自分語りさせていただきます。
関東生まれ。
幼少期から父親の都合で転居を重ねる。小学生の時に両親離婚。なぜか子育て無関心だった父親に、妹と共に引き取られた。転校4回。卒業した小学校は5校目(校歌は2校くらい覚えてる)。中学入学式当日、前日帰りが遅かった父は、ずっと寝ていて入学式に出てくれず、真新しい制服で一人で入学式へ行った。遅く着いた私は皆が整列しているところへ先生に連れて行かれた。中学生活が始まると、大人しかったせいもあり、「気持ち悪い」などと言われ、陰湿なイジメに合う。一学年のほとんどが敵になって不登校に。担任も理解無し。学校がイヤで休むと父親から、布団叩きの柄の方で全身激しく叩かれ、皮膚には赤いミミズ腫れ跡だらけ。家にも居場所が無く、登校するふりをして、コッソリ制服を脱ぎ、私服に着替えて外をうろついて時間潰しの日々。学校ではバイ菌扱い。休むと父は鬼になる。死にたくて、死のうとするも、死にきれず。
その後、高校へは行かず、職を転々。20歳頃、祖父母が病気で倒れたことを受け、なぜか私が面倒を見ることを命じられ、遠く離れた九州へ。ワガママな祖父母のお手伝い。そこでも病み、2回目の自殺未遂決行中に身内に発見され、警察を呼ばれて生き延びる。ようやく父から帰還許可が出て帰宅。それから30代半ばまで引きこもり、アルコール依存、自傷行為の日々。40歳前に自立したのは、父が癌で死んだから(この時期3回目の自殺を考える)。
その後、妹に勧められた精神科通院をしながら、自活できるようになったのは、自分でも驚いている。しかし数十年経った今も、自分を傷つけた者たちへの激しい怒りと、自己否定の気持ちは、今も私を苦しめている。
社交不安障害と双極性障害の診断を受けて、10年以上通院をしながら生きている。
我ながら逞しい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
怒りの人生とは
感想2
読んでいるだけの私でさえ「なんでそんなことを」と感じるような、心無い扱いや無関心が散りばめられていて、苦しい気持ちになりました。ここに書かれていることも、きっとあなたが受けてきた傷のほんの一部なのかもしれないとも想像しています。その逞しさは、息を止めるように走り抜けてきたハードさの裏返しのようにも感じました。
個人的に、今までの人生で自分に酷いことをした人への怒り、許せなさに思考が持っていかれて抜け出せない日が多くあるので、なんとなくですが感覚がわかるような気がしていました。私は、自分の尊厳やあったはずの選択肢が奪われたままずっと返してもらえていないような気持ちになって、その理不尽さに怒っています。ただ数年前に「怒りの前には悲しみが横たわっている」という考え方を聞いてからは、怒りだけではなく「悲しい」という感情が隣に現れるようになりました。自分が奪われたことに怒っていると同時に、それがもう2度と手にすることのできないものなのかと思うと悲しくてたまらない、そんな気持ちになっていることに気づきました。それで怒りがなくなるわけではない(なくさなければいけないわけでもない)けれど、戻ってこない、関わりたくもない相手のことを思い浮かべるより、自分の悲しみを見つめることの方が、私は幾分気持ちが楽になりました。そして奪われたという発想になってからは、自己否定が「自分」という存在全体を否定するものではなく、「一部無くなってしまったことへの失望や嘆き」と捉えることもできるのかも、と感じています。
全く同じ経験をしたわけでも、同じように物事を感じるわけでもないですが、互いにそれぞれの場所で怒りと向き合っているんだなと感じ、私自身の考え方をお伝えしたくなり感想として書かせてもらいました。
お返事
お二方、ご返信ありがとうございます。
怒り=悲しみだと、私も過去に言われたことがあります。
今は、怒りのエネルギーも尽きて、抜け殻の様になってしまいました。
それでも、寄り添ってくれる人がいるうちは、生きなければ。
感想1
情景が浮かび、呼吸をしているだけで傷つけられるようなあなたの日々を想像し、あの時やその時を見過ごしていた社会を恨めしく思います。同時にその社会の一人として、謝りたい気持ちです。何もかもを一人で受け止めなければならず、重ねられるミミズ腫れで皮膚が硬くなるように、あなたの心も硬く閉ざしていったように思います。たまたま家族になった人たちに、選択肢があることも知らされず、人生が奪われていく。奪い返そうにも自分自身の英気すら、吸い取られてしまっている。私自身も幼少期の多くの時間を悲しみで塗られ、父親の葬式の日の解放感と共に抜け殻のような気持ちをなだめるのに、随分と時間を費やしました。あの時間はなんだったのか、勝手に生きて死んだ父親が離れずにあなたを支配する。やりきれなさに翻弄され、それを怒りという形に変換すれば生きられる、苦肉の策の術とし編み出したのかもしれません。あなたの逞しさに頼り切らない、あなたからも頼られるそんな社会になって欲しいと思っています。投稿いただき、ありがとうございました。