経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

中途半端な自分への懺悔と後悔

こんにちは。長い上に駄文になります。ご注意下さい。

昔からどこか冷めていて、そのくせ中途半端にプライドは高い自分に嫌気が差しました。自業自得ですが、自分の人生そのものに嫌気が差し希望が見いだせない状況に陥ってしまいました。

今までの人生を振り返ってみると、私の人生は中途半端なものだったと感じています。物心ついたときから、様々な事象に対しうっすら恐怖と不安を抱えていたことを覚えています。主体的に物事に取り組まず、逃げてばかりだったな…今はあの頃よりも少しはましになったと思いたかったけれど、根底は何も変わっていませんでした。「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものですね。小学生から今に至るまで、やることなすこと何もかもが中途半端でした。数年続けた習い事や学生時代の部活等、私が関心を持ったことをさせてもらっていたのに、何一つとして続けられませんでした。

人付き合いも下手で、小学生の頃には自分の不甲斐なさが原因でいじめられたこともありました。中学生の時には、別の友人とすれ違いがあった際に、その当時のことを引き合いに出されたこともあります。その当時のいじめが私の被害妄想と言われ、厳しく追及されたこともありました。その時は誰も私のことを信じてくれないのだと酷く落ち込みましたが、そう言われる原因は私にあるのだと再認識することで自分を納得させようとし、自分をなだめることしかできなかった。
その後は少しずつ自分を変えていこうと手を尽くしてみました。その甲斐あってか、高校生の頃には部活動で部長を務めました。ですが、その時も自分の不甲斐なさが影響し、部内での分裂を引き起こしてしまいました。結局私達の代が引退するまで解決することはなく、他の部員の貴重な時間を無駄にしてしまいました。今は当時の部員とはほぼほぼ連絡を取っていません。皆私に対し、少なからず恨みを抱いていることでしょう。自意識過剰かもしれませんが、仮にそう思われても当然のことをしてしまったのです。後悔と罪悪感だけが私の中に残っています。
今付き合っている恋人も、連絡が中々返って来ないことが多く、またあちらからのアクションもほぼなく、私への関心が薄いようです。私が取っつきにくい雰囲気なのかもしれないと思い、色々と試してみました。でも、もう疲れてしまいました。今までは、「あちらは忙しい人なので連絡が取れないだけ。私は健気な恋人だ。」等と自惚れてました。ですが、最近になって、そう思うことによりこの現実から逃げたかっただけなのだと気づきました。あちらは今も私のことを好いてくれているようです。それに、数年も私と付き合ってくれた。今も私と向き合おうとしてくれています。ですが、こちらはもう信用ができなくなってしまった。私の愛はこの程度なのかと絶望するばかりです。恋人の貴重な数年を奪ってしまっていることを申し訳なく思います。そんな私のことも大切に思ってくれている友人がいます。学生時代の友人の中には疎遠になってしまった人が多くいますが、今でも話を聞いてくれたり、些細なことで笑い合える友人に出会えたことは、本当に有り難く思います。そんな友人に対しても、時折距離を感じることやイラついてしまうことがあります。話せないこともあります。そのことで罪悪感に苛まれる日々です。

仕事も、入社して1年半で適応障害になりその後退職しました。今後の目処も立たず絶望しています。考えもうまくまとまらず、焦りが募るばかりです。それでも、親はどうにか励まそうとしてくれています。先程の友人といい、周りには優しい人が多いのに、恵まれているのに、私は動けずにいます。考えすぎ、気にしすぎとも言われました。確かにそうかもしれません。でも実際は、自分の体裁しか考えられていないのです。結局は自分のしょうもないプライドや焦燥感で自分のみならず周りにまで迷惑をかけてしまっています。仕事の引き継ぎもろくにできないまま退職してしまい、同僚にも迷惑をかけてしまったこと、大変申し訳なく思っています。その上、先の見えない暗闇に閉じ込められたような感覚がずっと続いており、苦しさだけが自分の中に溜まっています。
ここまで、長々と自分についての振り返りをしましたが、改めてどうしてこんなに中途半端な人間になってしまったのかを考えてみました。
私は能力も低く、努力も続かない人間です。今までの経験で嫌という程思い知らされました。そのくせ理想だけは高く、変に完璧主義な所があるのだと思います。だから、結果的に自分の首を絞めることになるのです。それだけならまだしも、その傲慢さで周りの人にまで迷惑をかけている。本当にどうしようもない人間です。小さな頃からそうです。興味を持ったことに対し、初めは努力ができていても、途中から努力をしなくなるのです。7年程続けた習い事も、中途半端な状態で辞めてしまいました。それだけ続けていれば、少しくらい成果を出しても良かったのに。結局私は、好きになったものに対しても中途半端、何かを極めたことなんてなかったんです。だからこそ私の友人や恋人、及びSNS等で見かける「努力している人」は私にとっては眩しすぎる存在なのです。その人達には尊敬すべき点が沢山あります。その人達から色々なことを前向きに学んでいきたいと思っています。ですが、突然その人達を見ることすら嫌になる時があるのです。自分でもおかしいと思います。その人達を見ていると、自分が酷く醜い存在に思えてしまい、涙が溢れてしまうこともあります。それでも、生きていかなければならないことに不安を覚えてしまうのです。もう成人したというのに、いつまでも子どものままです。本当に情けない。今は全てに対し、絶望しています。当然、ずっとこのままという訳にもいかないことは理解しています。それでも、すべきことから逃げてしまったり、そのことでまた自分を責め、泣いてしまい本当に情けないです。自分を責めるだけでは何も始まらないのも分かっています。大人として、私は失格だと思います。消えてしまいたいと思うことが多々ありますが、生きていかなければなりません。これから、どうしていけばいいのか…少しずつでも考え、前に進んでいきたいと思います。

