経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

愛とは

自分は愛に飢えているんだと思う。
私が8歳の頃主婦だった母が私の兄の野球のコーチと不倫をした。最初は仲が良いだけかと思っていたら、だんだん家に来て寝るようになり、そして完全に住むようになった。はじめ父は出張と聞いていたが、父が夜中に急に開けてくれと家のドアをドンドンやった日があり、その日から私はこの生活が普通じゃないんだと気付いた。それから少し経って、姉は彼氏と同棲しどこに行ったかもわからない、兄は茨城に高校野球をしに寮生活になり、コーチ母私の3人暮らしになった。元々料理ができない母はコーチのために料理を頑張っていた。けれども私のご飯は無かった。カップラーメンか炊いてあるお米しかなかった。お腹すいたと言っても怒られ、リビングにいるとコーチが帰ってくるから自分の部屋にいろとリビングに居させてもらえなかった。コーチが帰ってくると私に挨拶もせずリビングに向かって2人でご飯を食べていた。しばらくして見に行くとパンツ一丁でソファに座って母と仲良くテレビを見ていた。9歳の自分でもこれがダメな事だとわかっていたし、なんとも言えない気持ちになって辛くなったのを覚えている。そのコーチは朝はトイレに篭り新聞を読んでいて、私が入りたくてもお構いなし、湯船も1番目にゆっくり浸かっていて、後から湯船を見るとアカを擦っていたのか白いのがたくさん浮いていた。それから気持ちが悪くてソファも湯船もトイレも歯を磨いた洗面所も使いたくない生活が続いた。学校が早く終わる時期は早く帰ってくると、リビングの部屋にカーテンがありそのカーテンを閉めて怪しいことをしていた。毎日毎日辛かったし、気持ちが悪かったし、どこにいて良いかもわからなくて毎日泣いていた。しばらくして姉から連絡があり、父の連絡先を持っているからみんなで会おうと言われて久しぶりに姉と父に会った。10個離れた姉は優しい年上の彼氏と付き合っていて子供もお腹にできていて、父は市内に住んでいた。父に聞くと離婚したいから帰ってこないで欲しいと急に母に言われて帰れなくなり、車中で暮らしていて、少し前に母と離婚が成立したと聞いた。私は父が昔から大好きで、週末は父の仕事終わりにご飯を食べたり父の家に泊まって過ごしていた。それでも父は仕事が忙しかったのでほぼ平日は自分の家に居た。父と繋がった自分に母は毎日怒り、ご飯も無かった。その時近くに母の友達が住んでいて、その人は母子家庭の生活支援の仕事もしていて、私を助けてくれた。勉強も教えてくれて、ご飯も食べさせてくれて、休日にはその人の子供たちと混ぜてくれて色んなところに連れて行ってくれた。その人が居なかったら私は今頃どんな人間になっていたんだろう。母とも戦ってくれて、塾も通わせてくれて、たくさん助けてくれた。母とコーチとの生活が続き、仲も悪くなる一方で中学で部活動を頑張った。たくさん父と母の友達は応援してくれた。でもお金は父もないし、母の友達も自分の家庭で精一杯だし、母になんて頼れないし、自分の夢を諦める事が多かった。夜中に家に帰りたくない友達同士で遊ぶ事も増え、先生にも怒られる事が多くなった。それでも先生は寄り添ってくれ、友達も良い子ばかりでそれはそれで今では良い思い出で大事な時間だったと思う。そして兄が帰ってきて同じ部屋で暮らすことになった。思春期2人でうまくいかず喧嘩ばかりになった。そして父は仲の良い女の人ができて、その人と住むようになった。それを聞いた時はまたか。自分はまた1人になったんだ。と胸が苦しくなったのを覚えている。
そして高校ではバイトと部活動そして友達とたくさん遊ぶようになり、実家での地獄生活は続きながらも自由が少しは増え楽しむことも多かった。そしたら事件が起きた。母は兄の奨学金をたくさん借りてそれで今まで生活を送っていたらしい。それを兄に言わず、社会人になり奨学金を返す時になって兄は知り、兄は母とコーチにひどく怒り、コーチは大金を兄に渡し出ていった。後から聞くとたったの半分も満たない額しか貰ってないと聞き、兄もあの私の小さい頃の地獄生活には一緒に居なかったけど、借金を背負わされて地獄の生活になってしまった。母はやっと目が覚めたのか仕事を見つけて今では楽しんで仕事をしている。しかし今でも私が母が嫌いだ。優しくなって情も湧く時もある。でも10年続いたあの男との生活を頑張っても許せない。昔から父との生活も考えたが、父も働くのに精一杯で、私の負担をかけたく無かった。そして私が高校卒業してコロナが流行った時期に父から連絡が来て一緒に病院に来て欲しいと聞いて嫌な予感がした。姉と一緒に父と病院に行くと、ステージ4のスキルス性胃癌が宣告された。頭が真っ白になった。大好きな父が居なくなってしまうかもしれない。私は父と離した母をまた恨んだ。あんなに10年も酷い生活を送らせて今ではケロッと無かったかのように暮らしている母が憎かった。父は女の人と暮らしていたが、その人から離れて、私たちとの最後の思い出作りに私の家の方に引っ越してきてくれた。父は仕事が忙しく運動会もなにも来てくれる父ではなかった。父もそれはずっと後悔していたらしく、最後の時間は私たちと過ごしたいと思ってくれて、私と父の最後の生活が始まった。私は美容の専門学校に通いながら夜は父のご飯を作って2人で食べては他愛もない話をして、休日に何をしようか考えて、アイスやお菓子をデザートに2人で食べる生活をした。とっても幸せだった。憧れのジムニーを買って2人や、姉家族と出掛けてたくさん思い出を作った。そして2年後、大好きな父は亡くなった。それから3年経った今でも受け入れられないし恋しいし抱きしめたいし声が聞きたいしたくさん話を聞いてもらいたい。父が居なくなったら死にたいと思っていた。父は自殺を反対している人だったけど、心では父が居なくなった生活なんて考えられなかった自分がいて、父が居なくなったら自分も後を追いたいと思っていた。でも父が亡くなる3ヶ月前に私は今付き合っている彼と出会った。亡くなる前も後もずっと支えてくれた。でも、心の中では彼がいても寂しさは消えず、正直今でも父が居ない現実に自分も消えたくなる。それは彼にも言えない。父が居なくなってからちゃんと働けなくなった自分は美容部員を辞め、地元の化粧品工場で週5でバイトしていた。優しい人がたくさんいて心地よく働くことができた。それでも私の心が寂しいのは、彼が正社員で働いた方がいい辞めて欲しいと言うからかもしれない。父だったらそんなこと言わない。優しく私がしたい事すればいいと言ってくれるはず。彼に迷惑かけてるわけじゃない。ちゃんとご飯も割り勘だし、生活を支えてもらってるわけでもない。なのに彼の理想に当てはめようとされてる感じがもしかしたら私の心が辛いのかもしれない。なのに何故か離れられないし大好きって思ってしまう自分もいる。消えたいし未来に不安だし、お金もない自分に嫌になるし、母のように嫌いな親だと自分の将来の子供に思われたらどうしようと思うこともある。でもポジティブで精神が強くて、裕福の家で育った彼には言えない。このまま消えても誰も悲しまないんじゃないかと思う。それが私の現状です。たくさん父には無償の愛を与えてもらい幸せだった時間を貰いました。でも今はそんな人がいない。孤独なように感じます。姉も兄も今では仲が良いし、姪っ子甥っ子もいるし、友達も少しはいるし、彼がいるのにも関わらずこんなこと思うのは失礼ですよね。でも奨学金を返すためにお金に追われてる人生、人から舐められて甘く見られて使われている人生、クヨクヨ泣いてばっかりの他責にしている自分の性格に嫌で死にたいです。たくさん私よりも辛い生活してきてる人もいると思います。みなさんどう生きていますか。愛されたい、愛したい。でも私は限界に近いかもしれない。

