子供の頃から「なんで生まれたんだろう?」と思っていました。
周囲から浮くことが多く、ドジだグズだと言われて育ち、唯一出来ることで褒められはしましたがその落差により、クリエイティブ関係の仕事を目指しましたが簡単になれるものではありませんでしたし、実際なれませんでした。
今はそのアシスタントをする仕事をしていますが、自営なのでとても不安定です。
こうしなければ生きてこれなかったことは分かっていますが、もっと周囲や学校に馴染む努力をしていれば普通の人生で安定した暮らしが出来たのではと妄想してしまいます。
でも所詮妄想だし、出来なかったのですが。
今はなんとか生きていますが、いつかこの仕事もできなくなって詰むのではと戦々恐々としています。
今この瞬間を生きろと言うアドバイスはよく聞きますが、怖いものは怖いです。
できたら、私のことは作らないでほしかった。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
いつまでたってもこの世に馴染めない
感想2
「いつまでたってもこの世に馴染めない」、この一文が頭の中を何度も反芻して、どこか自分自身が世の中や社会に対して感じている感覚を重ねながら読ませていただきました。
私自身、クリエイティブな部分を多少なりとも問われる仕事に細々とですが関わっているので、その道で生計を立てきることや続けていけるかの将来的な不安も含めて少なからず近しい気持ちを持っています。
なにかと同質性を求められたり、均一化を図られるなかで生きていく上で、投稿者さんが周囲と同じように無理に自分を当て込むよりも、唯一自分が持っているもので進んできたことには大変な苦労が(今も)あったのだろうと思っています。
それはいくら自分の得意を伸ばそうとしてきたといっても、経済的なこと、将来的なことなどを考えた時に不安になるのは自然な気がしますし、戻れない時間に思いを馳せて考え込んでしまうのも、現状をよりシビアに自分で振り返るならなおさらのことのように思えました。
しかしながら、(私自身もよく振り返って考えることなのですが)たとえば過去に戻れたとして、当時自分が出来ていなかった努力をするとしたときに、出来る・出来ないはまた別として、「自分が本当にやりたいのか?」と問われるとそうは思えなさそうと考えてしまう私がいます(個人的な意見ですみません。。)。それで言うと、投稿者さん(もちろん私も)は浮いてしまったり、周囲とのギャップを感じるなかで、自分の持っている他者にはない可能性を信じてリスクをとって生き抜いてきたことのように感じられました。
所謂、「普通」や「一般的」がチラつく瞬間はあると思いますし、その影響はとても大きいものだと思います。私自身は自分に活路を与えてくれたものとして「無くなってしまったら仕方ない、でもそれまでは悩みながらでも向き合えたらいいな」ぐらいの気持ちでいています(何度も自分事をすみません。。)。それと同じように、投稿者さんにも不安や怖さだけではない“気持ちの面での今とは違う向き合い方”のようなものが見つかってほしいと思いますし、信じて進んできた自分自身に疑問や不安を感じなくていいこれからがあってほしいなと思いました。
感想1
唯一褒められたあなたの長所が、あなたにとっては周りからも自分でも、あなたを唯一肯定できることだったのではないかなと思います。「それがなければ生きてこれなかった、なんとか生きている」という言葉の中にも、そんな気持ちを感じます。
自分の得意を伸ばし生き延びてこられた一方で、金銭的な不安定さから「自分の良さ」を肯定できなくなっていることもあるのかなと思いました。それは自分の自信や誇りというものが社会的な物差しによって剥奪されてしまう、息苦しい現象のような気がしました。
馴染むことや、安定した暮らしという響きの中には、安心を求めているあなたと、あなたがこれまでに抱えてこられた不安が見え隠れするようにも感じられました。ガヤガヤとした喫茶店などに行くと、まぎれる安心感みたいなのがあって、その安心感の正体はなんなんだろうなあと思考を巡らせています。(引きこもりの時は喫茶店やスーパーでもどこでも浮いていると感じたことがあります・・。)
将来に対する不安感(特にクリエイティブ関係の苦労)を分かち合いながら、あなたの得意を奪わせない、それから得意だけでなく、あなたの生きづらさや素のあなたを肯定しながら、またお話を聞いてみたい思いです。