10代、高校時代にメンタルを崩して受験勉強ができなくなってからなんとか安定した職にこぎつけましたが、ずっと気分が重たく、ここ1、2週間で一番ひどかった頃に戻ってしまったかのような、つらい、何も手につかない、でも仕事はしなきゃ、職場の人に気づかれたくない、空元気、死にたい気持ちが強いです。病院にもかかっていますが一向によくならず、カウンセリングを勧められましたが以前に嫌な思いをしたこと、弱みをピンポイントでつつかれて立ち直れなくなるのが怖い上に何を話せばいいかわからず拒否してしまいました。
私って楽になりたいんでしょうか、なりたくないんでしょうか。楽になった自分が想像できない。小さい骨壷に入っているんでしょうか、フローリングを腐らせているんでしょうか。何がしたいんでしょうか、自分にもわからなくなってしまいました。今はただただ存在をなかったことにしたくて、自分が今までとってきた選択、環境、意思表示、全部が間違いだったなんて認めたくなくて、つらいです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
楽になれない
感想2
苦しかった10代と向き合い、立て直したはずの今にもかつての苦しみのような何かが投稿者さんを取り巻いているように読ませていただいて想像していました。
受験勉強が出来なくなるほどにメンタルを崩したことはそれだけでも相当な心労があったかと思いますが、そこから「安定した職」に就くまでにはかなりの困難があるように思います。それは、“立ち位置としては”以前と比べて上向きと言えるのかもしれませんが、10代という多感な時期に崩したメンタルの状態が0よりも下振れていたとするなら、より大きく心や身体に負担をかけながらそこに至るまでを形作ることでもあったのかなと私には思えました。
そういった「どこか無理を効かせたような状態」だとしたら、社会や仕事というプレッシャーの多い環境でより大きく削られてしまいそうな気がしまいますし、「一番ひどかったころに戻ってしまったような」ともあるように、どこか過去の辛さがループしてしまうような感覚を覚えてしまうことになるのかもしれません。
楽になりたいのか、なりたくないのかが自分でも分からなくなっている中で、過去に経験したカウンセリングでの出来事には(的確かどうかはまた別として)もしかしたら糸口となりうるものもあるのかもしれません。ですがそれは、今の自分の状況やメンタルによって当然受け止められるものかどうかも変わってくるように思います。それで言うと、今は過去や現状に対して自分の中に何か答えを持つことよりも、ゆっくり整理しながら少しずつ向き合ってみるような過ごし方があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。
感想1
なんとかということだったので、働いている中でも辛いことがありながらもそれを誤魔化したり我慢しながらやってきたのではないかと想像していました。また、学生時代のこともあって、今度こそ、仕事こそはちゃんとやらなくては…そんな気持ち(というよりは社会からの圧)が重くのしかかっていたなんてこともあるのかもしれない、とも感じています。
弱みを見せることも、それをピンポイントでつかれることも、弱っているときほど難しく、そして負荷の大きなことのように私は思っています。(私もしんどいって思います。)そんなときほど、誰かと一緒にどうしたらいいかわからないをちょっとだけ考えてみたり、わからないなかを漂ってみたり、なにか結論づけるわけでも、しっかり向き合うでもない時間があってもいいのかなぁ…そう思っています。死にトリはそういう場所としても使えるので、よければまた、なんて思いました。