経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ひきこもり当事者家族として

今日カウンセリングで泣いてしまった。
理由は、姉の引きこもりからの社会復帰に向けての支援が負担に感じてしまっているということに関して自分を責めてしまったから。

姉は今まで約8年間引きこもり、彼女自身は葛藤をたくさん抱えて苦しんだと思うし、今も苦しんでいると思う。
その気持ちは痛いほどわかる。

ただ、自分が家族として支える中で何度も心が折れてしまう瞬間があり、誰にも相談できず抱え込み苦しんでいる時期もあった。
それを何度も乗り越えていまここにいる。

そんな彼女が今年の夏と冬、短期短時間のバイトでもやってみようと動き出した。その背景には、私の言葉もひとつのキッカケになったという。「家庭のためではなくていい、自分自身の楽しみが増やせるようにお金を稼ぐくらいの気持ちで少しやってみたら?」という言葉が印象に残ってくれていた。「ただ家にいないで働け!」という強い言葉では人は動けないことを知っている。それが引きこもり当事者にとって負担になる重い言葉だということを。
だから彼女に届くよう、繊細に沢山言葉を選んで彼女の前向きな気持ちを引き出したかった。
もちろん私の手柄と言いたいわけではない。ただ人にはキッカケが必要で、それがたまたま私の言葉や彼女のカウンセラーさんの紹介などによって、彼女を少しずつ今年になって動かしたのだと思う。

応援したい気持ちもがんばっているよと認める気持ちも沢山ある。
それと同時に、車が必要な地方に住んでいる身なので送り迎えが必要になったり、少しだけとは言え働きに出ることで彼女の心のケアも配慮も今まで以上に必要になってきた。
それを私は負担に感じてしまっている部分が最近大きくなって、頑張ろうとしてる姉に対してそんな気持ちを抱く自分のことをとにかく責めていた。

いまは私自身も心の病気で休職中ということもあり、今月いっぱいの姉の短期バイトは快く応援し、送り迎えだって喜んでするべきなのに、と。
私の担当カウンセラーさんも、「いまはやってあげたらいいんじゃない?いまは〇〇さんも(私)休職しているし。何が不安に感じてる?」って仰っていて。そう思うのは無理もない。それくらいのことは家族ならやってあげるべきだと自分でも分かっていたし、いままでも当たり前のようにやってきたのだ。

決して出来ないわけではないし、やろうと思えばできる。ただ最近は、自分の仕事のこともどうしていこうとか、心のケアもしないといけない中で無理が重なったのか、8年かかってここまで来たという積み重なった想いが溢れてカウンセラーさんの前でぼろぼろ泣いてしまった。

8年間は思ったよりも短くあっという間に過ぎた気もするが、その中で何度もぶつかり、自分自身も心の病気も患い、それでも彼女が社会から孤立することのないように向き合い続けようとしてきたように思う。翌日早朝から仕事に出かけなければならない時に夜中に話し合いをしたことも一度や二度ではない。彼女が不安定になったときのケアも、仕事で疲れている日だって必要があれば相談相手になったし、出かける際の送り迎えもしてきた。

彼女がどれだけもがいてきたかも分かる。それを応援してあげるのが家族としての役目と思う。でも、同じように家族ももがいてきたという事実もたしかにある。

人間は誰しも完璧ではないから、いつだってご機嫌よくハッピーになんていうのは難しいとは思う。
ただ、当事者と家族にしかわからない痛みとか苦しみとか悲しみはやはりある。

自分のことを責めてしまう気持ちや、それくらいやってあげないで心が狭いじゃないの、と自分に対して嫌悪感を持ったりすることもあると思う。周りに相談しても伝え方次第では全ては伝わらないし本人じゃないと分からないこともあるから。家族なんだからそれくらいやってやれよと思われても無理ないよなということだってある(カウンセラーさんには私の伝え方が拙かっただけで、決してカウンセラーさんが私の気持ちを理解してくれなかったとかではない。)。

