経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

”普通”になりたいだけ

私は成長過程で恋愛感情がなくなりました。そのことに凄く悩んでいます。
仲の良いグループにその話をしたら、「変わる必要なんてないよ」と1人が言ってくれました。正直言ってすごく嬉しかった。でも、その一方、で苦しくもありました。だって私は変わりたいから。普通になりたい。普通に恋愛して、結婚したい。

「それは周りに異性がいなかったからじゃない?」と、別の人に言われたことがあります。
私の高校は女子校でした。だからその子がそういう考えに至るのは、当たり前です。
でも、私が何度も考えて悩んだ可能性を、その子はさらりと言いました。
多分、ただ思ったことを私に問いかけただけだと思います。その子は悪くない。

私の心は人の言葉で変わるものではないのだと思います。
「変わらなくていい」と言われれば、「でも私は変わりたい」と思うし、「~なんじゃない?」と言われれば悲しくなる。
受け止めてもらっても、もらわなくても、救われない。
自分が受け止められる形を私は見つけたいです。
アロマンティックという言葉で自分を定義付けて、楽になれるのならなりたい。でも、私もまだ分からない。本当に自分に恋愛感情がないのか。それはまだ十数年しか生きていないから、そうなんじゃないのかと。でも今の私ははっきりと、異性と話してもそういう感情が芽生える感覚がない。
「まだ出逢ってないだけだよ。恋愛感情を抱く人に」
この言葉を、何度言われたか分かりません。
この言葉を聞くたびに、私は目の前の私を無視されたような気持ちになりました。
たとえ未来の私が恋愛感情を抱くことができたとして、じゃあ今の私の苦しみが蔑ろにされてもいいのでしょうか。
人に話したらつらくなるし、人に話さないと苦しくなる。
「ありのまま」「多様性」
性に関するこういう言葉が推進される世の中で、私は普通に恋愛をする人になりたいです。

いつか自分自身が納得できる日が来たらいいな、と思っています。
人に言われて悲しかった言葉もあるけど、嬉しかった言葉もある。人からの言葉を重く受け止めすぎずに、その言葉に対する自分の感情を分析して、自分について知っていこうとおもいます。

長文を読んでくださり、ありがとうございました。

感想1

こんにちは。私は恋愛や性愛を他人に向けるということがどうやってもできず、色々悩み倒した結果アロマンティック・アセクシュアル自認に落ち着いた者です。これを読んでいて、自分のセクシュアリティについて苦しんでいた時期を思い出しました。

「まだ出逢ってないだけだよ。恋愛感情を抱く人に」という言葉は、恋愛を経験していない人、それを経験しないアロマンティック、アセクシュアルの人が多分死ぬほど言われる言葉の一つですが、あなたの感じている通り、目の前のあなたの気持ちを蔑ろにするような言葉だと私も思います。私もこの言葉を聞くたび「ちがう、そうじゃない」と内心言っていました。
この文章には「普通」「普通になりたい」という言葉が何回も出てきますが、あなたにそう思わせているのは何だろうなと考えます。「異性と結ばれることが当たり前で望ましい」(異性愛規範)、「恋愛・結婚して出産するのが当たり前で望ましい」(ロマンティック・ラブ・イデオロギー)、「ひとりの人に恋をして結ばれるのが人間として当たり前で望ましい」(恋愛伴侶規範)などが、あなたの後ろで何やらイタズラしているように私からは見えています。私もこれらの規範を内面化してしまっていたせいで「誰かと恋愛しなきゃおかしい」と思わされて、日々要らない苦しみを感じて、時には自分の気持ちを無視して無茶をしてしまったことさえあります。
ちょっと聞いてみたいのは、これらの「普通」が「普通」でなくなったとき、それでもあなたは異性と恋愛して、結婚したい、そのように変わりたいと思うのでしょうか?ということです。もし「いや、そうではない」と思うのなら、問題の所在はあなたにそう思わせている社会にあるのではないかと思います。
私にとって、あなたの感覚には非常に心当たりがあり、そのもどかしさや苦しさに胸が痛くなります。「本当に自分には恋愛感情がない」ということを証明しなければいけないような気持ちになって、アロマンティックという言葉を使うことに躊躇していたこともありました。でも、それは「ないことの証明」、悪魔の証明を強いられていることと同じなのです…。
セクシュアリティは常に暫定的で、変動する可能性を秘めているものです。また、誰かに説明すべきものでも、証明すべきものでもありません。あなたがアロマンティックという言葉にしっくりきたとき、自分で自分のアイデンティティを確認する場面などで、自分を表現するのにその言葉を使う選択肢もあるよくらいのものだよなあと思います。
現状Aro/Aceの情報は世間に十分浸透しているとは正直言えない状態だと思います。2026年3月時点で日本語で読めるAro/Ace関連の文献はとても少なく、専門書も片手に収まるほどしかない…。既読かもしれませんが、松浦優『アセクシュアル アロマンティック入門』、三宅大二郎ほか『いちばんやさしいアロマンティックやアセクシュアルのこと』が自己理解の一助となるかもしれません、というおせっかいを焼きました。

