経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

静かな絶望

言語iq130、動作iq100未満、会社で記事を書く能力だけ評価されてるが、日常業務を回す能力がまるでない。興味が持てず頭に霧がかかる。それをふざけてると思う人、文才笑があるのだから勿体無いという人、唯一無二だからいろと言ってやめさせてくれなかったトップ。一般職の割に変な動きをするからか目立って疲れる。
最近では人の注意を聞き流す余裕もなく、とうとう幸せそうな普通の人を見ると諦めが生じ距離を取り合うようになった。
昔は自分をいじめた人間を恨んでたが、もはや人生に疲れ切り無理やり自分の不幸に意味づけをしていたが、人にそれを特別なキャラにされると消えたいという本音に気付かされる。
持っているものは無意味です、私はただどこかに安心できる場所、弱音を言える相手、大人になっても続く友情がほしかっただけです。今日も私は疲れていないふりをする、でも恵まれているものすら無くなったら、私はなんの拠り所も無くなってしまう。
今日もまた、埃を被ったps5と一緒に眠る。私の安心できる人間関係はどこにもない。こないだ趣味で佳作をとったが、私の本当に欲しいものはもう手に入らないだろう。いっそ、文才があるというなら受賞させてくれよ、非常につまらなく、無価値だと周りにまで思われたらどうしようもない。

感想1

投稿ありがとうございます。Waisにおける数値の凹凸が激しい者として、共感しながら読みました。記事を書く能力が評価されているとあり、仕事に得意分野が含まれることはサバイバルに大事なことだな……と自分を振り返って思っています。言語優位の面は、これまでもさまざまな面であなたを助け支えてきたのかなと感じました。ただ、その分他でうまくできないことがあると、職場でもギャップが際立ってしまう状況なのかもしれないと想像しています。私自身もなぜできないのかと責められたり、不真面目と評価されたりすることが多くあり、うんうんと頷くように読んでいます。この世の中には、いまだに得意不得意を隠さず、できないことは無理せず、適材適所をうまく組み合わせるようにして働ける職場がとても少ないように思います。

またあなたが安心して関われる人間関係を求めつつもそこに強い諦念もあることを感じました。弱音を吐ける関係って、子ども時代もむずかしかったのに、大人はなおさらな気がします。職場ベースの関係は利害関係もあるし、過剰適応しなければいけない状況では心を開くことはすごくむずかしいと個人的には感じていました。私は30代ですが、今もだれか言葉や感覚の通じる他者を探して、小説や漫画などに逃避し続けている気がします。
「埃を被ったps5と一緒に眠る」という一文は孤独を表すものだとは思うのですが、PS5にも魂があるみたいだと感じ、素敵な表現だなと思いました。あなたの見る世界はどのようなものなのだろうと気になっています。この経験談にはあなたの心情が表現されていると思いますが、投稿するにも緊張や抵抗感はあったのでしょうか。知り合いもいないような匿名の場所だから、すこしハードルが低かった面もあるのかな……と考えていました。

感想2

私も言語理解が優位で、文章処理とオーラル・コミュニケーションの能力の隔たりが大きく、脳みその使用コストが他人より大きくつくなと思いながら生きています。一部能力が高いからといって、それだけで食っていけるレベルでもなし、やらなければいけない苦手なことにリソースを使って、得意なスキルも上手く発揮できないこともあるし、なかなか上手くいきません。

この特有の疲れやすさ、能力同士のギャップがなかなか周囲に理解されにくく、単に本人の努力不足の問題として還元されてしまいがちな現状があると思います。その能力に対する周囲の無理解は、こと仕事の面においては本人の負担になるのはもちろん、組織としても適材適所による業務の効率化を妨げるものではないかと考えるのですが、それでも個人が基準に合わせるよう努力しろという話になってしまうのはとても残念なことだと感じます。
日頃のストレスが蓄積すると、心にも余裕が無くなるし注意のコントロールも上手くいかなくなって当然ですが、それが解消されずにどんどん本人を追い詰めてしまうという悪循環。削れるものばかり大きくなり、心の回復につながる趣味や休養の効果が薄れ、くたびれるごとに一歩一歩絶望の淵へ近づいていくような気がします。そのことで、「幸せ」や「安心」との距離が遠のき、それらが自分にとってはより得難いものとして感じられてしまうのではないのかと思ったし、実際私もそんな気持ちです。人を妬み、恨むことにすら体力と気力を使うけれど、もうあなたにはそのエネルギーすらないような感じを受けました。

安心できる場所・安心できる人というのは、今の私には桃源郷のようなものです。本当にあるのかどうか分からないけれど、できることならぜひ行きたいような気持ちでいます。いや、本当は、人それぞれに安心できる場所があってほしいと思います。社会全体が誰も傷つけない桃源郷になってしまえ。と考えました。

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