経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

許したい

小学6年生の時に引っ越しをした。4つ離れた姉の高校進学に合わせてだった。特に相談などされることなく、わたしは現実味がないまま引っ越しをした。
もうすでに出来上がっている集団に馴染もうと、面白くないのに笑ったり、明るい人間になろうと必死だった。
ストレスで白髪がたくさん出てきた。それをクラスの男子に汚い、とからかわれた。傷ついてるのに大丈夫なフリをして、不仲な両親に相談できる空気感もなく、はさみをこっそり浴室に持ち込んで白髪を切っていた。
中学でいじめがあり、高校は行ったが人間関係に疲れて中退し、通信制に編入した。

姉と比べられ、褒められた記憶もない
前に母親と洋服を見に行き、店員さんが試着したわたしを褒めてくれた。その時母親は「服を褒めただけであなたの事は褒めてないからね」と言った。
自分に自信がない。
40なのに、人と関係を築くのが下手だし苦手。転職を繰り返すし、続かないことで更に自信もなくなった
自分を変えようと本を何冊も読んできた。
でもわたしは自分を変えれなかった

定期的に親や姉への怒りが湧いて「わたしがこんな風にしか生きれないのはおまえたちのせいだ」とキレてしまう。
今こんなに生きづらいって現状に対して、自分自身や家族を原因にしてもがいてる

辛かったことは事実としてあるけど、執着することにも疲れ果ててる
わたしは、もう自分も家族も許したいんだと思う

感想1

投稿ありがとうございます。
「自分も家族も許したいんだと思う」の最後の一言から、過去の母親さんや姉さんに関わるつらさから解放されたいという思いと、同時に諦めのようなものを個人的に感じました。
何かがきっかけで過去のつらい体験を思い出してはまたつらい思いをし、それを繰り返すくらいならいっそ何もかも許して忘れてしまった方がいいのではないか。早く解放されたい。あなたと同じではないですが似た経験をした時に私はそう感じていました。もしかするとあなたもそうなのかな、と感じました。

お買い物に行かれた時のお話、すこし驚きました。
似合っているんだろうか、という不安と褒めてもらえるかな、という期待。洋服を新調するときってそんな感じなのかなと想像しました。一番といっていいほどに時間を共にしている母親さんからは褒めてもらいたいという思いが少なからずあったのではないでしょうか。「服をほめただけであなたのことは褒めてないからね」という言葉からは、明確にあなたを傷つける意図を私は感じました。これまであなたの中に褒められた記憶がないことや、日ごろからこのような言葉を受け取っている可能性を考えると、あなたが「自分に自信がない」と感じるのはあなたのせいじゃないよって私は思います。お買い物の時の言葉もそうですが、言葉一つ一つがあなたの心に傷をつけ、蓄積していった傷が自信の器に大穴を開けてしまったのではないかと私は感じました。
そういった体験をしながらも変わろうとするあなたの姿に頭が上がらない思いです。あなたのそういった前向きなところを含め、報われる日が近く訪れる事を願います。

感想2

タイトル、文末に綴られている「許したい」という表現に、同じく家族関係(私の場合は親子関係ですが)で今も感じている私自身の気持ちにオーバーラップするものがあったので惹きこまれるように読みました。

私もきょうだい(3つ離れた姉)がおり、少なからず親から見たきょうだい間での違いや受け止められ方のズレを感じて生きてきたので、自分でも身に覚えのあることがあります。ですが、あなたの場合は引っ越しに伴う物理的・環境的な変化を伴ったものも相まって、その影響や受けてきた負荷の大きさを感じています。

それは、まだ若年でもある年齢においてあなたの身体に起こった変化が物語っている気がしますし、馴染もうとしていたなかで向けられた周囲からのまなざしを考えると、とてもやるせなく、言葉にはできない悲しみを抱いてしまった私がいます。

いじめという被害を受けて、「人間関係に疲れた」と感じたあなたの言葉には決して受け流せるものではない家族や周囲の人間に対しての不信感ともいえるようなものを感じましたし、そういった胸に抱くのも苦しい体験を抱いてきたなかで母親から向けられた言葉にはあなたの痛切な気持ちが込められているようにも思えました。

年齢を重ねたこと、自分を必死に変えようと努力してきたことにはあなたの切実な気持ちがあるような気がしますし、それでも「なかったことにはできない」という強い葛藤も見え隠れしているように勝手ながらに感じます。

「執着している自分も確かにいる」と感じながらも「許したい」と考える相反する自分がいることには(私自身も)共感しかないのですが、過去に受けた傷やそれを傷だと感じながら生きている自分もまた“等しく自分”と言える気がするので、「許す」という形ではなかったとしてもあなたのなかでの折り合いがつけられる何かがあってほしいなと思いました。

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