経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ASD(自閉スペクトラム症)の私

私は35歳、
ASDの女性だ。

私が生まれた1991年は
まだASDと言う概念が浸透していなかった。

幼い時からずっと自分は何かがおかしいと思っていた。
目の前でおこってる現象が理解できない。
みんなが何を言っているのかわからないし、いわゆる場の空気と言うものが全く読めない。
それでも幼い時は、
可愛らしい子供だったために、
女の子たちからぬいぐるみのように可愛がられていた。
小学校1年位で、ちらほらと同級生に嫌われるようになったが、
それでも友人はいた。

その小学校から、
遠く離れた他県の小学校に転校したのは、小学2年の時だ。
ここから私の地獄が始まった。

まず、排他的な田舎で、私は
いきなりやってきた得体の知れない存在として、みんなから排除された。
言葉が話せなくても、内気でも、
かわいいと言ってくれた。友人たちと離れてしまったのだ。。

ゼロからスタートした私は
クラスのボス集団に陰口を言われながら、
乱暴な子供に殴られたりしながら
極度の緊張を抱えて、小学校を卒業した。

思春期になって私の情緒不安定は激しくなった。
クラスに馴染めない。
いつもクラスメイトから聞こえるように悪口を言われている。
(当時は先生に相談すると言う発想すらなかった。ただただ辛かった。

小学校の時に暴力を受けていたため、
人に対して異常に恐怖心を抱いてしまう。
今思えば、対人恐怖症を発症していたのかもしれない。

何より辛かったのは、思春期になって、父親が私の体に興味を持つようになったことだ。
私は子供から女になってしまった。

ここから先の人生は、あまりにも悲惨なのでかけませんが、
高校に進学して、女子クラスでひどいいじめにあって、
また父親から激しい暴力を受け
完全に心が死んでしまった。

すべては、私が女性だから、
なのかなと思ってしまう。

女性に生まれたから、女性に嫌われて
父親から性的に見られて、、

男性に生まれていればこんなに悲しまずに済んだのだろうか。
そう考えてしまう日々です。

感想1

私もあなたと近い歳のASD女性です。私が生まれた年もASDという概念は浸透していなく、10代後半の頃にアスペルガー症候群という概念が徐々に広まってきて、「アスペ」とけっこう差別的な文脈で使われていたように記憶しています。そのあたりは今も変わらないかもしれませんが、教育や療育で配慮を受けられるチャンスが昔はなかったので、そこは今の時代を羨ましく思います。

私は自分が何かおかしいと感じたのは思春期からだったので、幼少期からという世界は、とてもハードなものだっただろうと切実に思いました。なぜなら、思春期であれば、概念形成ができていて情報も探せるので、自分に起こっていることを理解できるチャンスもありますが、幼少期はそうはできないからです。何がなんだかよくわからないまま、ダメージを受け続け、「どうしてこんなことに…」という問いを重たく胸に抱えてきたのを想像していますし、「すべては、私が女性だから、なのかなと思っていまう」という点にあなたなりに至ったのは(その理由が正しいかは別として)、考え続けた果てのものなのだろうと感じました。

私は自分が男性だった方が生きやすかっただろうと思うし、男性から従属物や所有物と扱われたと少しでも感じたとき、女性であることを憎む気持ちになります。理屈としては、自分が悪いわけではなく、私を勝手に侵害する相手が悪いだけだとはわかるのですが…。理由があれば、何か多少納得ができるからなのでしょうかね……誰かを責めない原因を見つけたくなる自分がいます。
話がまとまらなくなってしまいましたが、理解できないこの世界を、理解する手助けをしてくれるガイドが、ASDの私には欲しかったし、あなたにもそういう気持ちがあるのかなと想像しています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。自分の身に起きることをどうにかして捉えよう、解釈しようとしてきた様子を感じ取りました。同時に、目の前のことを解釈しようにも道理がなさ過ぎて、でも手がかりがそれくらいしかないような状態のなかで、生きることに必死に耐えてきたようにも感じました。理不尽なこと、理解できないことに対して適応しようとする(せざるを得ない)ことはものすごく大きな負荷を伴うことだと思います。その負荷を少しでも解釈しやすくしたり、対外的に示しやすくするツールが発達特性という考え方なのかなと理解しています。ただ、そもそも世界に対するわからなさ・納得感みたいなものが漠然と等しいものとされていますが、本当は1人1人違うのに、と前提に突っ込みたくなる私もいます。

投稿者さんが目の前で起きることに戸惑ったり、自分で自分のことを捉えきれずにもがく一方で、周囲からは「転校生」「女性」などの大雑把なまなざしを向けられてしまうことは、投稿者さんにとっての世界の「わからなさ」「苦しさ」により拍車をかける出来事だったように想像しました。わからないまま進んでいく社会と容赦なく降りかかるものが多すぎると心が諦めていくというか、まさに心が死んでしまうなあと思います。そしてその心の重みが「私が女性だからこうなったのか?」という逃れがたいくらい主語の大きな結論に思い至ることにもなったのかなと感じました。主語が大きいのが悪いという意味ではなく、他者から「個」としてより「要素」で扱われる経験が重なると、自分の中の回路もそうなっていくような気がしています。大前提として相手が自分をどう見ていたとしても、いじめや暴力という形でぶつけられていい理由にはならないのですが…。

今回、ふいにこれまでのことを振り返るようなタイミングだったのだろうか、と想像しています。同時に、日々の中で積み重なる納得いかなさや違和感も多くあるのだろうか、と勝手ながらにイメージし、あなたがどんな人なのか考えながら、場面場面の痛みや悲しみに思いを巡らせながら感想を書かせてもらいました。よければまた、考えていることを聞かせてください。

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