経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

18年生きてしまった記念に。

拙い文章で申し訳ありません。

私は今年、未成年ではなくなりました。
親に縛られない喜びと、無条件に大人から守ってもらえる機会が無くなる絶望とが混じった複雑な気持ちです。
その記念と言っては暗すぎますが、誰も言ってくれない誕生日のおめでとうの代わりに、少し自分語りを聞いていただくプレゼントを自分に渡そうと思います。押し付けで、申し訳ないですが、読んでいただけると嬉しいです。

私は、恵まれた家庭で育ちました。
ご飯が毎日出てきて、欲しいと言った物は何でも手に入って、両親がいて、駅近な家に住めて、病院に連れて行ってくださって、塾に行かせていただけて、服も買ってくださって、ゲーム機もあって、幸せだと思います。
けれども、私の両親は少し感情のコントロールが不得意で、ついつい本音が出てしまったり、子どもに八つ当たりしてしまうことがあります。もちろん、私が悪いことをしてしまったことが元凶なので、両親が悪いわけではありません。けれども、少し辛かった。
恵まれていて、多少の辛いことしかなかったから、本当の地獄みたいな環境・感情で生きている方々に混じって相談するのが怖くて、誰かに言うことができません。

そんな私の思い出のほんの一部を聞いていただきたいです。

5歳から8歳の頃は、暴力や暴言のオンパレードでした。ひどいことを言われて、殴られて、食器が飛んできて、外に出されて、と言った躾と虐待の境目の行動をされてきました。今でも、よく思い出してしまい、何もないのに体が震えます。
でも、それらの行動は、歪んではいるものの、両親が私のことを大切に思ってくださっている証拠でもあるので、大切な思い出です。
蛇足ですが、一番酷かった言葉は「産まなきゃよかった」です。あと、飛んできて一番痛かったのは、チンジャオロースが乗った熱々のフライパンです。麻婆豆腐じゃなくて良かったです(笑)

8歳から12歳くらいの頃は、2つ下の弟が荒れだしたこともあって、空気のように扱われていました。声をかけても無視で、目すら合わせてもらえないのが少しさみしかったです。
私は、勉学に励むことしかできませんでした。
良い子でいようとも頑張っていましたが、いつも空回りしていました。ランドセルに死ねって書かれたり、5人に「いじめられた」と言わせてしてしまったり、非人道的な行動ばかりでした。そんなんだったから、級友にハブられ、先生に毎日怒鳴られていました。
けれども、スクールカウンセラーさん(SCさん)が定期的にいらっしゃって、一緒に遊んでくださっていたので、幸せではあったと思います。SCさんが教えてくださったことの一つに、「子どもを愛さない親はいない」というのがあって、両親からの歪んでいるけれど大切な愛を忘れずに済みました。よく頑張ってくださった両親とSCさんに感謝です。

中学生になってからも、両親は相変わらずの態度で、学校では問題ばかり起こしていました。2人をいじめて、2年生で不登校になりました。学校に行っていなかった時は、家と塾の往復でした。登校していた時よりも楽しかったです。
3年生に上がってから、高校受験で内申点が必要ということで、登校していました。その頃から解離が増えてきていて、気づいたら寝てることが多かったです。努力の甲斐なく、全然、内申点をもらえなかったですね。

高校生になって、両親との関わり方が上手になり、勉強中にもお構いなしで両親から話しかけてくださるようになりました。
その反面、解離がひどくなり、学校で倒れてしまうことが増えました。今は、もともといた頭の中の仲間たちと私で代わる代わる生きています。記憶は飛び飛びになってしまいますが、一人で生きていた時よりは幾分楽です。あ、一応、病院で心理士さんとつながっているので、支援はあります。あくまで他人なので助けてはいただけないですが、気を紛らわすことができています。ありがたいです。

最近は空に吸い込まれそうになってしまうことばかりですが、地に足つけて頑張れていると思います。
青々とした空を飛ぶことができるのですが、あと一歩を出す勇気がないのと、世の中には面白いことがあることを見つけてしまったので、きっとこれからも行き場のない気持ちを抱えて、生きるのだと思います。

私は大学に合格できれば、家から出ることができます。一時はどうなることかと思いましたが、無事、大学の費用などの金銭面は両親が全額負担してくださります。もう二度と関わりたくなくて、奨学金を借りたかったですが、収入制限で借りれるところが無かったです。しょうがないけれど、「スンッ」ってなっちゃいますね。

未来への希望とか、そういうものはありません。私はきっと何者にもなれないです。誰かを助けたいとも思うけれど、それをできるほど今の私は強くないです。心理士にも看護師にも養護教諭にも、たぶんなれないです。傷つくのも傷つけるのも怖くて、人とうまく関われないから。

