経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

素敵で優しい人に囲まれてきました

なのになんで希死念慮が常駐してるんでしょうね。

産まれた家庭は貧しくも裕福でもなく、習い事(水泳やら塾やら)にも行かせてもらっていました。乗り気ではありませんでしたが極端に嫌ってわけでもなかったと記憶しています。
両親もまあ、良い両親だったと言えましょう。父も母も揃って私を愚痴の捌け口にしていましたが、人間として暮らしていれば嫌な気持ちになったりそれを誰かに聞いて欲しいというのは当たり前にあることです。
きょうだいも一人いますが割愛。

学校でいじめられるようなこともありませんでした。友達と呼べるような人がいた記憶もありませんが、クラスメイトとして時々話すくらいはしていたし、特別孤独ではありませんでした。

就職先も人に恵まれていたと思います。時に優しく、時に厳しく指導していただいて、至らぬ身を恥じながらも日々感謝しながら働くことができました。今はなんか知らんけど適応障害で休職してますが、理解して心配してくださる方に囲まれています。

配偶者にも恵まれました。喜びを共有し、悲しみに寄り添いあいながらやっていけてると思っています。

これほどまでに恵まれた人生を送っているにも関わらず、なぜか希死念慮がついて回ります。
部屋の隅に転がってる、もう用がない通知文書とかチラシみたいな感じで、「いつ実行してもいいからいくらでも後回しにできるけど、確かにそこにあり続けて視界に入るタスク」みたいなイメージで希死念慮が転がっています。

「産まれたことが間違いだったけど、産まれてしまったことには仕方ないので、死ぬまでは生きていこう」とか思うことで希死念慮をそっと隠しているので、今の所は生きています。

が、どうして私の中に希死念慮があり続けて、日々顔を覗かせるのか、納得がいきません。
そんなものがこびりついて取れなくなるほど酷い目にあった覚えもないし、日々積み重ねて我慢しているようなこともないように思います。

死にたいという思いを抱えるような妥当性というか、「そんな状況だったらそういう気持ちになることも珍しくないよね」と思えるような状況が私にはないのです。
だというのに死にたがっている。理由もなく死にたがっている。

今後の私の暮らしにおいて、この希死念慮が消えることは多分ないと思います。が、せめて納得したい。納得した上でこの希死念慮と人生を歩みたい。
誰か信頼できる人に希死念慮について打ち明けたとして、「どうしてそう思ってるの?」と聞かれた時に「なんででしょうねえ」と答えてしまったらそれで終わってしまう。理由を掘り下げようとすれば後付けの何かしらは出てくるでしょうが、それは本質ではない気がする。

そんなことを考えながら、仕方なく生きています。今日も、多分明日も、おそらく将来も。

感想1

苦しさに、理由や資格が必要なわけではないけれど、あなたにとっては何か理由が必要で、探さざる得ないような焦りやそのことへの辛さがよく伝わりました。文面から、ご家族や職場、配偶者にも恵まれてきたことへの感謝が伝わってきます。その一方で、「こんなに恵まれている自分が苦しいなんて思ってはいけない」と、どこかで自分の苦しさにブレーキをかけ続けているようにも感じました。人はどうしても、自分より大変そうな人と比べてしまったり、この程度で苦しいなんて甘えなのではと考えてしまうことがあると思います。でも、本当は周りの環境に恵まれていることと、自分が苦しいことは別々に存在してもいいものなのではないでしょうか。
私自身の経験も、出来事だけを並べればもっと大変な人はいると思います。だからこそ、自分は傷ついていない、平気だったと思おうとしてきたこともあったように思います。でも今振り返ると、傷つかなかったのではなく、その時その時を何とか乗り越えようと頑張ってきた結果だったのかもしれないな、と感じるのです。だから時々、「傷ついた」と言える人を羨ましいと思ってしまう自分もいて、本当は私だって苦しくなかったわけではなく、「よく頑張ってきたね」と認めてもらいたかったのかな、と振り返ることもありました。あなたにも似たような思いがあったりするでしょうか?
あなたが「死にたいと思うような妥当性が私にはない」と書いていますが、「苦しさを説明できる理由が見つからないからこそ苦しい」、その苦しさはあなただけのもので、それは決して軽いものでも甘えでもないと思います。また、苦しさに必ず理由があるとは限らないとも思っています。理由があるから苦しいのではなく、苦しいという事実が先にあることだってある。だから、「どうして?」と聞かれて答えられないことは、決して苦しさが小さいことにはならないのだと私は思います。
最後まで読んでいてあなたは希死念慮を消したいというより、「納得したい」と書いていて、その言葉にはそれでも生きていくという意思も私は同時に感じました。苦しさを無理に否定するでもなく、美化するでもなく、自分の一部として理解したい。その姿勢に、あなたがこれまで自分自身と誠実に向き合い続けてきた時間が表れているように思いました。言葉にしてくださり、ありがとうございました。

