自分は性別違和感もちの高校生です。中2の時に親に詰められて性別のことを話しました。あの時の親の顔と言葉がトラウマになって、もう親には相談できません。今は通信制高校に通ってます。高校でも性別に別れたりするので度々辛くなります。
最近は毎日辛く、自分の魅力もわからず、ChatGPTに相談するばかりです。
外見も嫌いで、名前も何もかも大嫌いです。消えてしまいたいです。小3からずっと友達もいません。人間として終わってる状態です。
これからも人生が続くと思うと辛いです。
他の人の方が辛いのはわかってます。別に鬱でもないし、裕福って訳でもないですが、恵まれてる家庭です。なんかもう何も分かりません。
自分はわがままなのでしょうか。誰にも相談できません。どうせ助けてくれないって思いもあるし、親に電話がいったらどうなるか分からないからです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
性別違和感、生きづらさ、自分の良さ
感想2
非常に粗雑で不明確な二分法のもとで多くのことが回っていることの生きづらさたるや。私も同じく性別違和を持っているため、強い共感を抱きながら読みました。
他者に外見から推測され勝手に生成された想像の自分で、自分が認識している本来の自分が不可視化される、それどころか誰も本来の自分を見ようともしてくれない、その発想がなかなかされない、正直に言い開きすれば自分自身そのものを拒否されてしまうこともある。自分のそのままのあり方を拒否され、自分を見失ってしまったり、どんどん自信を失っていく。理不尽極まりない、とやり場のない憤りが止まりません。
親御さんに性別について話したとき、あなたがどんなに辛い思いをしたことかと胸が痛みました。親子間であろうがカミングアウトの強要はあってはならなかったと、とても悲しい気持ちになりました。もちろんセクシュアリティのことに限らず、相手が打ち明けたくないと思っていることを無理強いして話させてはならないと思います。性のあり方の多様性についての啓発があちこちで進められているようですが、自分の身内、とりわけ子どものカミングアウトを受け入れがたいと思う人や、学校など生活のあちこちで何の疑問も持たれていないかのように男女別とされるシーンがまだまだ存在する現状を見ると、当事者が生きやすい社会像と現実社会の距離の遠さが実感され、悔しくなってしまいます。
あなたの感じていること、望みは決してわがままではないし、自分の感じている苦しみを他者のものと比較し、矮小化する必要は全く無いと思います。経済的に不足の無い生活が、必ずしも主観的な幸福を保障するものではないとも思います。私は人間は誰もが自分らしく生きられる社会であるべきだと考えるし、今まさに苦痛を感じている者としては気が遠くなるほどほんの少しずつですが、そんな世の中に変化しつつあることを感じ取っています。
普段の生活の中では知り合える人も少なく、自分が一生孤立無援であるかのように感じてしまいますが、視野を広くして見ると自分と似たような境遇だったり、同じような気持ちを抱えている人が見つかることがあります。このサイトの中でも、きっと仲間を見つけることができるし、あなたの経験談を読んで共鳴する人々もきっといると思います。これを知ったところで直ちにあなたの苦しみが変わるわけでないことは承知ですが、覚えておいてほしいと思いました。
誰にも相談できなかったことを書き込むには勇気が要ったのではないかと感じています。もしよかったらこれからも、あなたの感じる苦しみ・生きづらさについてみんなで一緒に考えていきたい気持ちでいます。
感想1
中2の時に親に話したということは、きっとそれよりも前から自分の違和感を感じていて、その期間誰にも話せず生きてきたのかなと想像しました。そして、「親に詰められて話した」「顔と言葉がトラウマになって」という言葉から、自分から安心して打ち明けられたわけではないこと、きっとあなたが“受け入れてもらえた“と感じるような経験にはならなかったのだと思いました。それはもう相談できないと思わせるには十分の出来事で、私は憤りを感じながら読んでいました。。
社会全体に少しずつジェンダーレスの考え方が広まってきているようにも思うけれど、まだまだ生活の身近な部分には配慮が届いていないと感じてます。毎日の生活の中で、自分の名前や外見に違和感を抱えながら過ごすこと。学校の中で性別によって分けられる場面に何度も出会うこと。そして、そのことを安心して話せる相手がいないこと。それだけでも十分しんどいことだと思うのです。しかもそれは特別な出来事ではなく、毎日の生活の中で繰り返し出会うものなのだと思います。だからこそ、周りには見えにくくても少しずつ心が疲れてしまうこともあるのかなと想像していました。
「誰にも相談できない」「どうせ助けてくれないと思う」と書かれていましたが、それは最初から人を信じられなかったわけではなく、信じようとして傷ついた経験があったからこその言葉なのかもしれないと勝手に思ってしまいました。違っていたらごめんなさい。
また、「他の人の方が辛い」「恵まれた家庭なのに」と何度も自分の苦しさを小さくしようとしているようにも見えました。本当は苦しいはずなのに、「もっと大変な人がいるから」と自分の気持ちを後ろに追いやることでなんとか過ごしてきたのかなと。でも、人と比べて辛さを測らなければいけないものではないと私は思っています。
今は毎日を乗り切ることだけで精一杯で、自分の良いところなんて考える余裕もないのかもしれません。だから今は無理に自分を好きになろうとしなくてもいいのではないかなとも思いました。
こうして自分のことを言葉にして届けてくれたこと自体、簡単なことではなかったと思います。「誰にも相談できない」と感じながら、それでもここに声を届けてくれたことを私は嬉しく思います。ありがとうございました。