経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

母親からの虐待と社会からの無理解

私は、いわゆる「代理ミュンヒハウゼン症候群(代理による虐待)」に近い環境で育ちました。

子どもの頃から体調不良や精神的な不調があっても、母親は本気で向き合うことはありませんでした。
卵巣腫瘍が破裂し激痛と嘔吐が続いたときも、救急車は呼ばれず、「我慢しろ」「近所に噂されるから」と言われ、薬を無理に飲まされました。周囲の他人の方が異常さに気づいて驚いていました。

一方で、母親は自分が責められそうになると、警察や教師、支援者には平気で嘘の病名を伝え、「子どもが問題のある存在」「自分は可哀想な親」という構図を作っていました。
児童虐待の特集番組を見て「うちとそっくりだ」と言ったときも、「逆。子どもが親を虐待している」と言われ、強い罪悪感を植え付けられました。

思春期には、言うことを聞かないという理由で手足を拘束され、狭い部屋に鍵をかけられ閉じ込められたこともあります。叫んでも誰も助けてくれませんでした。
それでも周囲は母親の言葉を信じ、私の話は聞いてもらえませんでした。

学校や福祉、支援の場でも同じでした。
「気にしすぎ」「理解されたいと思うのをやめた方がいい」と言われ、否定され続けました。
支援の名を借りて支配的に振る舞う人や、善意を盾に境界線を越えてくる人も多く、相談するほど傷が深くなることもありました。

長い間、自分の感情を出すことが怖くなり、心に蓋をして生きてきました。
人の言うことを聞きすぎ、直感を無視する癖もつきました。
結果として、いじめや利用の対象になりやすく、社会や人間が怖くなりました。

最近、否定せず話を聞いてくれるカウンセラーに出会い、初めて「自分はずっと否定されすぎていたのだ」と気づきました。
安全な場では、解離症状が和らぎ、本来の自分に近い感覚が戻ってくることもあります。

今は人との関わりを最小限にし、静かに暮らす選択をしています。
社会に適応できなかったことを責められることも多いですが、これは怠けや甘えではなく、長年の虐待と無理解の結果だと思っています。

同じように「親の話だけを信じられ、当事者の声が無視されてきた人」がいることを、少しでも知ってもらえたらと思い、投稿しました。

感想1

投稿者さんがカウンセラーと出会い、自分という感覚を取り戻し始めていること、本当に良かったなと思いました。カウンセリングの中でご自身の言葉を伝え、受け取られるという経験をすることで自分という感覚が出てきているのかなと想像しています。
私がよく視聴している動画で精神科医の先生が「森で暮らす選択をする」という表現をすることがあります。無理に社会に適応するのではなく、その人が安心して生きられるなら社会から離れたところで生きてもいいという意味だと私は受け取っています。それはただその人の生き方の選択であって、人から責められるものでもなく、場合によっては投稿者さんが書かれているようにそうせざるを得なかった選択でもあると私も思います。
近年、子どもの権利条約にある「意見を聴かれる権利」が日本のこども基本法にも盛り込まれ、以前より子どもの声を聴くということが意識されているように思います。でも実際に実行できている人が社会にどれくらいいるのか。私自身も子どもに関わるとき、周りにいる大人ではなくその子自身の言葉をちゃんと聴けているかどうか自分を振り返ることが多いです。どうにも大人や社会は、立場の弱い(と勝手に思っている)人には言葉や意見がない、言えないと思いがちな気がします。どんな人にも思っていること、考えていることがあるのが当たり前という前提で、それを表現するのが難しいならその人に合わせて表現できるサポートをするのが一般的な世の中になってほしいと思います。それが実現できれば、近くにいる人の大きな声でかき消されてしまう当事者の声をしっかり聴くことができると思うのです。
なんだか熱くなってしまいましたが、投稿者さんの経験談、とても大切な声だと思いました。経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

あなたが生きてきて「自分はずっと否定されすぎていたのだ」と気づくに至るまでの道のりは、とても長いものだっただろうことを感じました。親との関係の中で大きな問題があった場合にも、それに客観的に気づくにはとても時間がかかることが多いと感じています。子どもにとっては養育者の言うことや示すことが生きる規範のベースになるからだと思っています。
本当であれば、子どもだったあなたの心身や感じていることは大人から尊重されなければいけなかった、けれどあなたの人生では実際にはそうではなく、むしろあなたの感じることを捻じ曲げてしまうような、強い力が働いていたのかなと思いました。あなたの母親さん自身、なにかトラブルや課題を抱えていた人なのかなと読んでいて思いました。ただそれに対する支援を適切に受けられない状態の中で、あなたの親という立場を利用した形でなにかを得ようとしていた部分もあるのだろうか……といろいろ思い巡らせています。もちろん、それをあなたが慮るべきということではありません。ただ社会構造の中で無理解や暴力は弱いものに連鎖的に向かう性質があるため、個人の問題ではなく、社会の問題としてとらえるとどんなことが起きていたのだろうと考えていました。

安全な場では解離症状がやわらぐこともあること、怠けや甘えではないということなど、あなたはカウンセリングやいろいろな知識を重ね合わせながら、すこしずつ自分の状況を理解しなおし、自分にとっての安全を積み上げているところなのかなと思います。それは簡単なことではなく、怠けや甘えどころか、すごく労力のかかる作業だと私は感じます。その中でこうやってあなたの経験を文章にして死にトリに送ってくれてありがとうございました。またこの先も、すこしずつあなたは自分や経験をとらえなおしながら、なにか変化したり、気付いたりすることもあるのかなと思います。なにかまた書きたいことが現れたら、あなたの感じていることを聞かせてもらえたらうれしいです。

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