経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

どうして生きていたくないのか

わたしには心から愛してくれている父と母がいて、面白くて可愛い妹もいます。6年付き合っている優しくて穏やかな婚約者がいて、辛い時に一緒にいてくれる友達もいます。なのにどうして生きていたくないと思うのか。

昔から死について考えることが多かった。小学生のときは絶対に自殺なんてしてはいけないと思っていた。今も自分が死んだら周りの人たちが悲しむからダメだとは思っていて、行動にうつそうと思ったことはない。けど自分で死を選ぶことの何が悪いのかはわからない。自分の人生なんだから、その瞬間も自分で決めていいじゃないかと思う。

その一方で幼なじみが癌で亡くなったこと、母が大病して今は元気で過ごしていること、その経験から健康で仕事もあって幸せなわたしが死について考えることはいけないことなのではとも思っていて、自分の思いが対立していて苦しい。

働いていた病棟が2年前からコロナ病棟になり、厳しい環境で働くようになってから生きていたくないと思う頻度が多くなった。でも誰にも言えない。どうしてこんなに幸せなのにそんなことを言うのか、何が不満なのかと言われそうだから。

自分でもわからない。

これまでの人生、高校も大学も就職先も努力しても一度も第1志望には行けなかった。でもそれなりに納得して生きてきて、戻りたい過去はなく今が1番幸せだと思う。それでも幸せな未来が来ることが想像できない。

何も考えず、ポジティブに生きていられる人間に生まれたかった。

感想1

文章を読んでみて、感情や感覚よりも思考が優位な方なのかな、という印象を持ちました。ただ「生きていたくない」と思うだけでなく、そう思うのはどうしてなのか、という問いに答えようとしているところなどから、そう感じました。

死は自然な現象なので、良いも悪いもないと私は思いますが、世間では忌まわしいものとされる傾向もあるのかもしれません。そのような世間のメッセージから、死について考えることは悪いことだという認識があるのだろうかと想像しました。

また、投稿者さんは幼い頃から、周りの人を優先して自分の気持ちを押し込めてきた(例えば、自分がこうだと思っても周りにダメだと言われそうならダメだということにしてきた)のだろうかと想像しました。

もう何も考えたくないと思うほど、色々考えてきたのではないかと思います。その思考する力が、投稿者さんにとって役に立つこともあるのだろうと想像します。

考えることから離れたいときは、例えば、星空を見たり、旬の果物を味わったり、触り心地のいいクッションを抱いたりなど、五感を使って、いいなと思える体験をするのも一つなのかな…と考えました。

感想2

幸せだと感じて、満足しているべきなのに、生きていたくないと感じるご自身を責めている様子を読み取りました。でも考えてみれば、満足している「べき」というのは、だれが決めたことなのだろうかと思います。死について考えてはいけないように思うけれど、考えてしまう。蓋をしなければと思うからこそ、特別なように感じて、より強く考えてしまうところもあるのかもしれないと想像しました。

私は死について考えることは悪いことでもいいことでもなく、日常の中にあっていい普通のことだと思います。現代では死が生活から切り離されていると言われることがありますが、もともと社会のなかに死は当たり前にあったようです。生きることも死ぬことも向き合えば向き合うほど当たり前のものでもあると思います。だから、投稿者さんが考え、悩むことはおかしなことではないと思いました。

またポジティブに生きる必要もないと思います。ただ、投稿者さんが死や生にまつわることで悩んだり、必要以上に困ったりする必要もないと思います。死にトリは死をタブー視することなく、日常の言葉として交わすことのできる場所としてありたいと考えています。とりコミュやここチャットなどを使って、特別なことではないものとして話す練習をしてみるのもいいかもしれないと思いました。よければ使ってみてください。

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