経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きていてごめんなさい

私は今年から大学院に入学したのですが、ずっとうまくやっていけませんでした。そもそもの動機が、他の人と違って「自分がこのまま社会に出れるわけがないのだから、あと二年時間を稼ごう」という不純なものだったからです。中学生の頃にも不登校になったことがあり、そのころから勉強は私にとって恐怖の対象でしたが、それでもバイトの経験もなく、外に出ることすら怖い私には、苦手な勉強を続けることが、社会に対する二年間の建前になってくれると思いました。
実際、ここまでの間にバイトを経験し、得たお金で様々なことに挑戦してみようと思えていて、そちらの面では順調なスタートでした。ですが、当然勉強は大学の頃よりも本格化し、求められる提出物も増えていきました。それでも、それらに対応できるだけの時間は捻出しましたし、それでも足りない場合は徹夜も繰り返しました。ただ、私はどうしようもなく無能でした。課題を行うことが怖くなり、時間を作っても、その時間を動画視聴などの逃避に用いてしまい、次第に課題に追いつくことができなくなりました。担当教員の方にも詰められることが増えていましたが、先日、課題を終わらせようと徹夜したために体調不良に陥り、教員との面談を欠席した結果、ついに見限られるようなメールが届いてしまいました。これまでも数回、体調不良で欠席していたことや、今回欠席連絡の際に送った提出物までも未完了だったことを考えると、正直、自分でも見限られて当然としか思えません。
急いで資料を完成させ、自己責任で発表を行わなければならないのですが、教員の監修すらない今、当の担当教員含めて、誰に何を指摘されるのか、考えただけで怖くて更に取り組めなくなってしまいました。自分の打たれ弱さにうんざりします。この程度の人間は社会でも生きていけないのだろう、と思うと、本当に無価値な人間だと思えてなりません。結局、十年ほどたっても、不登校だった中学時代から、私は何も変わっていませんでした。ごみはごみのままでした。元々親しい人はおらず、同級生たちとは学問への熱量の差に引け目を感じて関われません。この程度のこと、自力で解決すべきだと思うのですが、それも出来ませんでした。親に学費を払ってもらっている身分でありながら、なんという醜態なのでしょうか。世の中にはもっと苦しんでいる人がいるのに、勉強すらさせてもらいながら、何をうじうじと言っているのでしょうか。
課題をすることも、逃げることも出来ません。死にたいと思っていながら、死ぬことも怖くてできません。後遺症が残ることが怖くて、自分で首を絞めてはすぐ離す、ごっこ遊びのようなことしかしていません。私は一体何なのでしょうか。何もできないことも、期日すら守れないことも、生きていることも、死ねないことも、全てが申し訳なくてなりません。自分のためにも、他人のためにも、これ以上誰にも迷惑をかけずに消え去りたいです。

感想1

大学進学の動機が「まだ社会人になりたくないから」という理由だったこともあり、ついつい感想を書いています。学びたいこともやりたい仕事もなかったので、そんなに勉強を頑張らなくても大丈夫な学校に入り、結果的に社会人になるまでの猶予ができました。ただ、それは私が通っていた大学が緩めだったこと、そして私自身勉強がそこまで苦手ではなかったことが噛み合ってのことだったのだと思っています。社会に出るまでの時間稼ぎが大学や大学院という選択肢以外ももっとあってもいいのではないか、そもそも、社会に出るハードルが高すぎやしないか…と強く強く感じます。

あなたの「社会に出られる」というのも、様々な条件をクリアしなくてはならないという感覚があるのかなと感じました。学校を休まずに卒業する、勉強ができる、期日を守る、それが出来ない人は実際に学校では怒られてしまうことが多いと思うので、できなきゃダメだと思わずにはいられないよなぁ…と。時折、「本当にそれができないとダメなのだろうか?」と考えるのですが、私には未だに納得できる理由が見つかっていません。「そうじゃなきゃ社会でやっていけないから」と言われても、それは理由になっていないような気がするのです。なんだか理不尽なはずなのに、それが常識のように存在しているからこそ、「できない自分が悪いのだ」という気持ちにさせられてしまう、そしてどんどん追い詰められていくような気がしています。あなたも含め死にトリにはそうした構造の中で「自分が悪いのだと思わされてしまう」方が本当に多くいるとも感じているので、この社会への危機感が止まらないです…。どうにか社会の方を変えたいものです。

感想2

義務教育は中学校までですが、結局現在ほとんどの人がその先へ進学しているし、次は大学進学率が上がり、そうすると自ずと大学院も視野に入る人が多くなるのかなと思っています。一応中学卒業後もそのまま就職する選択はあるし、高校卒業後、全体のうち4割の人は就職していきます。高校にしても、大学にしても、進学を選んだ人のうち、どれだけの人が「○○を学びたい」という確固たる意志を持って進路選択をしたのだろうかと思いますが、自分にしても周りにしても「周りが進学するから」「まだ就職したくないから」がポピュラーな理由だったと思います。私が不登校→通信制高校から4年制大学進学に漕ぎつく動機になったのもまだ働きたくないからでした。

日本の大学は入りさえすれば出るのは比較的簡単であるといわれていて、そんな大学はなんとかやりすごせたとしても、しかし大学院というのは「ガチ」の研究の場であり、学部の頃より周りの熱意も高いのだろうし、先生方の指導も比較にならないほど厳しいのだろうなと想像できました。私が懇意にしている大学の先生いわく「就職したくないから」でなんとなく院進してそのまま研究者になった人も結構いるらしいですが、多分それは先生の生存者バイアスというか、本当にレアケースなんだろうなと改めて思いました。

私もいま本当は就活をしなければならない時期なのですが、就職したくないです。今やっている分野が好きで、もっと追究したい気持ちがあったのでやはり院進は思い浮かびましたが、英語がすこぶるできないのと、経済的な事情があって選択肢からは外してしまいました。でも社会でやっていく自信も無いし、腹もくくれないし、何より働きたくないです。卒業即就職or進学ではなく、もっとゆるやかに社会人になれるルートが開発されないだろうか、と常々思っています。

いま、心身がかなり落ちている様子で、指導教員にはきっと事情は言いづらいかもしれないけれど、もし大学の相談室やカウンセラーが頼れそうだったら足を運んでみてもいいかもしれないと思いました。どんなことでも自分で解決しなければ、と一人で抱え込む必要はないし、誰かに頼ることはけして悪いことではないと私は考えています。無理をせず、あなたのペースでの生活に少しでも近づいたらいいなと願っています。

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