とにかく、いちばん大切なのはあなたが納得するかどうかだと私も感じます。他の人や「普通」に振り回されず、あなたがあなたのことを見つめて、知って、それを自分が納得できるよう言葉にして自分の中に置いておけるようになったらいいなと思っています。もしこれから恋をしても、恋をしなくても、あなたがあなたらしく過ごせるように願っています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。読みながら、どこか「受け入れてほしい」という気持ちと、「受け入れられたくない」という気持ちが同時に存在しているように私は感じました。「変わらなくていい」と言われた時に嬉しさと苦しさが同時に生じるのは、そのどちらも本音だからなのだと思います。肯定されること自体は安心に繋がるけれど、その言葉が「変わりたい自分」を置き去りにしてしまうようにも感じてしまう…その違和感が正直に伝わってきました。
恋愛感情がない、あるいは分からないという状態は、今の社会では「多様性」という言葉で包まれることも増えてきましたが、そのこと自体が必ずしも本人を楽にするわけではないのだということを改めて考えさせられました。本来は選択肢を広げるはずの言葉でもあると思いますが、“あなたはそのままでいい”と固定してしまう働きを持つこともあって、そうなると、「普通に恋愛して、結婚したい」という願いは、まるで否定されるべきもののように感じられてしまうのかもしれません…。
また、「まだ出逢っていないだけ」という言葉への違和感についても、一見やさしく、可能性を残しているようで、今この瞬間のあなたの感覚を軽く扱ってしまう側面もあるのだと思いました。未来の可能性を語ることで、現在の不確かさや苦しさが見えなくなってしまうその積み重ねが、“目の前の私を無視されたような気持ち”につながってしまうのも、そりゃそう思って当然だよと私は感じています。
人に話せば傷つくかもしれないし、話さなければ一人で抱えることになるし、そのどちらを選んでも完全には楽にならないというのは本当に難しいな…と思いました。言葉によって救われることもあれば、同じくらい簡単に揺らされてしまうこともあるからこそ、その中で、「自分が受け止められる形を見つけたい」と書かれている部分には、あなたなりの信念のようなものを強く感じました。
“普通”という言葉の魔力を感じつつ(普通ってなんだろうな…と常々私は思ってしまうのですが…)、あなたの「普通になりたい」という願いは、周囲に合わせたいという単純な同調とかではなく、“自分の中にないと感じているものを持ちたい”という、ある種の欠落感に近いものなのかもしれないと考えていました。自分の中の曖昧さを抱えたまま考え続けていること自体が、あなたの中で当たり前になりながらも、やはり負担や消耗が大きくそこから抜け出したい気持ちも強いのかもしれないな…と思ったりもしました。
周囲から与えられる定義でも、押しつけられる理解でもなく、自分の中で納得できる形を探そうとしている過程は時間がかかるものかもしれませんが、大事なことのように私は感じるので、納得のいく形が見つかりますように…と願う気持ちを最後にお伝えして感想とさせていただきます。また必要に感じられた時には、いつでもこちらを活用してほしいです。

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