経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「がんばってきた」

「がんばってきた」。そう思っている自分と、そう思い切れない自分がいる。

病の中で必死に普通を装った。遅くとも必死に着いていって、ゴールまで辿り着いた。
でもゴールと言っても一時的なものだ。その先の人生は続いている。
私の頑張りを認めてほしい。そんな辛い中よく頑張ったと言ってほしい。それだけのために今も頑張り続けようとしてしまう。けれど、ふとした一言の、「普通じゃない」に首を絞められるような感覚がする。
私の認知が歪んでいるのかもしれない、そう思って自分を悪く思ってみたり、それでも辛いんだと伝えてみたり。
私の辛さが代償されることはないけれど、私が頑張って生きてきたことだけは認めてほしい。そうじゃないと、今まで生きた意味がなくなってしまう、そんな気がする。

「何も頑張らなくたって生きていても良い」、そんな言葉も聞いたことがある。そんな言葉は、本人の必死さが目に入っていないのかもしれないとも思う。何が起こっていなくとも、本人は、今も必死に命を繋いでいる。そんな人を救う言葉なのかもしれないとも思うけれど。

プラプラしていたと言われた。その間も、私は自分の頑張りを埋めるものをずっと探していたつもりだった。それでも、彼にとっては「プラプラしていた」以外の何物でも無いのかもしれない。

私が頑張っていたことを認めてくれれば良い。頑張ったんだねと言って欲しい。
できればその後は放っておいて欲しい。その3つのことが、そんなに難しいのかな、と思う。

認めてくれないなら死ぬしかないかな。そう思うのは良くない気もするけれど、そんな気にもなることがある。
あなたが認めてくれないなら、認めてくれる人だけで良い。あなたが認めてくれないなら、私はこの世にいなくても良い。

そして、私こそが、頑張ってきた私を認めていない。恐らく一番はこれなんだろう。
私は頑張ってきた。人にも認めてほしい。あなたが認めてくれないと、私は頑張り続けるのを止めるのが難しい。
折れるのは私が先なのか、あなたが先なのか、それとも私の心が折れるのが先か。
命をかけたチキンレースに乗せられているのを、私だけが知っている。あなたには、こう思っていることも、きっと伝わりはしないのだろう。

感想1

投稿ありがとうございます。
「普通」ってよく聞く単語だけど、あまりにも抽象的というか、「その普通って誰にとっての普通なの?」と私はどうしても思ってしまいます。ということもあり、私もあなたと同じように「普通」から外れたように感じる瞬間に苦しさを覚えることもありますが、同時に「普通ってあるの?」と壮大な疑問が都度頭の中に浮かびます。

頑張りを認めてほしいという想いはごく自然なもののように思えます。彼さんに認めてもらいたい想いも例に漏れずごく自然なことだと感じますし、自分の頑張りを埋める物を探すことにも、そういった想いがあったのかなと感じました。そうしてあなたのできる限りを尽くしていたなか「プラプラしていた」と告げられることは、とてもとても深く心をえぐられる想いだったのではないかと思います。
個人的には、あなたのそういった姿を見て「プラプラしていた」と告げる彼さんに対し、いったい何を見ていたんだろう、という思いは拭えません。文字づてに読んでいても、つらさや苦しみを抱えながらここまでやってきたあなたの姿が浮かびますし、そんなあなたに対し「プラプラしていた」なんて思わないし、伝えることなんて絶対にできないなと個人的には感じているところです。

特に印象的だった言葉が「私こそが、頑張ってきた私を認めていない」でした。自分自身を認めたい思いがあっても「彼さんに認めてもらえている実感が得られていない自分」を認める事が難しいのでしょうか。私は「誰かに認めてもらえない自分を、自分自身が認めることができない」と感じる人間なので、なんとなくそういった想いがあったりするのかな、と思いました。

あなたの想いを読ませていただいているときにふと浮かんだこと、「彼さんにはこういったお話をされているんだろうか?」という疑問でした。彼さんのことを思えばこそ簡単にお話できないことなのかな、と思う部分もあり、同時にお互いにこころの内側も支え合う意味合いで少しでもお話できるなら、と思う部分もあり、ということを私は感じました。個人的にあなたが今乗せられているチキンレースのこと、あなたの想い、まずは彼さんに伝わることが大事だったりするのかなと思いました(ほんとうに個人的な思いなので、流し見程度でおねがいしたいと思います)。
誰も折れず、互いに認め合える状況、理想に近い形であなたの想いが成されるといいなと思います。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。

彼の一挙手一投足があなたにとって重要な意味合いを持っていることを感じながら、自分が自分の頑張りを認めることの難しさについて考えました。

「頑張る」ことの尺度や、それらをどう測るかは、人それぞれに異なるように思います。とにかく結果史上主義、という人もいれば、結果より過程を重視する人もいるように思います。絶対的な正解はないからこそ、私たちはどこかで「頑張りの基準」を探し続け、ときに相手に委ねてしまうのかもしれないと、そんなことを考えました。
社会の中で、頑張ること、我慢すること、耐え凌ぐことを美徳とするような風潮があることも、何かしらのかたちで影響しているようにも感じます。

彼から投げかけられた言葉や、あなたの苦しそうな様子から想像すると、彼に頑張りを認めてもらえるかどうかは、自分の価値を信じられるかもしれない唯一の希望でありながら、同時に、失ってしまえば丸ごと吹き飛んでしまうような恐怖が同居していることを感じました。
一方的な偏見や誤解は、まるで呪いのような言葉になって、あなたの心に深く突き刺さっていることも感じました。彼に認められることによって、悔しさを払拭したい思いもあるのでしょうか。死ぬか生きるかまで追い詰められるような二人の関係性は、どういった状態にあるのだろうかと、野暮なことかもしれませんがつい考えてしまいました。
「頑張らなくてもいい」という言葉がしっくりこないことも、頑張ることで命を繋いできたのだとすれば、確かにそうだよなと思った私がいました。

「私こそが、頑張ってきた私を認めていない」という一文がありましたが、もしかすると、自分が自分の頑張りを認めるということは、何かの基準に照らし合わせて評価するということではなく、誰にも保証されていない価値を引き受けることなのかなと、ふと考えたりしています。
こうして言葉にしてみると、とてつもなく難しいことのように感じられて怯んでしまいますが、誰かのまなざしから少しだけ自由になれた世界は、どんな風に見えるのだろうかと思ったりしています。

つらつらと思ったことを書き連ねてしまいましたが、またよかったら、あなたの声を届けてほしいなと思っています。あらためて、投稿ありがとうございました。

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