感想2

「納得」という言葉を印象的に感じました。むかし、科学という分野が発展する前は、経験則的な教訓や神話的な物語が、私たちを納得させてきたのかなと思います。それらは現代に生きる私たちからしたらおかしな論理だったとしても、自分たちの知識からある程度の納得をしながらひとびとは生きてきたのかと思います。それでも、納得しきれないことはたくさんあったから、科学やさまざまな学術や、ひとびとの思考は発展してきたことを考えています。理由のわからないこと、とりわけ理由のわからない苦しさは私たちにとても負荷が高いと感じます。私も「こんなに恵まれているのになぜ死にたいのか」と自分に問い続けてきたことを思いながら読んでいました。

愚痴のはけぐちって、実はめちゃくちゃ負担だと思います。私も親の愚痴を聞いて育ちましたが、大人になって振り返れば、もちろん大人にも愚痴をいえる環境は必要であるにしても、その相手はある程度対等な大人か、専門の人にすべきだと思います。子どもに愚痴を言って済ませることは肉体的ではないにしても、子どもを知らず知らずのうちに追いつめるような暴力だと思うからです。暴力や負担の構造は基本的に弱い方へ弱い方へ向かう性質があり、あなたの親も(私の親も)社会やこれまでの経験やお互いの関係性の中でさまざまな負担を感じていたのだとは思います。だけど、そのしわ寄せが子どものあなたに向かったことは、本当は大きな問題だったと言っていいと、個人的には思いました。(ちなみに補足しておくと、そうだとしても、あなたの親や周りの人が優しい人であることを否定するものでもないです。)

私たちの生きる現代社会には「普通に生きていたら死にたくなるはずはない」というメッセージがたくさんある気がします。でも「普通に生きている」とされるような範囲の事柄の中にも、たくさんの負荷やダメージになることがまだ多すぎるのが現代だと私は感じています。「酷い目にあった覚えもない」とありましたが、世の中の「酷い目」の判定基準が厳しすぎて、自分でも無自覚に「このくらいのこと大したことない」って流しているダメージが実はだいぶあるのではないかとも思っていました。というのも、私自身「あのとき自分の感情を否定して、なかったことにしていた」「あのとき自分は傷ついていたのかもしれない」と、トラウマや人間の感情について学ぶ中ではじめて気づくようなことがたくさんあったからです。

また世の中全体で考えても、数十年にわたる不況の中で、たくさんの競争をさせられ、さらにSNSなどたくさんの情報にさらされて生きること自体、人類もいまだかつてない、新たな負荷に溢れた時代を生きているように思います。その中で、「成長しろ」とか「たくさん働け」とか、いろいろ、これまでには成立していたとしても(それも定かではないですが)今の私たちにはうまくハマらない教訓や物語も多く、しかもそのギャップを自分でどうにかしなければいけないという自己責任論がダメ押しで流行っているように思います。その中では、むしろ死にたくなるのは心が動いている証拠とすら言えるように思うのでした。

「部屋の隅に転がってる、もう用がない通知文書とかチラシみたいな感じ」という表現は、あなたが、あなたの心と関わり、しっくりくる表現を探してきたなかで出てきた言葉なのかなという感じがしました。死にたいと一言で言っても、きっと一人一人その内実はすこしずつ違っていて、だからこそ言葉にしてみることには一定の価値があるように私は思います。(私はいまだったら、自分の希死念慮は、部屋でずっと育てているサボテンとかかな……と考えていました。)
私はいま死にトリに関わっているのもあって、親を含め、周りの人にわりと気軽に希死念慮の話をするようになり、自分自身でも、希死念慮を腫れ物みたいに扱わなくてよくなってきた気がしています。あなたの周りの人は、希死念慮があるのが当たり前って感じじゃないのかなと思うと、ただ話すのはむずかしくて「打ち明ける」かそうしないかの決断が必要になってしまうのかなと想像しています。周りの人になんでも話す必要はないと思うけれど、あなたが希死念慮や、自分の心や感性を話せる場所や相手がどこかにあるといいな……と思いました。それが見つかるまで(見つかってからも)よければ死にトリを活用してほしいです。

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