小さい頃から、大人になるのが嫌でした。大人になったら、歳をとったら、死ぬじゃないか、と思っていました。将来の夢がなくて、聞かれるたびに困ってしまいました。変化が嫌いで、知らないうちに世界がループして、今がずーっと続いたとしたら、それが一番いいなぁと思っていました。
私はそれなりに恵まれた環境で育ったと自認していますが、私の内側には、人生はしんどいもの、つらいものという認識が、いつの間にか、こびりついています。人生で一番楽しかったのは保育園で、そこから私の気分は基本的には右肩下がりです。いつからか「死にたい」と思うようになり、今ではすっかり口ぐせです。人生を祝福できていないなと、節目節目で感じます。
何がつらいのか、何がきっかけなのかは、よくわかりません。ネットで診断などを受けてみると、「ちゃんとしなきゃ」という思いが強すぎると言われます。当たっている部分はあると思います。怒られるのが、見限られるのが怖くて、誰にも心を開けず、この気持ちも誰にも相談できません。相談しようにも、もはや私には人間でいることがつらい、という話になってしまう気がします。
毎日、早起きして、涙をこらえながら通勤しています。最近、家に誰かの目がなければ、自殺していてもおかしくなかったという日が、ありました。それ以来、毎晩帰りに近所の神社に寄って、「どうかお救いください」とお祈りする習慣ができました。でも、体は動くし、ご飯も食べられるから、私はしんどいフリをしているだけなんじゃないかと、思ってしまいます。
またこの生活にも慣れれば、多少楽にはなるのでしょうが、慣れること(成長すること?)が果たして正しいことなのか、わからなくなってしまっています。でも、投げ出して逃げ出したとして、その先に幸せがあるのかも分からないし、幸せをつかむエネルギーが私にあるとも思えません。死ぬのは苦しいですが、それでも総合的には一番楽なんじゃないかと思ってしまいます。今後やりたいこともなく、友人もおらず、結婚ももちろんできないだろうし、ただ老いて死ぬだけで、「死にたい」という気持ちとも、おさらばできないんだろうなと思いながら、まだ、生きています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人生を祝福できない
感想2
死にたい気持ちを持つことと、人生を祝福することがあなたにとっては相反することなのだなと感じて印象的でした。私はそのどちらの気持ちも持っている気がしたためです。それは希死念慮が嘘とか、虚勢を張って人生を美化してるとかでもないと自分の中では思います。そう考えると、私は毎日感じることが極端に変わることも多いのですが、あなたは感じ方についても割と一貫性が強く、その日によってまったく違うというふうにはなりにくいタイプの人なのかなと想像しました。
また「慣れる」と「成長する」は結構距離のある言葉というイメージだったので、一緒に書かれていることに不思議に感じました。今の職場の雰囲気の中に、「成長するべき」という認識が織り込まれているから、それに慣れることが求められるのでしょうか。世の中にも成長万歳な風潮もあるかもしれません。このあいだ「成長を目指さなくても、みな生きているだけで成熟していくんじゃない?」という話を聞いて、なるほどと思いました。成長を強いられること自体の苦しさもある気がします。
その意味で、「ちゃんとする」というのも似た世の中に愛された概念なのかもしれません。でも、私はさまざまな経験談で「ちゃんとするべき」というような言葉を読むことがあるのですが、よくよく読むと、その意味するところは人によってかなり違う気がします。成績、容姿、コミュニケーション、職場、お金、生活、などなど多岐に渡ることが人それぞれのイメージの中にはありそうです。もしかしたら、あなたにとっても、重要な「ちゃんとする」の指標があるのかなぁ、死にたいと思うこと自体がちゃんとしていないことという意識があったりするのだろうかと考えていました。(私自身も多分その基準には全然当てはまらなくて、毎日仕事できないし、死にたいし、家事はできないし、精神科に頼り、さまざまなものに頼り、いろんな失敗をしまくりで、目も当てられない感じかも……。)
経験談から、あなたがずっと苦しさを感じながら生きてきたことを感じました。それって全然しんどいふりではないと思いました。そのしんどさに耐えるのが、これまでやってきた唯一の生活スタイルだとしたら、なにがつらいのかわからないのも無理はないと思いました。誰にも言えない中で、あなたが経験談を投稿してくれたのは、とても大事でありがたいことだと私は感じました。個人的には逃げてもいいしやめてもいいと思います。さまざまな救いのあり方があると私は思います。それはもしかしたら神社に毎日お詣りするその時間自体かもしれないし、完全な救いはなくとも、ほんのすこし心を穏やかにしたり、苦しみを減らしたりするものかもしれないと思います。でもそういう小さな救いをなぎ倒すくらいのつらさが増えてしまうこともあるのかなと思うので、せめて心のうちに溜まった思いを置きに、「とりコミュ」などにも書きにきてもらえたらと思いました。
感想1
「将来の夢がなくて、聞かれるたびに困っていました。」という序文に密かに共感しながら最後まで読ませていただきました。今がずっと続いたらそれが一番いいなあ、という言葉もなんだかよく分かるような気がしています。昔読んだ本の中で、「人は部屋の中で何をするでもなく過ごすことが(刺激もなく傷つきもしない)最大の幸福なはずなのに、外へ出ていく生き物」というような文章を目にしたことを思い出しました。
やりたいことが見つからない中で、将来の選択をしなければならない時期は、とても辛かっただろうなと想像します。周りのいわゆる夢を持っている人たちがキラキラして見えたり、自分だけが取り残されているような感じがして焦ったりしたかもしれません。「これをやってみたい、この道に進みたい」と思うのには、人それぞれのタイミングがあるだろうと思うのですが、学校社会の中で全員が一律したタイミングで、将来を考え進路を決めるというのはあまりにも不自然で、人によってはとてつもない苦痛を伴うものだととわたしは思っています(わたしもその一人でした)。
自分の本心かどうかもわからない道に無理やり進み、それでも周りに迷惑をかけないよう気を遣い、自分に厳しく仕事をこなしているのではないかな、とそんなイメージが頭をよぎります。勤めて初めてのことだらけでも、自分で失敗を許せなかったり、あるいは失敗することが怖かったり・・毎日が緊張の連続なのではないでしょうか。変化が苦手で、慣れるまでに時間がかかるあなたの性質を思えば、慣れるまでの時間の間にものすごいストレスを抱えることも想像ができます。
これまで、変化が訪れるタイミングでどのようにあなたは乗り越えてこられたのかもう少しお話をお伺いしたいなと思いながら、もしかしたら「死にたいと思うこと」で楽になっているあなたの心もあったりするのではないかなとも感じました。祈ることや気持ちを人に話すこととと同じように、死にたいと思うことで楽になる気持ちがあるのなら、その気持ちを否定せずに肯定していたいとわたしは思います。
時折将来に対する不安にのまれることもどうしてもありますが、「誰一人として、明日のことがわかる人はいない」という言葉も思い出します。人生を考えるとわたしも絶望しがちなのですが、できるだけ一日一日を良い日にするということだけでも良いのかな。もしも、また少しでも自分の本心を人に語りたい時には死にトリや経験談を利用して欲しいです。あなたと孤独を持ち寄って、こうしてやりとりできたことがわたしはとても嬉しかったです。