母親について考えないようにしていたのですが、わからないことがあり、頭に引っかかっています。それは、私の彼に伝えていたらしい、「選択肢を与えたあなたが悪い」という文言についてです。
最終的に私は母から逃げることを決め、今はその最後の準備をしています。母からもらったたくさんの攻撃がまだ私の行動や思考の邪魔をしますが、ご飯を食べられるようになってきました。
少し落ち着いたから、順当に引っかかることができているのかもしれません。母親は私の彼氏に「選択肢を与えたあなたに責任がある」と伝えたようです。選択肢というのは、母から逃げるための手段について言っているのだと思います。宿泊や車の手配のことでしょうか。それとも、彼が私の代わりに母親と話をしてくれていたことそのものでしょうか。
確かに彼がいなければ、運転免許のない私が大きな荷物を低予算で運び出すことはできませんでした。また、金銭的に余裕のない私が屋根のある場所で宿泊することも難しかったでしょう。面と向かって話をしたくないと思ったとき、そのまま話さないで済んだのは彼がいてくれたからです。確かに母の思う通り、私自身はほぼ自宅に帰るという選択肢しか持っていませんでした。このように帰宅以外の選択肢を選び取れる環境は、私をこれ以上ないくらい助けましたが、母親の逆鱗には触れていたようです。
しかし、もし私が母の立場なら、そのようなことは言わないと思います。「選択肢を与えた人が悪い」なんて口にするのは、あまりにも短絡で、自分の立場をかえって下げてしまうと思うからです。
選択肢を与える、という出来事、またそれを受け取るという行動について、それ自体には善悪は付随していないと思います。悪い、とすることができるのは、その選択肢を選んだ当人です。殺人鬼の頭の中にたくさんの猟奇的な殺人方法が浮かんでいたとして、撲殺という概念をそいつに与えた社会が悪い、もしくは、「鈍器をそいつに与えた道具屋が悪い」と糾弾するのは少しお門違いのように思えます。殺人を犯すそいつが悪いのです。どうして殺人鬼が殺人を犯すようになったのか、と議論する際に、はじめて責めを負う誰か(何か)が生まれはじめるのだと思います。
母は恐らく、「どうして私が家から逃げようとするのか」を考えませんでした。選択肢が「帰宅しかない」から帰宅することと、様々な選択肢の中から「帰宅を選ぶ」ことを、同じだと考えているのかもしれません。
つまり、「選択肢を与えた人間が悪い」と私でない誰かを糾弾するのは、私の自由な思考を認めないことの現れだと思うのです。
選び取れる、選び取れないに関わらず、選ばせない。選ばせたくない。最悪の人格否定だと思います。そして、最悪の人格否定をしていると外野に言われることが目に見えているから、私ならそのようなことは言わないと思いました。悪者になりたくないし、自分が諸刃を振りかざしているようでみっともないと、自分自身を俯瞰で見て思ってしまうからです。
信頼できると豪語していた私の主治医にも、母は同じことを言っていたようです。主治医は母親と同居する私の環境が私の病状を悪化させると言い、世帯分離と生活保護を二度勧めてくれていました。母は主治医に掌を返し、「生活保護という選択肢を与えたあの先生は信用できない」と敵視しているそうです。
私は、母のこのような、敵か敵じゃないかでくるくると簡単に翻る愛情に縋り続けていたことが、どれほど無謀なことだったかと痛感しています。いつひっくり返るかもわからない愛情の土台で、怯えながらそれを享受するのはとても危険なサバイバルです。だからこそそこからほんの少しだけ距離を取れた今、あんなに悪者になるのを避けていた母が、母自身の言葉や行動によって悪者に近づいていくように思え、「どうして自分から墓穴を掘るようなことをするのだろう?」と不思議に思うのです。もっともっと、私(娘)のほうを悪者に見せられるような方法はあるはずなのに、それをしない母親が、とても幼く、未熟で、もうひとりでは立っていられないと訴えてくるようです。
誰か母を助けてあげてほしいです。どれだけ酷いことをされても母に愛情を注いであげてほしいです。何歳になっても、癇癪を起こしたときには側で「一緒に考えよう」と手を握って言ってあげてほしいです。どんなに邪険に扱われても後を追いかけ、苛立ちで物を投げたり壊したりしても、精神的に追い詰めるような言葉を何時間も叫んでも、溺愛と拒絶を往復する日々が何か月も何年も続いても、翻らない愛情を母にあげてください。お父さんも母の彼氏さんたちもムリだったみたいです。でも、誰かお母さんを支えてあげてください。私はしません。
感想1
これまでどれだけの時間を母親さんとの関係性について考え整理してきたのだろう…と想像しながら読ませてもらいました。感想を書く時、私は話を整理しながら書こうとするのですが、その必要もないくらい客観的に出来事と思いが書かれていました。「いつひっくり返るかもわからない愛情の土台で、怯えながらそれを享受するのはとても危険なサバイバル」この言葉を読みながら支配のど真ん中から感じてきたことそのものだと思いました。さらに心理的にも物理的にも支配から抜け出せる今だからこそ俯瞰しながら感じることがとてもわかりやすく綴られています。これまであなたが「自分」を手離さないように、奪われないように必死で生き抜いてきたことに敬意を感じます。その結果いつの頃からかわかりませんが母親さんを追い越して、今は憐みのような感覚も抱きながら見ているのだと思います。母親さんも自分が孤立しないように必死だったのかもしれませんが、それによってあなたの意思や行動を奪って良い理由は一つもないと私は思いました。あなたに選択肢を提示したパートナーさんやそれを掴み支配から離れたあなたの意思に心の中で静かに拍手を送りたいと思います。今は母親さんにもケアが必要であること、でもそれを自分がするべきではないこともわかっていることにも私は安心しました。
実は私も母親との関係に難しさを抱えている1人です。親子であったとしても(いや親子だからこそ)、同じ場面を共有しながら生きてきたにも関わらずそれぞれのストーリーは見事に違った認識になるものです。自分のためでしかないのに、あなたの為を思って…となる。そしてあなたが気づいたように親だから成熟しているというわけでもありません。とは言え子どもの頃は無力なものです。私は母親の毎日変わる雰囲気を確認しながら生きてきました。もしかしたらあなたもそうだったのかもしれません。
あなたが精神的にも物理的にも解放され、自分の意思が奪われることなく生きていけることをただただ応援したいと思います。
投稿ありがとうございました。