて課題がいつもギリギリの提出になってしまいます。さらに、近々コミュニケーションの演習をするそうで、それがとても不安です。厳しいことを言われたら泣いてしまうんじゃないかというのも心配です。予習をしっかりしていけばよいとは思うのですが、嫌なことを先延ばしにしてしまって結局ギリギリになってしまう気がします。努力はおろか、満足なコミュニケーションを取ることもできない私は、医療系の学部にいるべきじゃないんじゃないかと、最近いつも思ってしまいます。ですが、その職について苦しんでいる人を助けたいというのが長年の夢であり、高いお金をかけて私を大学に通わせてくれている両親のことを考えると、とても辞めるなんて出来ません。自分は医療従事者に向いてないんじゃないかと、大学のカウンセラーさんに話してみようかとも思ったのですが、実際にカウンセラーさんと同じような話をした友人によると、向いていないと思うなら大学を辞めた方が良いと言われたそうで、そのように言われるのなら行きたくないと思いました。カウンセラーさんは間違ったことを言ってはいないと思いますが、どうしても辞めたくないから話を聞いて欲しいのに、そのようなことを言われたら何もかも嫌になってしまうと思います。どうしようもないのかなという思いでいっぱいです。
一方で、これから起こることについて過剰に不安に思いすぎなのかなという気持ちもあります。なので、どうにか自分に大丈夫なるようにしかならないと言い聞かせて頑張ってみようとは思っています。
誰かに聞いて欲しいこと、言語化して整理したいことをあるだけ書き連ねてしまったので、まとまりの無い文章になってしまったと思います。ここまで読んでくださったのなら、本当に嬉しいです。ありがとうございました。

感想1

タイトルにもあったように今まで誰かに言いたくても言えなかったこともあって、だからこそ自分の中でたくさん自分のことを考えてこられた方なのかなと文章を読んで想像していました。泣いてしまう理由の分析やそれをなるべく避けるための対処方法、自分の嫌いなところについてなぜそう感じるのかという理由や背景含めて整理されているのかなと私には感じられました。でも、それもきっと長くじっくり考えたり、日々自分自身と向き合って悩んで来た中で言葉にされたものなのかなとも思っています。
経験談を読んで、「努力」ってどんなことをしたら「努力なんだろう?」と私自身も考えてみました。自分が努力したと思えたらなのか、他者から認められたり、結果が伴わないとならないのか…。あなたの表現していた「努力ができない」というのは結果や成果を出すために日々コツコツとやっていくことが難しい、みたいなニュアンスなのかな?と読み取りました。でも、話さなくちゃ考えすぎてしまうような一面もあって、それも違う「努力」の定義では「努力」なのではないかなと思いました。また、「努力はしなくてはならない」「しないのはだめだ」というわけでもないのかなと私は感じています。なので、あなたが努力できても、できなくても、しても、しなくても自分の気持ちが一致することを大事にしてみるというのも1つなのかもしれないなと思いました。(よくわからなかったらすみません。)

感想2

他ではなかなか言えないことを言葉にして伝えてくださりありがとうございます。
読ませていただき、投稿者さんはさまざまな不安を感じながら生活しているのだろうと思いました。
もしかすると、未来のことやこれから起きることをイメージする力が強くて、その分恐れを感じやすいのかもしれないし、一度考え始めると止まらないタイプなのかもしれません。

父親さんに怒鳴られたり「人格否定のような言葉」を投げかけられたりすることは、投稿者さんの不安やおそれを大きくする要素になっているのだろうと思いました。
一方で、父親さんと二人きりにならないように家族に協力してもらうなど、自分でできる対処を積極的に行っているのだなとも思いました。

「努力ができない」と書かれていましたが、コミュニケーションなどについても「困らせないようにしよう」「スムーズにしよう」と考えているからこそ、難しさを感じることが多いのかな?と想像しました。また、そのような思考全体を含めて努力と言えそうだと思いました。
一概に努力をしなければいけないとは私は思わないですし、私はどちらかというと、努力ですべてを解決しようとする風潮の方に問題があると感じているのですが、「これくらいでは足りない」と思うとハードルが上がってしまって、どこまでも合格ラインに到達しなくて苦しいこともあるかもしれないと思いました。

投稿者さんには長年の夢があり、そのためのチャレンジをしているところなのだろうと思いました。夢を絶対に叶えなければいけないということもないはずですが、少なくとも、「どうしても辞めたくない」と思っている投稿者さんが「医療系の学部にいるべきじゃない」と思う必要はなさそうだと思いました。

お返事1

ご感想をいただきありがとうございます。お二方の感想を読んで、こんな自分でも肯定されたかのように感じて泣いてしまいました。努力については、日々コツコツやるという意味でしか捉えていなかったので、考え方を変えて、苦しくならないようにしていけたらいいなと思いました。

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