感想1

投稿ありがとうございます。家庭についてだったり、あなたの心の深い部分についてだったり、繊細に記されている印象がありました。じっくりと読ませていただきました。

まず、幼少期のあなたの経験を読んでいて、胸が締め付けられるような思いになりました。この状況が普通ではないと感じていながらも、そこで過ごさざるを得ないという…。言葉が強いかもしれませんが、まるで知らない間に共犯に仕立て上げられてしまったかのような、そういう陰湿さを感じ、私なりにあなたの計り知れない苦しさの一端を味わったように思います。あなただってその家に住む住人の1人なのに、あまりにもあなたがないがしろにされ、意志を尊重されない状況だと思います。母親とコーチの行動については、なんだかもう閉口してしまう自分がいました。そのいびつな状況に終止符が打たれたことについては、胸をなでおろしています。
今後のあなたと母親との関係性は、変わっていく可能性がないわけではないのかもしれません。でも私は、あなたが母親のことを好きになったり許したりするために、無理をして頑張らずともいいと思います。母親だからといって、尽くさなければならないわけでもないと思いますし、母親を好きになれないことについて、あなたに落ち度はないと思っていますので、このことをどうしても伝えたいなって思いました。

父親との別れについては、読んでいて切ない気持ちになりつつ、残された時間をあなたと一緒に過ごしたいという父親の思い、父親の傍にいたいというあなたの思いがどちらも遂げられたということについては、私はホッとした面もあります。父親との生活に関する描写を読んでいると、暖かな、和やかな情景が目に浮かぶようでした。父親と過ごした時間は、あなたにとって何にも代えがたいものであることが伝わってきています。そして、別れを受け入れがたく思うのも、父親にもっとしてほしかったことがたくさん浮かんでくるのも、今のあなたのありのままなんだろうなと感じました。