私の体験談が、誰の目に留まるかはわからないけれど、これは私の気持ちの整理として書いたことでもあるが、同じように苦しい気持ちや、引きこもっている家族を応援したい気持ちと自分自身のことでいっぱいいっぱいになる狭間で揺れてしまうことがある当事者家族の方に、ひとりじゃないよと伝えるきっかけになったらとも思う。そんな大それたことではないけれど、うまく言えないけれど、家族にしかわからない痛みもきっとあるから、その気持ちを責めないで当たり前だしあっていい気持ちなんだなと思ってもらえたらと、切に願います。
私自身もじぶんのことを責めてしまう時はあるけれど、こればっかりは、自分自身のことなら気合いで何とかできる!と思っても、相手のことはその人自身も変わるぞ!前向きになるぞ!って思えるようになるためには一歩一歩進んでいくしかないことで。時間もかかるし、その中で家族もがんばらなきゃと分かってても頑張れない日があるのは当然だし、私たちだって人間なので、そう思って、自分のことを責めずに、なんとか少しずつ自分の機嫌をとりながら、関わっていくことが大事なのだと思う。
消えてなくなりたいくらいつらい気持ちなる日も、乗り越えて生きてきてる自分やその家族のことを誇りに思って生きていけたらと願う。

もし同じ気持ちの方が読んでいたら、一歩ずつ自分の気持ちも大切にしながら進んでいきましょう。完璧ではないけれど、向き合っている時は苦しいかもしれないけれど、それを責めなくていいのです、と伝えたいです。
ひとりだと思った時には、ここに来て気持ちを書き出してみたり、同じ体験をしている方の投稿を見てみたり、仲間を見つけてみたり、行政に家族教室をしているところもあったりします。
同じ空の下、共に進んでいきましょう。
どうか悩んでいる方が自分の心を軽くしながら、過ごしていけますように。
引きこもり当事者の方も家族の方も少しでも穏やかに過ごせますように。

感想1

そこにどんな背景や事情があるのか具体的にはわからない部分も多いですが、あなたの家族の中では、この8年間お姉さんの引きこもりということが、大きなメインのトピックになってきたということなのかなぁと想像しています。また、その前提としては、「家族が家族の責任を持たなければいけない」というような、家族主義的な価値観があなたやあなたの家族に強く襲いかかってきたということなのではないかとも思いました。
私は本来であれば、家族がほかの家族の責任をとったり、ほかの家族のために動いたりする必要はないはずだと思っています。家族というくくりはあれども他の人であって、人は誰でも自分をまず優先する権利があるはずで、その上での人間関係だと思うからです。でも現実には家族以外に関われる人がいなかったり、制度や仕組みも不十分だったりして、家族でどうにかする以外に方法が見当たらないことが多いと思います。

これは自分語りなのですが、私自身は発達障害があるのですが、幼い頃から、発達障害と精神障害があり認知に独特なところがある父親の通訳やメンタルケアをしていました。それは周りの誰よりも私が父の思考スタイルがわかって、察知することができたからで、本来であれば父はもっと制度や仕組みの中で大人の専門家などの力を借りるべきであって、子どもの私に負わせるものではなかったと思います。ただ実情そのような形で家族がギリギリ成り立ってきた部分もあると感じています。(ちなみに現在は父親とは絶縁して基本的にまったく関わっていません。)

読んでいて思ったのは、お姉さんや家にいることや仕事をしていないこと自体が問題なのだろうか?ということでした。このサイトを運営している法人ではさまざまな年代の、さまざまな困難を抱えている人と関わることがありますが、その中では「仕事をすることが当たり前」という感覚自体が本当ではない気がすることがよくあります。私自身も休職や離職を何度もしていて働けない期間は多かったし、いまもフルタイムのような働き方は無理なのですが、いやいや、それのなにが問題なのかと思うことがあります。労働基準法には働き方を押し付けるようなことは書いてないはずなのに、いつの間にか人はこれが普通と思い込んでしまっている気がします。
その中で問題なのは、働き方のモデルが少なくて、さまざまな生き方に対応しない社会の窮屈さにあるように思うのです。その中で自分のことではないのに、人のことを勝手に評価するぶしつけな眼差しがあることが問題であるように思います。

とは言っても、あなたが「引きこもり」という言葉でまとめて表現していることの中にも、実際にはあなたの家の中ではさまざまなしんどさや困りごとがあったのかなぁと想像します。