ひとつだけ願いが叶うなら、誰でもいいから、私の頭を「頑張ったね」って撫でてほしいです。18年言えなかった欲しい物の代わりに。

最後に、ここまで読んでくださり、ありがとうございました。

みなさん、お幸せになってください。

感想1

両親に対する気持ちがとても複雑に入り組んでいる印象を受けました。「恵まれた家庭」「幸せ」などというハッピーなワードも登場するのですが、読んでいる私には幸せそうに響いてきませんでした。面と向かって人と話していると、その人の話している言葉と感じていることが矛盾していることはよくあります。「怒ってないから、怒ってないって!」と言っていても、表情やトーン、声の強さで明らかに怒っていることが伝わってくることがあります。書いた文章では表情も声の大きさも抑揚もないので、背景にある気持ちや思いが伝わることは面と向かって話すよりはかなり材料としては少ないと思うのですが、あなたの文章からは書いてある内容と背景にある気持ちのギャップのようなものや複雑に入り組んだ感情の存在があるように感じたのです。ただ、それは私のフィルターのせいかもしれません。私の中ではあなたが恵まれたか家庭であると理解していること、幸せだと思っているのであれば、そう思うことはそのまま受け止めたいと思うのですが、一方であなたが経験した家庭における扱いを見て、「いやいや、それは恵まれているとは言えないですよ」とか「幸せそうには見えないです」と思ってしまっているからなのかもしれません。
そうはいっても、ひとの心はそもそも矛盾や相反する気持ちを内包していたり、時によって変わるものです。あなたはきっと「恵まれた家庭」で生まれ「幸せ」だけれど、「少し辛かった」経験をして、両親は自分に対して歪んではいるが愛があると思うけれど、そんな親から離れることを望み、できれば金銭的な援助も受けたくないと思っている…それらは矛盾するところがあるにせよ、すべてあなたの中の真実なのだろうと感じました。ただ、矛盾するものを抱え続けるためには心や思考はしばしば引き裂かれるのだろうと思います。たびたび解離を起こすのは矛盾する本音を何とか引き受けようとするあなたなりの生存戦略であると私は思いました。
あなたは「きっと何者にもなれない」と書いていました。その背景に「何者かになりたい」という確かな願いを感じています。生存戦略を駆使し、自分を保つだけでも精一杯で何かになれるイメージはできないかもしれませんが、あなたの経験談を読んだ私はそうした揺らぎや混乱を含めて何者かになろうとしていると思いました。何者かになるというのは、分かりやすく、心理士になるとか看護師になるとか、養護教諭になるということだけではないと私は思います。あなたが、親から離れることで本来の力を取り戻し、何者かになることを願っています。頭は撫でられませんが、ためらいなく「ここまでよく頑張りましたね」とお伝えしたいです。また、気持ちを届けたい時にはいつでも訪れてください。待っています。

感想2

あなたの経験を読ませてもらって、個人的にはこれを「多少の辛いこと」と片付けなければいけない状況ってどれだけ大変なのだろう? と思いました。暴力や暴言がオンパレードの日々の中では、あなたはそれを日常として日々を送らなければいけなかったのだろうと思いますし、そこはいかに物質的な豊かさがあろうと、安全も安心も確保されていない環境と言えるのではないかと思っています。
また「愛しているから」といった精神論的な言葉が免罪符かのように使われることはいまだに多いですが、個人的には感情と行動はまずは切り離して考えるべきものだと思います。だって、「愛」があろうとなかろうと暴力は暴力で、暴力を問題視することは「愛」を疑うこととは関連がないように感じるからです。
そんなわけで、私はもしあなたの親が躾だと本気で思い、大切だからやったと感じていたとしても、暴力は暴力だと思いました。また逆に、あなたが「辛い」とか「嫌だ」と感じたとしても、そのことがあなたの親の思いの存在を肯定するものでも否定するものでもないと思いました。(あなたの感情はあなたのもので、親の感情は親のもので、それぞれ別々のものだからです。)

危険な環境から物理的には逃げ出せない中で、あなたが生きのびるためには様々な工夫とサバイバルが必要だったのだろうと思いました。それはたとえば解離だし、「非人道的な行動」と書いていることもそれに当てはまるのではないかと想像しています。解離の状態は生活する上でのさまざまな不便や大変さがあると思いますが、「一人で生きていた時よりは幾分楽」という言葉を読み、あなたがあなたなりに自分を運用してきたことを感じました。

そういえば、18歳になった記念に自分語りを書いて送るのは、私はかなりいい試みだと思いました。あなたがあなたなりの時間を生きて、自分なりの日々のつなげ方を模索しているように感じたからです。それもあなたの持つ力なのだろうなと思います。私は20歳のときに「あ、生きてしまったな」と思ったことがあります(当時成人が20歳だったのもあり)。その後も死にたいとか、こんな様子では遠からず死ぬだろうとか思いながら、あ、生きてしまったなをくりかえしつつ30代なかばまで何者でもなく生きています。「何者」かについての話や「誰かを助けたい」という思いの中には自分を許したいとか、納得したい気持ちもあるのかなぁと思いました。
これが適切な言い回しかわからないのですが、全体を通して配慮に満ちた文章だと感じました。それは読むかもしれないだれかへの配慮であるし、もしかしたらあなた自身が日常的にしている生存技法としての配慮でもあるのかなと思いました。個人的には経験談は拙くてもまとまっていなくてもいいと思うし、押し付けでもOKだという気持ちがあります。でもこう書いてくれていたあなたは、読み手にどう受け取られるかいろいろな可能性を考えながらこの文章を書いていたのだろうなと感じました。
この文章には軽やかさがある気がして、それもあなたの心だとは思いつつ、それだけじゃなくても、軽やかじゃなくても大丈夫だよ、さまざまなあなたがいて大丈夫だよと言いたくなってしまいました。これまで、あなたがずっと頑張ってきたことはたしかで、だからこそ、頑張らなくていい場所、気を抜いていられるところにあなたがいられる時間も、頑張りたい時に頑張れる場所も増えてゆくことを願っています。その中で気が向いたら、いつでもまたあなたの言葉を聞かせてください。経験談の投稿ありがとうございました。

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