経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

明日がこわい

明日が来るのがこわいです。
もういらないのに。今日でおしまいでいいのに。

私はうつの療養中です。実家で自分だけ働けないこと、バイトに応募してみて、面接に行ってもうつの話をすると「あーそうですか…」と言いたげなあの顔。何度やればいいんでしょうか。
また明日になったら漠然と「生きなきゃ」「生きるためにお金をもらわなきゃ」「そんなのできない」
じゃあ無理じゃないですか。
おしまいでいいじゃないですか。

私は家族が好きです。私がいなくなってお金がもらえるなら、それでちょっと楽になるなら、それでいいです。
明日はこわいです。またたくさん考えて、また中途半端に自分を傷つける結果になるんじゃないか、そしてまた家族に迷惑をかけてしまうんじゃないか。
私の明日はいらないから、私の家族が幸せに暮らしてほしいだけです。

感想1

短い文章に、不安や焦りがぎゅっと詰まっているように感じました。私たちはしばしば「~しなくちゃ」という焦燥感に追われることがありますが、その焦燥感はどこからくるのかな?とあなたの経験談を読みながら考えています。
おそらく、今、心が疲れていて普段よりも不安や焦りを感じやすくなっているのだろうと思いますが、心が疲れてなくても、今の社会では何か見えないプレッシャーがあり、知らないうちにその波に溺れてしまうことも多いように思っています。文面からとても誠実に生きようとする真摯な姿が想像され、誠実に生きることでよりプレッシャーが強く感じられることもありそうだと思っています。私はあなたの「明日がこわい」という感情は個人の悩みというより、社会が私たちに要求してくる理想や自立の姿が大きく影響しているような気がしています。
今回は書かれていませんが、あなたの好きなことや楽しめることは何なのかな?とかどんな時間が少しほっとできるのかな…など、あなたが「~しなくちゃ」から解放されたときの「~したい」「つい~している」という自然な気持ちや時間について思いを巡らせています。
自分に対する失望やおしまいにしてしまいたい気持ちの背景には本当はこういう自分でいたいという願いや願望があると私は思いました。今は心が疲れてしまっているかもしれませんが、こわいことをこわいと感じ、こうして伝えられる力を私は支持したいと思いました。
また、いつでも素直な気持ちを届けに来てください。

感想2

漠然とした何かに投げかけられているようで、どこか「誰か」に対してであったり、「自分自身」にでもあったり、そんな矛先の向けようがない反復する気持ちが込められているように文章を読んで感じていました。

まだ寛解もしていない療養の途中で動くことはそれだけでもかなりの無理を強いられるような気がしています。それが「生きるためにお金をもらわなくちゃ」と(まるで世の中や世間から背中を押されるように)急かされるように働くことを意識するとなおのことつらい気がしますし、包み隠さず伝えているのに結果に繋がらない面接の連続は心を折られるには十分なことのように私には思えました。

それは、(焦りとしての気持ちもあるのかもしれませんが)「働きたい」という投稿者さんの意思や目的がハッキリしているだけ余計に現状や相手から突きつけられるようなものを感じる気がしますし、ままならない結果から「無理じゃないですか」という疑問とも諦念とも取れるような気持ちが湧くのも当然のことのように感じられます。

ただ、今は投稿者さんが自身の働く意思のもと、直接的に自分と仕事を結びつけるように悪戦苦闘しているのかなと私は想像しているのですが、もしかしたら最短に見える結びつきよりも一見遠回りをしているように見えるけど、実はそれが自分にとっては一番いい歩の進め方ということもあるのかなと(長い無職の期間を経験して今は細々とですが生きられている)私個人としては思う気持ちもあります。

どんな進み方が自分には合っているのかや、何が向いているのかは自分でも中々みつけにくいものなのかもしれません。ですが、今とは違う方向に進んだりアプローチをしていく中で意図せず切り拓かれる道があったり、無理なく自分が進んでいける方法もありそうな気がするので、「無理を効かせる」のとはまた違う何かが投稿者さんに見つかってほしいなと思いました。

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