楽しかったのは幼稚園から小学校まで。
途中で中学から転校して、1年の頃からいじめられて、高校でなんとか抜け出せた。
まだ軽いいじめだったから、何とか不登校にならずに済んだけど、そのころまだ少数派だったネットが自分の世界だった。
2年の頃はネットの友達と毎晩4時頃まで通話して、オールして中学へ行き、授業中に寝る。
家は両親の仲が悪くなっており、父親からのあたりが強くなってきた時期でもあった。
暴力は無かったが、父親の気分に振り回されるのが嫌だった。
父はペットすら気分で飼う人で、飽きたら世話を家族に任せる。
酒を飲んで酔っ払って、ハムスターやうさぎを買ってきた事もある。
今飼っている犬も、そんなペットのうちの1匹だ。
高校に上がってからは、部活の傍らバイトを始めた。
高校生のお小遣いとしては7万円は大金だった。
ちょっと部活終わりの時間帯から働くだけで、こんなに貰えるのかと、今までお小遣いを3000円しか貰っていなかった私は驚愕した。
そこからは、好きなものをすぐ買うようになった。
それは高校を卒業して、大人になっても続いた。
クレジットカードを持てる歳になって、金遣いは激しさを増した。
ショッピング、キャッシングを月限度額まで使い込む。
その返済で現金が無くなるから生活費さえクレカで払う。
また現金が無くなる……。
それだけでは飽き足らず、消費者金融3社からも自転車操業で金を借りた。
もはや、好きなもの、やりたいことのために金を使うことは、私にとって心の安寧になっていた。
ストレスのはけ口が、金遣いの荒さに直結していた。
そんな生活を6年ほど繰り返した時に、とうとう返済額が給料を超えた。
もともと大学にも行かなかったので、非正規雇用の薄月給だったのもあり、
限界になった私は、債務整理を申し込んだ。
月30万の返済が36000円になったが、癖は治らず、貯金も貯まらなかった。
仕事を変えて夜勤になったは良いものの、上司と性格が合わず、消耗しながら月10回の夜勤をこなす。
そうこうしている間に調子が悪くなり、精神的に様子がおかしくなった。
私はおかしいのではないか?と思い立ち、心療内科を巡った。
そのうち、3つ目の病院で良い先生と出会えたのは良かった。
問題は、私が薬を飲み忘れることが多々あったせいだ。
そのうち、もう薬は必要ないと思い立ち、飲むのをやめてしまった。
初めは高額だった医療費も、自立支援でかなり抑えられた。
それでも返済に追われ、自分で払えなかった。
悪いと思いながらも、母親が医療費を毎回出してくれていた。
そして半年後、障害者手帳が発行されて、私は精神障害2級になった。
仕事の方は、コロナが流行った年に、私はうつで退職した。
最後の方は、夜勤に行っても何も出来なかった。
辞めてからは失業保険を受給しながら、
通院を続けた。
飲み忘れないようにする、と先生にも約束して、抗うつ薬を出してもらい、時折躁転しながらもほぼ寝たきりだった。
もちろん、返済はまだ残っている。
幸い、障害者の失業保険は、雇用保険の継続日にもよるが、300日ほどもらえたので、
ハローワークで職を探しながら、認定日以外は家で過ごすという日が続いた。
金遣いの荒さは、家から出なくなっても、通販で続いた。
そんな時、私はパチンコとスロットに出会ってしまった。
この時はそんなに酷くなく、月1回行くか行かないかくらいだった。
そして、就労支援A型に行くことになり、電車で通った。
道中に、パチンコホールがある。
給料日は、そこに行くようになっていた。その頃は金額的にもまだ、月3万円ほどだった。
4ヶ月経って、事業所から紹介してもらった事務職の仕事に転職した。
また家からかなり離れた場所だった。
みんな優しかったが、常に1つ線を引かれているような感じがして、そこに居場所を感じることは出来なかった。
この頃には、スロットに月5〜9万円突っ込むようになっていた。
スロット1日の勝ち分の金、9万円が次の1日で溶けた。
当然貯金もなく、また借金して首が回らなくなって、債務整理じゃダメだ、と思い立ち、私は自己破産を申し入れた。
ギャンブルの事は言っておらず、弁護士からもギャンブルはしないでくださいね、と言われたが、
口座から怪しまれない金額だけを月イチで抜いて、その金をスロットに使う、ということをした。
何故か勝ちまくっていたので、口座に入れることが出来ない15万円を全てスロットで溶かした。
夜にホールへ行って、沈んでいる台を伸ばすことが楽しかった。
半年後、私は仕事を退職した。
半年経っても、馴染むことは出来なかった。
そこから負けまくったので、お金が無くなった。
電車に乗るためのICカードさえ払い戻して、スロットに行っていた。
