私は一人暮らしをしていて、訪問看護やヘルパーさんの支援を受けながら生活しています。
身体の不安もあり、支援者との関わりは生活の支えであると同時に、心の支えにもなっていました。
以前、特定の看護師さんとの関わりの中で、自分の距離感が近くなりすぎていた部分があったと思います。当時は十分に問題として受け止めきれていませんでしたが、後から振り返ると、相手や事業所側に負担や不安を与えてしまった可能性があると感じています。
その後、その看護師さんが来なくなり、若い看護師さんの訪問も減ったように感じました。さらに、訪問看護の体制や担当者についての話し合いの中で、追加の事業所を入れて調整する話も出ました。
その流れを受けて、自分の中では「自分の距離感の問題が原因で警戒されているのではないか」「若い看護師さんを自分から遠ざけるために体制を変えようとしているのではないか」と感じてしまいました。
本当は、人員不足や体制上の事情もあるのかもしれません。けれど、自分がどう見られているのか分からないまま話が進むと、「もう信頼されないのではないか」「新しい事業所にも悪い印象だけが共有されるのではないか」と考え込んでしまいます。
特に夜一人になると、その考えが止まらなくなり、死にたい気持ちが強くなることがあります。
まだ気持ちは整理しきれていませんが、自分が何に傷ついているのかを少しずつ言葉にして、落ち着いて伝えていきたいです。
死にたい気持ちがある時でも、その気持ちをすぐに結論にせず、まずは今夜を越えることを考えたいです。
感想1
答えの見えない後悔や不安に襲われる夜を、何度も過ごしてきたことが伝わってきました。自分が何を感じているのか、どうしてこうなったのか、1つ1つ確かめようとする姿を感じ取っています。投稿者さんの中で、自分が相手に対してどんな感情を抱いているのか?という自分に向く矢印(自省や内省)と、相手から自分がどう思われているのか?という相手に向く矢印(評価への不安)が混在していて、苦しみを複雑化させているような印象も受けました。
自分と他者、双方にとってほどよい距離感というのはパッと見でわかるものでもないからこそ、コミュニケーションを通して確認し合ったり、しんどいなと感じたら離れてみたりといった調整を重ねる過程が必要なのだと思います。ただ少なくとも投稿者さんの視点で見れば、距離感をすり合わせる機会も、自分の考えを伝える余地も設けられないままに話が進んでいるように感じられるのかなと想像します。またもし相手と何かを話すタイミングがあったとしても、自分を責める気持ちがあるときこそ、自分の考えを言葉にすることはためらわれてしまうのではないでしょうか。
個人的に、「相手との距離感を間違ってしまったな」と感じて後悔した経験は多く、そのたびに「やり直し」をする勇気が出なかったり、そもそもそのチャンスがなかったりすることを歯がゆく思ってきました。いざ話してみると相手側も何か考えていてくれたりすることもありますが…どうあがいても「相手に負担をかけたかも」という自責の念を消し去ることは難しいなあと感じたりします。
ぐるぐると一人で考え込んで息苦しくなったとき、夜を越える術が傍らに1つでも多くあるといいなと思います。