ここまで読んで下さった皆様、お付き合い下さりありがとうございます。一人ひとりそれぞれの事情があると思いますが、どうか少しでも皆様方が幸せを感じられることを祈っています。

感想1

読んでいくと「自分の不甲斐なさから」「自分のせいで、相手に迷惑をかけた」いう言葉が目立ち、全ての物事の責任を自分に矢印を向けて一人抱え続けているように見え、とても長い間この連鎖から抜け出せず苦しんでいるように私は感じました。それがタイトルにもある“懺悔と後悔“をここに声にして届けてくれたのかなとも思います。
部活のこと、恋人のこと、職場のこと、全てにおいて人と人とが関わっている以上、片方だけに落ち度があることはほとんどの場合なく、お互いが作用して結果があると思うのですが、それでもそれを長年「自分のせい」にすることで心を守っているようにも見えました。
ご自分でも書かれていた完璧主義であるが故の、全てが中途半端に映る、そんなことも関係しているのかもしれないと思いましたが、高校では部長を任せられる程の努力をしてきたこと、7年続けた習い事があること、など続けた事実やできてきたことも間違いなくあって。それも「中途半端」と自分で評価しないと苦しい何かや、自分以外の人に評価されるもしかしたら恐怖感みたいなものもあるのかなと、勝手に色々な想像をしていました。
そもそも“成果“とは実に曖昧で、自分が設定する理想のようなものに私は感じています。個人の価値観、それを形成する育ってきた環境や人との関わり、経験によっても変化があるものだと思います。そういった今までのもの全てが作用して、今の考えがあるとは思いながらも、あなたが小さな頃から得体の知れない恐怖や不安を抱えながら、続かずとも様々なものにチャレンジしてきたことや、あなたが思う“成果”というものが残せなかったとしても、それに費やした時間や経験は無駄な時間だったと私はどうしても思えずにいます。あなたにとっては「続かなかったもの」でも、その時その時、本気で向き合っていた時間だったのではないか、と私は感じました。

ここで文字を連ねることで何か少し消化出来るものがあったら良いなと思いました。投稿ありがとうございます。今までの人生を振り返り、今までの全ても今も考えることをやめず、進んでいこうとしていることに頭があがらない想いですが、これからもまた一人で抱え整理することは消耗することもあるだろうと感じます。必要な時はまたここに届けてくれたらと思います。

感想2

私は熱しやすく冷めやすい人間なのですが、自分の中途半端さに嫌気が差す波がきた様子にとても共感しながら読ませてさせていただきました。落ち込む波というのも、月日の体調に左右されたり人生の岐路に左右されたりするもので、投稿してくださった時には色々重なりかなり落ち込んでおられた様子が伝わってきています。

特に、仕事を辞め、動けずにいる中で巻き起こる自責の念というのはとても強いものだと思います。それから、焦燥感や不安感に毎日駆られとても辛い状態だろうなと想像します。生きているだけで人に迷惑をかけている・・仕事を辞めて時間が経つにつれそんなことを思ったり。適応障害とは、適応できなかったということではなく、適応しようとし過ぎちゃった弊害だと私は思っているので、それだけあなたが周囲に適応しようと頑張ってこられた様子が伺えました。

一つのことが続かないことや中途半端への自己嫌悪の気持ちや具体的な例は沢山あげられたのですが、あなたの思う具体的な理想像や完璧だと思える状態については詳しい書き込みがないことが気になりました。ただ「何かの成果を出していたり、成し遂げたい」という気持ちが強くあることは伝わってきています。もしかしたら、具体的な目標値というものがあまりない状態なのかもしれません。そんな状態の自分に失望しているような感覚もあるのかな。

SNSを見ると落ち込んでしまうという現象は多くの人が直面することだと思うのですが、特に私たちのような人にとって一貫性があるように見える人や、同じ努力をずっとしている人というのが眩しく見えるというのはとてもわかりますし、おかしいことではないと思いました。遠い人だったら憧れで終わるのに、身近な人だとなんだか妬ましい気持ちになるということもとても自然な感情だと思います。

人と比べずに努力を重ねられる人というのは、おそらく目標を成功させるステップが明確な人なのかなあ、と思ったことがあります。余談ですが、大谷翔平選手のマンダラチャート(目標達成シート)をご覧になったことはありますでしょうか。ものすごく具体的に「こうなるためには何が必要」というものを考える力があり、私は度肝を抜かれたことがあります。大谷選手とほぼ同年齢の私は達成するには何が必要かということ以前に具体的にどうなりたいかも何がやりたいかも、いまだにわかっていないような気がしています。わたしと同じような人の方が世の中多いのではないかなと思うので、明確な目標があり、その一つのことに打ち込み、毎日のルーティンを何十年も欠かさずにできるという人は、よほどの超人であるか、実はかなりの変人なのでは・・と思っちゃったり。

ここまで感想を書きながら、改めてあなたの置かれている状況を想像したら、仕事が続けられなかったことでこれまでの中途半端なご自身を思い出しておられるということだったのかと勝手に腑に落ちています。もしもこれまでも、今も、具体的な目標を書き出せるものがないのだとしたら、色々な経験をしながら、自分が続けられること、自分に合うもの、やりたいことを見つけるのもものすごく大切な時間だと思います。

倒れたり、これ以上病むことなく退職を決断されたのもあなたの勇気とあなたの力です。やらずに諦めるのではなく、やって駄目だった方がずっとかっこいい。今は辛い時かもしれないけれど、この先も色々なものに触れながらご自身のペースで続けられるものに出会う力のある方だとわたしは感じました。

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