経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

情けない

母と二人暮らしの56才男性です。母は2年ほど前から認知症になりました。慣れない介護と認知症の対応、年齢的な将来の不安。友達も話し相手もいません。貯金もない、給料も安い。それでも、去年の年末「来年はなるべくネガティブな考え方は控えよう、少しでも前向きに考えよえ、卑屈になったり、僻みっぽくならないようにしていこう」と思っていた矢先の大晦日の朝、母が左半身麻痺になってしまいました。もちろん世の中には沢山自分なんかより、辛い思いをしてる人がいるのは、わかってる。だからといって「それじゃあ俺は大丈夫だ!」なんて簡単には思えない。
自分は産まれてから、成長ホルモンの病気で大人の身体になっていません。童顔で子供の頃からよその学校の生徒からは、好奇な眼差しを浴びせられて来ました。そのうち人と接するのも苦手になり、ずっと孤独です。ずっと自分は欠陥品だと思って生きて来ました。こんなの良い年した大人が情けないってのはわかります。自立出来て無い。これから先なんのために生きて行くのか、わかりません。8つ年上の兄が居るので、自分が死んでも兄が母を面倒を見てくれます。将来的に孤独死が待ってるだけです。でも、死ぬ勇気が無い。かといって生きる勇気もない。疲れました。すべて投げ出したくなる。

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
大人の身体になれないというマイノリティ性を小さい頃から背負ってきた中で、せめて少しでも強くなろう、誰にも頼らずめげずに自立しよう、というように自分を奮い立たせて生きてきたのかなと私は感じました。大人の身体になれないというのは、単に少数派であり理解が広まってないだけでなく、不利や不利益もあったかと思いますし、好奇の眼差しを浴びるのは年齢的にもしんどさがとても大きかっただろうと私は思います。また、今あなたの置かれている状況は辛いものだと私は感じましたし、前向きになれないことや大丈夫と思えないのは自然なことだと思いました。
あなたが死にトリをどう見つけて、経験談を書いて送ってくれようと思ったのかはわかりませんが、つらい気持ちと付き合う上で、誰かに語ること(自己表現すること)は有効な一つの方法だと私は思っています。どんな年でも自分だけで自分を支えるのは難しくて、人間は頼ることでやっと自分を支えていけるかいけないかくらいの力しかない、弱い存在(支え合いの上でしか成り立たない存在)だとも私は感じています。
過去のことも含めて、言えなかった苦しさをたくさん抱えてきたあなたを想像しているので、後ろ向きなことをまずはもっとたくさん言ってみてもいいんじゃないかな…これまで足りなかっただろう分その機会があってほしいな…と私は思いました。

感想2

投稿を読んで、まず「なんであなたが情けないと思わないといけないんだろう」と思わずにいられませんでした。情けないという言葉の中には、ままならないことへの苦しさや、報われなさ、それからそういう状況の自分への自嘲みたいなニュアンスが含まれている気がします。あなたが頑張ってきて、それでも自嘲しなければいけないなんて、おかしい気がしていました。
「だからといって「それじゃあ俺は大丈夫だ!」なんて簡単には思えない。」という一文には、あなたと状況は全然違う人間でありながら、個人的にとても共感することがありました。世の中にたくさん大変な人がいることも事実だし、それも総合点評価じゃなくて、さまざまな要素の中での大変さがあると思います。でも、そもそも別に苦しさやしんどさ、不安は相対的なものだけでは決まらず、自分自身や自分の環境の中にある部分も少なからずあると思います。
これまで好奇の視線を浴び続けたら、人に接することがしんどくなるのも自然だと思います。その中で頼れる人がいないまま、さまざまな不安と具体的な困りごとに翻弄されながらあなたはなんとかここまでの日々を過ごしてきたのだと感じました。あなたが「大変だ」って言える状況、時にはネガティブに過ごせる状況、疲れてしばらく投げ出していても、だれかが代わりに負担を背負ってくれるような状況があって然るべきだと思います。世の中の自己責任論的な風潮にはこの状況を「情けない」と言わせてしまう力が働いているような気もします。でもその中でこうやって経験談を書いて送ってくれたことには、とてもありがたい気持ちになりました。あなたの生活に役にたつなにかを私は持っていなくて申し訳ない気持ちですが、ここで、あなたの言葉を受け取った人がいる、ということだけは伝えたいと思っています。

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