経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

止められない自傷行為、止められない死にたい気持ち

社会人で普通に働きながらメンタルクリニックに通っています。うつ病、躁鬱、ADHD、ASDはグレーゾーンという診断がされています。
今回はなぜ死にたいのかの整理も込めて徒然なるままに書き起こしたいです。
一度前職は適応障害からのうつ病で、2ヶ月ほどの休職を経て、別の職場に越しました。
普段は完全リモートワークで、私はもともとずっと家にいられるタイプのため1ヶ月外にでないなんてことはざらです。そのせいか日光を浴びておらず最近はもっとうつ病の症状がひどくなっている気がします。休日はベッドから起き上がれなかったり、シャワーすら一週間に一度も入らなかったり、とにかく最悪な環境です。まともに生活もできないくせに一人暮らしをしているので、ゴミ出しもできなくて、金もなく、ひたすら毎日死んだように仕事をしています。生活環境が悪いせいか体重もかなり増加してしまって、数値的には平均体重らしいのですが、運動もしないせいで太くなる体、さらに元々醜かった私の顔はますます醜くなり、とても目も当てられません。
私にはインターネットの友人がいます。その人は感情の波が激しく、少しのことで激情して口をきいてくれなくなったり突き放してきます。私はその友人のことが好きです。でもいつ怒られるのか、いつ突き放されるのかわからなくてビクビクしている節があります。一度突き放されると私の価値が地の底まで落ちたような感覚になりますし、何より冷たい態度がメンタルを確実に削っていきます。私がどうしようが、謝ろうが、何をしようが、どうでもいいって感じです。私は人の気持ちを図るのが苦手なので、何をして欲しかったのかわかりません。毎回、私はまた間違えたんだ。だめなんだ。って自分の腕を切り付けて自分を罰しています。
友人の些細な棘のある言葉は私の脳に刺さってとても苦しくていたいです。でも人の気持ちもろくに理解できない、多動衝動の塊な私がダメなんです。
仕事中の些細なミスでも涙が止まらず、しゃくりあげながら仕事をするせいで効率は最悪です。
よく「ADHDは天才肌が多い」だなんてフォローされますが、私のような才能もない凡人のADHDなんてただの人間以下です。
私はなぜ生きているのでしょう。人の気持ちもわからず、失言だらけで、仕事もミスだらけ、部屋も片付けられず、シャワーだって浴びられない。どうしてこんなふうに育ってしまったんでしょう。どうして私は当たり前ができないんでしょう。もう死なせてください。もう終わりにさせてください。助けてください。

感想1

あなたが1人で何とか自分のできる範囲のことを必死でこなしている切実さが伝わってきました。そして、あなたは努力不足やだめなのではなく、明らかにかなりの無理をして1人で頑張っているように私には思えました。これは、あなたの中には自分を責める気持ちがあるように感じましたが、私はただただ、心からのねぎらいの気持ちを抱きました。おそらく、ここまでしても働かないと生活ができない危機感や、焦りなどの大きなプレッシャーがあるのだろうと感じました。このような状況で日々過ごしているのなら、人生を終わりにしたいと懇願する気持ちになるのも無理はないと思いました。
また、友人との関わりもあなたを随分と消耗させているように思えました。友人関係は契約を結んでいるわけではないので、ある程度、お互い様で支えあう対等な関係だと私は思っているのですが、あなたと友人との関係はあまり対等ではないように感じました。ただ、対等ではなくても友人としてその人が必要である場合もあるので、一概には言えないのですがあなたの負担にはなっているようで気がかりでした。
率直に思ったのは、メンタルクリニックに通い、診断も複数ついているので、何かしらのサポートを受けてもいいのではないかということです。障害者差別解消法ができてから、何らかの障がいによって、生活や仕事などの社会生活に困難がある場合は可能な限り配慮をすることが制度として位置づけられました。また、日常生活を手伝ってもらうサービスや所得を補うような仕組み(年金)などもあるので、あなたの状況なら利用できるものがありそうな気がしています(すでに、活用していたり、申請したけど使えなかったなどの経験があれば、役に立たない情報になってしまいますが、念のためにお伝えしたくなりました)。
もしも、そうした支援に興味がありましたら、身近な相談支援事業所に相談してみてください。

感想2

私はASDの診断を受けている人で、周りもADHDやASDが結構いるので、シャワーや片付けが難しい話は、「あるよね…」と深く頷きました。発達の偏りがあると、自分のメンテナンスを自分だけで行うのがすごく大変な印象が私にはあって、何か外部の補助やサポートがあった方がいいのだろうと感じています。ただ、どんなものがあったらいいかは人それぞれだし、そんなに世の中にサポートが溢れているわけでもないし、難しいなあと悩んでしまいます。ちなみに知り合いだと、訪問看護を利用している人がわりといるかも、という感じです。できる・できないは、「自分の力だけでできる」だけが「できる」ではなくて、「適切な相手に助けを借りてできる」も、一つの「できる」だと私は思っています。

インターネットの友人とのエピソードは、反射的に出てきた感想をそのまま書くと「ビクビクしてまで関わり続ける価値のある相手っているのか…?」という無神経なものになるのですが、そういった話ではないのは理解しています。好き嫌いは大切なもので、基本あまり変わるものでもないですし、何かを好きになれるのは貴重なことだとも思います。
ただ、友人と関わる行為は一種の自傷行為にもなっているのかもしれない、という印象も少し受けました(もちろん、自傷行為としてだけの関わりというわけではないです)。また、区切りが薄く続いていそうな日常の中で、ひとつの新鮮な刺激という価値も、友人との関わりにはあるのかな…とも思ったりしました。

どうして当たり前ができないのか?という問いには、私は「当たり前の基準が高すぎるから」という側面を強調したいです。最近、教育や支援の専門家からも、そういった話を何度も聞きました。といっても、それもすぐに変えることは難しいかもしれませんが、徐々に変えていきたいと思います。
経験談の投稿ありがとうございました。

お返事

実は去年にも一度、利用させていただきました。その時も親身になってくれて、色々と考えてくださったのだなあという温かい言葉をいただき、その言葉に少し救われていました。
もちろん、優しい言葉だけでは現実はどうにもならないので、自分で頑張らないといけないのですが、それでも1人じゃないことを知れるので、とても、とてもありがたいです。
感想を書くのは本当に大変なことだと思います。辛い気持ちばかりぶつけて、申し訳ない気持ちもあります。それでも私は死にたい気持ちを少しその言葉で和らげてもらいました。
本当にありがとうございます。

感想へのコメントを少し書かせてください。
現在は自立支援で医療費が月5000円までとなっています。5000円の出費が痛いのは変わりませんが、
何もないと1万円以上するような薬ばかりなので、
その時点でかなり楽になりました。今は診断書をもらって、精神障害者手帳の申請を考えています。
もし受理されたら、税金等でメリットがあるとのことなので、その分ゴミ屋敷となった部屋の修復に充てられるかもしれない、と考えています。しかしまだ狸の皮算用なので、期待しないで、自力でお金を貯めて部屋をなんとかしようと思っています。
友人に関しては、「ビクビクしてまで〜」がもっともですし、他の友達にもそう言われています。私も何度ももう離れようと思いました。しかしいわゆる(共)依存のようになっていて、離れ難い状況になってしまっています。いつか、自分の気持ちを大事にしようときっぱり離れて忘れられるようになりたいです。
ありがとうございました。

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