無くなっても行きたい衝動は消えず、たとえ3000円しか無くてもスロットに行っていた。
1枚20円、46枚貸しで何も引けなかった。
収入が無くなったのと、精神疾患が酷くなったのもあり、病院が変わる直前に双極性障害だったということがわかった。
薬も代わったが、状態は良くならず、
躁と鬱を繰り返していた。
2000円でもあれば1パチ、5スロに行くので、その日必要最低限のお金だけ母に貰うようになった。
私にとって、紙幣はスロットというゲームへの参加券だった。
訪問看護にも入ってもらって、色んな話をしていると、前よりスロットに行きたいという気持ちが少なくなった。
だんだんと、園芸、手芸などが趣味と呼べるものになり、買い物欲も無くなった。
完全にパチスロ欲が無くなったわけではないので、2000円でも行くのは変わらない。
手が震えながらサンドにお金を入れて、手が震えながらスロットのリールを止めている。
振り返るとどうしようもなく自分勝手に生きてきたが、そうしないと自分を保てなかった。
半生のツケを今、払っている。
もちろん、もっと大変な目にあった人なんて山程いる。
でも、私にとっては、今が1番しんどい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
今までの人生
感想2
終盤に書かれていた「半生のツケ」というフレーズを読んで、ツケ払いにして得てきたものたちを当時求めた理由を探したくなり、また最初から読み返してしまいました。数周読み返して、あなたは幼い頃から心の疲労を回復することができず、疲れているのが常態だったのではないかな、と思いました。
中学の頃は転校先でいじめられていて、2年生の頃はネットの友達と毎晩4時頃まで電話していたということですから、授業中に寝ていたとて、わかりやすく疲労していたのではないかと思います。いじめなどで学校に居場所があると感じられなかったタイミングで、深夜と言えどネットなら自分を受け入れてくれる相手がいるとなれば、たとえ睡眠時間や学業を犠牲にしてでも確保していたいと思うのは、なんら自然なことだと思います。家庭ではお父さんの気分に振り回され、「心の安寧」があったとしてもわずかにしか感じられない状態だったのではないかなと思いました。
高校に上がってからはアルバイトをしていたということで、お話から察するに今よりも最低賃金はずっと低い頃でしょうし、高校生の時給で月に7万円を稼ぐには、相当な時間シフトに入っていなければならなかったはずです。それも部活終わりということですから、学業、部活、アルバイトをこなさなければならないのは相当エネルギーの要ることだったのではないかと思います。
それに、私が高校生の時は、部活かアルバイトかどちらか、という生徒が多かったので、両方なんて体力的にそもそも想定外と思っていました。なので、あなたが働く「だけ」と表現できることに、ちょっぴり驚いています。そのタフさに少しの羨ましさを感じつつ、やはり体力的には平気だったとしても、少なからずストレスは感じていたのではないかなと想像しています。
ストレスを感じているときに必要なのは休息なのでしょうが、私はそういうときほど浪費や過食などによって、さらなる刺激を求めてしまうことがあります。他にも、ダイエットの時なんかは、食べ過ぎをやめて運動量を増やすことよりも、ダイエット食品やサプリメントを追加しようとしてしまいがちです。
何かを減らせば、今まであったものがなくても平気になるようになれなければいけない不便さに対峙しなければならない気がするし、それらが埋めてくれていた時間や心の余裕を持て余すことになる気がしています。私はそれが怖いし、ストレスに感じます。何かをやめたり生活習慣を変えることよりも、お金を払うだけで何かを得られたような感覚になることの方が、ずっとずっと楽に感じてしまうのです。
私は仕組みを理解すると安心するタイプなので、このメカニズムについても情報収集をしましたが、ストレスを受けた際により強い刺激を求めたり我慢が効かなくなってしまうのは、体内で分泌される物質により引き起こされる、ごく自然な反応だそうです。自然な反応なのだとホッとした一方で、人類はそろそろストレス物質に影響されない構造に進化してもよいのではないかと、ストレスで不安定になる度に考えるようになりました。
「人類はホルモンの奴隷」とその界隈(?)ではよく表現されているのですが、本当によく言ったものだなとつくづく実感しております。そんな中でも、投稿者さんが自分がストレスを感じていることや、金遣いの荒さがストレスと直結していることの自覚があるというのは、とても大事なことだと思っています。