今のあなたが抱いている、交際相手との今後に関する葛藤は、私としても納得できるものだなと思っています。交際相手は父親との別れに連れ添ってくれた大切な方でもあり、だけどあなたらしさを奪いかねないような発言も聞かれる、そういう相手なのかなと読み取っております。そう思うと、今後について迷いが生じるのは至極真っ当なことのように、私は感じました。
今後の関係性については私が決めることができませんけれど、私の目には、あなたはこれまでのいろいろなタイミングで、いろいろな人からの思いを受け取ってきたように映っています。幼少期は、母親の友人があなたを支えてくれたようですし、今はきょうだいや甥っ子姪っ子たちとも良好な関係を築いているようです。なにより、父親からもらった愛は、今のあなたの核にすらなっていると思います。
人と大事に思い合うという、感情の交流みたいなことをあなたは経験されているように私は思うのです。その経験は、今後の人との出会いへの一助となりそうな気がしますし、今の交際相手が最後ではなく、今後新たな大事にしたいしされたいと思える相手との出会いが待っている可能性もあるのではないかと私は思いました。そのことを伝えて、感想としたいと思います。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
母親の不貞行為を目の当たりにしてしまったこと、訳も分からないまま家族がバラバラになってしまったこと、味方がいない家に一人取り残されてしまったこと・・幼いあなたにとっては、あまりにも過酷な幼少期であったことが伺えました。
言葉を選ばず、あえて率直に言うならば、「なんてアホな大人たちだ・・」と、怒りにも似たやるせなさが込み上げてきました。
あなたを見守り、サポートしてくれる大人や友人がいたことには少しだけ安心しましたが、家に戻れば、僅かにあった安心感も一気に吹き飛んでしまうような状況だったのではないかと想像しています。
何度も傷つき、心に深いダメージを負いながら、「家族」という関係性のしがらみの中で悩んできたことを感じました。

「今でも私は母が嫌いだ」と書かれていましたが、これまでのことを考えれば、無理もないことだと私は思いました。
優しくされたり、これまでとは違う態度を取られるほど、あなたの心に深い葛藤の影を落とすように思います。頑張っても許せないのは当然ですし、許さなくていいんじゃないかと、私は思っています。
そんなことを書きながら、ずっと憎しみや怒りの感情を抱え続けることも、疲弊してしまうように思いました。大切な父親を亡くしたいま、母親に対する感情もまた行き場を失っているのではないかと感じています。

父親は、あなたにとって唯一の安全基地であり、心の支えでもあったのでしょうか。
父親のそばに女性の存在を感じたときは、見捨てられてしまったような寂しさもあったのではないかと想像しました。
病気の発覚はお互いにとってとてもつらい瞬間だったと思いますが、子どもたちの元へ戻り、最期の時間を穏やかに過ごしていたことを文章から受け取りました。
あなたも、忙しい日々の合間を縫って、楽しいひとときを過ごしていたことを感じています。
私自身も、あなたとは違う経験ですが、大切な人を事故で亡くしたことがありました。なので、「正直今でも父が居ない現実に自分も消えたくなる」との言葉に、思わず当時の自分を重ねてしまいました。
もう二度と会えないし、どこにもいないんだ・・という現実をしみじみ実感するときは、ただただ虚しく、心が張り裂けそうな瞬間だと感じています。

孤独感や寂しさは、たとえパートナーがいたとしても、埋めがたいことがあるように私は思います。文章を読んでいると、父親とパートナーを比べて落ち込んでしまうことが書かれていました。
本音を話せず、違和感を覚えながらも、これまでギリギリのところで人とのつながりを保ってきたあなたにとっては、離れるという決断が難しく感じるのも自然なことだと私は思います。

自分の苦しさは誰とも比べられるものではないので、何一つ失礼なことはないと、伝えたい私がいます。それぞれに悩みや苦しみがある中で、「どう生きているか」という問いを、私もみんなに聞いてみたいと思いました。
私自身は、「愛」というものをきっかけにして考えてみるならば、「愛することができる(できた)自分がいる」ということをどこかで信じながら、生きているかもしれません。
また、お返事を書きながら、歌手の甲本ヒロトさんが言っていたことを思い出しました。彼は「いなくなったことは大したことじゃない。“いた”ってことがすごいんだ」と語っていました。
「私は限界に近いかもしれない」という最後の言葉には、心配を寄せつつも、もがきながら自分の身に起こってきたことをどうにか受け入れようとしている苦しみの声のように感じています。
またよかったら、お話を聞かせてほしいなと思っています。

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