近いうち、LGBTQ当事者の集まりに行くことになった。
僕は体は女性で心は男性なのでTにあたるのだけどこの集まりには親には友達と遊びに行くという嘘をついていく。
実家暮らしの大学生の僕は1年前に親にカミングアウトをし、専門の病院に行こうとしたが親の力づくの反対で行けなくなった過去があるからだ。少なくとも僕として生きることがありえないことなのだと思う。
親が娘だと思って育ててきていきなり男でしたとなることは受け入れ難いのはわかっているし第三者から見ても無責任なことなのだと思う。でもしんどくても娘でいて欲しいと言われた時は死にたくなった。親不孝で僕自身も心も女性ならどれほど辛い思いをしなくていいか数えきれないほど考えたから。そして本来の僕はいらないんだとわかったから。罵詈雑言言われたこともありそこから1年、僕のセクシュアリティについて話すのは暗黙の了解でタブーになっている。
親が僕に過保護なのもあっていつどこで誰と何するかを詳細に言わないと行けなく、今回は詳細も含めて嘘を言った。そこまでしないといけないのは僕が男の心を持っているせいなのだと考えると自分の体が嫌になって壊したくなる。実際何度も自傷したこともある。
小学生とか中学生の頃は僕が女性であることの違和感を我慢して親の理想の娘になるために見た目も仕草も頑張っていたけど歳をとるごとに限界を感じてきた。高校生ではそれまで割り切って履けていたスカートも履けなくなったり大学では買わされたパンプスを履いたら泣き崩れるうえ、体調崩してしまうくらいまでになった。
これはまずいと感じて大学のスクールカウンセラーのもとに駆け込んで事情を説明したら今回の集まりを紹介された。正直治療が一番性別の違和感を抑えられるものだと思っていたから集まりで僕の鬱状態が和らぐかは正直わからない。
昔は我慢できていたことが今になるとしんどくて自分を責めてしまう。鬱の渦なのだと思う。わかっているけど抜け出せない。そして親に僕について罵られる以上嘘はつくしかないのだと思う。
あと何年嘘をつき続けるのだろうか。
とりあえず居場所を求めに集まりに行ってこようと思う。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
嘘
感想2
タイトルは「嘘」とありましたが、まず浮かんだのが「必要な嘘もある」ということでした。そして、いろいろな意味であなたが嘘をつきたくないという思いが込められているようにも感じました。私は人が生きていくうえで、自分の感じていることや気持ちを受け入れてもらえないことや、否定されること、強制されることがとても苦しく耐えがたいことだと思っていたので、経験談を読み、あなたの心の叫びや痛みがひしひしと伝わってきました。同時に、どうしてあなたの親はその切実な気持ちを想像、尊重できずに、親としての価値や希望を押し付けてくるのだろうと強い疑問を感じています。本当は、親子であっても別の人間であり、どうありたいかはお互いに尊重されるべきことです。本来、子どもは存在が肯定され、その権利が守られ、のびのびと育つ環境が保障されるはずが、そうではない実態があり、だからこそ、あなたはこんなにも苦しんでいます。日本ではもともと権利というものの理解が根付いていない側面がありますが、特に親が子どもに対して持つ権力は強すぎると感じています。子どもにどう育ってほしいとかという期待をしたり、どうあるべきかという指導や矯正をすることが容認され、それに苦しみ、悩まされる子どもが多い実態があると私は思っています。こうしてあなたの苦しみを知り、改めて親から子どもへ向けられる力の濫用についてその深刻さを実感しました。
ただ、そもそもの権利の話で考えると、あなたにはたとえ親と言えども、その期待に応える必要はないし、自分らしく生きていく権利があると私は大きな声で宣言したいです。当事者の集まりに行くことも自由ですし、どんな服装をするかも自分で決めてもいいのです。治療をしたいのであればすることもできるでしょう。少なくともその気持ちは誰にも邪魔されたり、否定されたりするものではないと思います。そうはいっても、目の前にいる親からの抵抗や否定は簡単に無視したり、抵抗したりできるものではないかもしれません。しかし、こうしてあなたが自分の気持ちに嘘をつかずに自分らしくありたいという気持ちがあることだけは、確かであると私は受け止めました。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
自分が自分でいる、ただそれだけの感覚を、親との間では「嘘」にしなければならないことに、胸が詰まるような思いで読みました。
性別の違和感を正直に打ち明けたことは、自分らしくいたいという願いと、家族との関係が変わってしまうのではないかという不安の間で、大きな葛藤があったのではないかと想像しました。病院に行こうとした意思も、「親」という力と支配が立ち塞がり、自分を真っ向から否定されたようなショックと悲しみがあったことを感じています。
耐え難い違和感をずっと我慢しながら、親の期待に適応しようと無理を重ねてきたあなたにとって、「しんどくても娘でいてほしい」という言葉は、忘れたくても忘れられない一言になってしまったように思います。
私は第三者に当たるかと思いますが、親不孝とも、無責任なことだとも、まったく思えませんでした。生まれた瞬間からあなたの人生があり、何を選択し、どう生きていくかは、たとえ親であっても一方的に押し付けることはできないと思っています。と、なんだか熱く語ってしまいましたが、そう簡単には考えられない状況もあることを思っています。
親が子どもの人生を自分の人生の延長線のように考えていたり、「あなたのためだから」と一見もっともらしい理由を並べて、子どもの主体的な意思表明を親の価値観でジャッジしてしまうことは、至るところで起こっているように感じます。
そんな中で、自分を責めるということは、行き場のない感情の着地点にもなっていることを感じました。「嘘をつく」ということは、親に対する複雑な気持ちもありながら、何よりも自分自身に嘘をつくことへの苦悩も垣間見えるように思いました。
このお返事が届く頃には、もう最初の集まりに参加しているでしょうか。あなたが少しでも安心安全を感じて過ごせる場所であったらいいなと思っています。