自覚できたからこそ、自分をケアしようと動き出すことができるのだと思いますが、ケアのために、行動や習慣を変えなければならないところが多かったと想像しています。(箇所というよりウエイト的に)今まで在ったもの断ち切ろうとするときの苦しさは並大抵のものではないと思うので、「今が1番しんどい」と感じるのは、意図して自分を変えようとしている大変さと、過去を俯瞰して見ることができるようになって実感する苦しさが、同時に押し寄せてきているからではないのだろうか…と考えました。
感想1
投稿ありがとうございます。私自身も依存症や精神疾患の中で抱えたツケを払いながら生きている感覚があるので、勝手に自分の人生と重ねながら読みました。
日本国内のとても多くの街の風景の中にパチンコ店はあり、それは日本全体で依存構造を作っているということのように感じていて、なんだか苦々しい気持ちになります。世の中のギャンブルすべてを一概に否定していいかは私にはわからないのですが、すくなくともそれらの多くが単なる娯楽という以上の一過性の強烈な快楽により、人間の脳の欲求を膨れ上がらせることで収入を得る仕組みで成り立っていることは確かであるように思います。
個人的には欲求をなるべく喚起させないために、依存対象から物理的に距離を置くことを考えることが多いのですが、そう考えると、ギャンブルはどこにでも身近にあり距離を置くことのむずかしい依存対象のひとつといえるように思いました。
いじめや両親の不仲の中で、あなたが安堵していられる場所はとても少なかっただろうと思います。その中であなたは、気付かぬうちに多くの我慢をすることが通常モードになってきたのではないかと思いました。私も父の機嫌に左右される家庭で育ったことや、その中で「お金を使う」というストレス発散をとってお金をたくさん失ってきたことがあり、わかる……と思って読んでいました。「心の安寧」という言葉もとても頷けるもので、逆にいうとそうしていないと心の安寧が得られなかったということではないかと思いました。その中で、どうにかしないといけないという意識や焦りはあってもコントロールできない感覚がその頃からあったのではないかと想像しています。
私はここ数年、お金に詳しくしっかり管理をする習慣のある友人と何度も話す中で、そもそも私は、お金の重みを学べていなかったというか、お金の概念を自分の中に獲得していなかったことに気づきました。いまもわからないまま、依存症的にお金を使ってしまう場面は多いのですが、そもそもなにができないのか、なにがわからないのかわかったことは大きな収穫だったと感じます。気分でペットを買ってくるお父さんのエピソードなどを読むと、あなたの生活してきた場所では、お金がどのように必要でどのような価値をもつか、実感として獲得するのはむずかしい状況もあったのかなと推測しています。
訪問看護で自分のことを話す機会ができたことや、趣味があなたの助けになっているようで、それはとてもよかった!と思いました。依存症は、実際はむしろ依存できない病という話を聞くことがあります。さまざまな助けを得られない中でつらさを分散できないときに、ギャンブルなどに傾倒するのは、それが一過性であっても自分の心を助けるものになるからなのだと思います。(こういう考え方を、自己治療仮説と呼んだりするようです)
私も心の苦しさに全部過食で対応していた時期があったり、その時々で依存対象は変化しているのですが、そもそもには苦しさがあるということだと思います。その中で、あなたの中にギャンブル以外の安全な要素がすこしずつ増えてきている途中なのかなと思いました。
一方で「私にとっては、今が1番しんどい。」とあり、これは私の想像でしかないですが、以前のどうにもならない状態よりも、すこし落ち着いてきたからこそ見えてくるつらさと、これまでの生活の中でぼろぼろになってきた傷つきを抱えて生きること自体のつらさが内包されているのかなと思いました。
それを読んで、(依存の内実などは私ともあなたとも違うとは思うのですが)薬物依存の女性たちの当事者研究をまとめた『その後の不自由』(医学書院)という本を思い出しました。ここには少し回復してきたあとの苦しさや葛藤のことも書かれていて、共通項が多く、個人的に何度も読み返しています。私には似た経験をしてきた人の語りを聞く、読むことと、自分自身が安全に率直に語る場を持つことはとても大事だったと感じています。もしあなたが自分のことを整理したり、だれかに話したりしたいとき、よければまたとりコミュなどを含め、死にトリやとりぱーくのアプリを活用してもらえたらうれしいです。