この経験談の中では、姉を主語にした文章がとても多いのが個人的にかなり印象的でした。また姉のことを「彼女」と書く独特の距離のようなものも感じて気になりました。もちろん、それがテーマで書きたいことだったからという部分は大きいと思うのですが、あなた自身も心の病気を抱えていると書いてありますし、いろいろな大変さがあるだろう中で、それを差し置いても「姉」を中心としたあなたの生活があるのかもしれないと感じました。全体的にとても冷静に客観的にあろうとしていることが伝わってきて、それはあなたの能力であろうと思うと同時に、そういう立場に居続けなければならなかった部分もあるのかなと思いました。これまで家族や姉と無関係な自分だけの自分でいる時間を十分にとることもむずかしかったのではないかと想像しています。

私はだからこそ、あなた自身を主語にしたしんどさや苦しさのことをもっと聞いてみたいと思ってしまいました。あなた自身が感じたこと、たとえば休職に至った中で考えたことやさまざまなわだかまりなど、あるいはその中で自分なりに楽しめることやほっと過ごせる時間など。もちろん、強引に自己開示をさせたいわけではないのですが……。
あなたがお姉さんのことで自分を責めたり、我慢したりしてきていることを感じて、あなたをそっちのけにしなければならない日々があったのではないかと想像するほど、お姉さんや家族との関わりの中でのあなただけではなく、あなた自身の声や思いを聞いてみたいと感じたのでした。

感想2

読んでいて、相手(お姉さん)のことを、とても真剣に考え、丁寧に寄り添っている方なのだと伝わってきました。相手のために自分がどうしたらよいか、家族としてどう振舞うか、言葉の選び方にも気遣っている。この丁寧な気遣いは、あなた自身が痛みを知っているからこそ出てくるものなのではないか、と気にかかってしまいました。
よく”想像力”と言いますが、その想像の材料は経験と知識で、実際に自分が体験したり、誰かの経験を見たり聞いたりしないとわからないところはあると思います。その想像力があなたに働いているということ…それはあなたが丁寧に相手を知ろうとしている故なのか、あなた自身の経験なのか…。私の杞憂に終わればよいのですが、あなた自身も心の病気で休職中とのことですから、(本当は休みたいし助けを求めたいけれど、そんなこと言い出しにくい…)と感じていないかなと、本当に余計なことかもしれないですが、考えてしまいます。

家族を8年支える(まだ終わっていない)と考えると、それだけで壮絶なことだと思います。あなたがお姉さんにしてきたように、朝まで話を聞いたり、仕事の送り迎えをしたりなど、具体的なことがたくさんあって、時間、お金、体力気力が現実に消費されていきますから、応援したいという気持ちだけではどうにもならないものでしょう。苦しく感じたり、負担に思うときは勿論あるでしょうし、素直に苦しいと感じるのは、自然なことだと思います。前向きに頑張っている人が一度も俯いたり立ち止まったりしないわけもなく、頑張れば疲れるのも当たり前のことです。丁寧に向き合おうと思えば思うほど、よりたくさんのエネルギーが必要になってしまうと思います。やりたくないわけではないしできないわけでもないけれど、少し頑張らないといけないことって沢山あると思っているのですが、それが回数を重ねるうちに大きな負担になってしまうことって、あるんじゃないかなと想像しています。

私は今、兼任で複数の施設に所属しています。うち一つは利用者間の関係性がとてもよく、職員会議で議題に上がる問題も特にありません。その施設の利用者さんの一人としばらくお話をした後に、実は不満に思っていることがあると打ち明けてくれました。一通り話し終わったあとに、こう続けていました。「周りでそんなこと言っている子だれもいないから、こんなこと思うのは私だけで、私は性格悪くて心狭いのかなって思って言い出せなかった…」と。あなたのお話とはケースが違っていますが、繋がる部分があると感じています。良い環境、良い関係であろうと努力するのは大切だけれど、和を乱さないために弱音や不満さえ吐き出すことのできない関係はさすがに不健康なのではないかと思います。自分の声を無視しない、否定しないことを私は大事にしたいですし、その声を受け止められる場所(職員)でありたいと思っています。
あなたが大切な家族として支えていきたい気持ち、それは尊重したいと思いますが、どんなときも相手より”まずは自分の安全が第一”であれたら…とも私は考えています。

当事者家族の方にはもちろん、どんな関係においても共感できるところのあるお話なのではないかなと思いました。「自分だけじゃないんだ」と感じて気持ちが楽になる方がいると思うと、それを言葉にしてこうして共有してくれることに大きな意味を感じます。投稿ありがとうございました。

一覧へ戻る