経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

クズの戯言

私は、大学を卒業間近に中退したあと、アルバイトしながら通信制大学に通い今春卒業し、今は大学院への入試に向けて準備しています。フリーター生活はそろそろ10年になろうとしています。
でも、これはただ表面を取り繕っているだけ。今の実態は半引きこもりです。バイトしているとはいえ、最近は日数も少なく、かなり親の脛をかじっています。入試への焦りばかり募るなか、最近は勉学への意欲も失せかけ、ぼんやり遊んでいることも多いです。金がなさすぎ、働くのが嫌すぎて、親の金に手をつけてしまい、母に呆れられたこともあります。ここしばらくの私の様子を見て、とうとう親は私に愛想を尽かしました。
書いていて情けなくなります。
でも私は最初からこんなクズではなかったはずです。

私は父と母のもとに、地方で一人っ子として生まれました。父は、知的ではあるものの、気弱さと悪い意味での大胆さがありました(太宰治を想像してください。ちょうどあんな感じです)。母は現実的な性格で、精神的にとても強い人です。3人でそれなりに平穏に暮らしていましたが、私が10歳になるころ、不倫相手の女性と暮らすため、家から出ていきました。本当の理由は言わずに1人になりたいと言って去りました。父はモテたのでしょう、その後も何人かの女性を渡り歩きましたが、結局誰とも上手くいかずに、酒の飲み過ぎもたたって早死にしました。今年のことです。

残された私と母は生まれた土地に居られなくなりました。地方では母子家庭の肩身は狭いからです。親戚の女性ひとりを頼って上京しました。母は専業主婦でしたが、苦労して介護職につき、必死に働いてくれました。お金はありませんでしたが、私のため最大限気を配ってくれました。
私も頑張りました。勉強です。母子家庭であることを蔑まれたり、地方出身であることを小馬鹿にされたりしていました。バカにしてくる奴は、テストの点数でねじ伏せるのです。私はほとんどの人を黙らせました。先生たちは私をちやほやするようになりました。でも、私のことが気に食わない人は必ずどこかにいました。荒くれ者の男子です。叩かれたり、雑巾を投げつけられたり、あげくレイプするぞと脅されたりしました。結局中学卒業まで誰かが私をいじめました。父のこともあり、今でも何となく男性は信じられないです。
一方、女子とも全く仲良くできませんでした。話が合わないのです。どう頑張っても私はアイドルやバラエティ番組に興味がもてません。常に一緒に行動するのも辛かったです。転校前はちゃんと友だちはいたけれど、何かが変わってしまいました。多分、変わったのは私と周囲両方です。
高校は公立の進学校に入学し、いじめがなくなりましたが、結局卒業までクラスでは「ぼっち」でした。浮いた存在でした。

基本的に私は学校が大嫌いでした。転校後1年半ほどは不登校でした。
高校に入り、ようやく部活が楽しいと思えましたが、部長に就任したことの責任感や、部内の人間関係のゴタゴタで徐々にそんな気持ちも潰れていきました。だからといって、文武両道を謳う学校のため、勉強にも、行事にも手を抜くことは許されません。よく「二兎を追って二兎を得よ」と言われたものです。おまけに進路も決めなければならないのに、ずっと目の前のことに追いまくられていて、何をしたいかもよくわかりませんでした。

疲れ果てているのに、とても不安なのに、相変わらず弱音を吐ける友達はいない。
私は精神的に母に頼り切っていました。
一方で、母を楽にしたい。男に苦労させられた母を見ていたからこそ、私はそうなりたくない。その気持ちが強くありました。大学に行きたくても行かせてもらえなかった母は、貧乏から抜け出すには学歴を手に入れるのが一番だと言いました。
私は漠然と弁護士になることを考え始めました。弁護士になればステータスが得られ、金にも困らないだろうという極めて安易な動機からです。大学生が就職氷河期だったという世相も後押ししました。法律には全く興味がありませんでしたが。
本当は、今私が大学院で専攻しようとしている分野にとても興味を持っていました。しかし、比較的職の安定が乏しいという理由でその道に進むことに尻込みしてしまいました。不安から逃げたかったのです。

この頃、もう私は現在のようなクズになり始めていたと思います。いろいろなことに意欲を失い始めていました。

成績は降下していましたが、高校をどうにか卒業しました。実は、興味のある分野の大学には現役で合格していました。でも私はそれを蹴って一浪し、法学部に進学しました。母は好きな分野に進めと助言し、浪人を止めてくれましたが、私が言うことを聞かなかったのです。金やステータスや不安に囚われ、自分の興味を犠牲にしました。私がバカだったんです。

入学後、私は後悔しました。熱心に法曹や公務員を目指す同級生の中、さっぱり法律に興味がもてません。すぐに落ちこぼれました。ずるずると時間が過ぎ去り、卒業間近になりました。何をしたいかも分からないまま慌てて就活しましたが、エントリーシートが書けない。人と関わるのが怖いぼっちの私は、「ガクチカ」どころではありませんでした。なんとか最終面接まで進んでも、こんなぼんやりした学生を採用してくれる企業などありません。不景気ではないのに、何社も落ちました。
企業説明会で、人事担当に「俺の目は確かだから、お前らが使えるか使えないかなんてすぐ分かる」と暴言を吐かれたこともあります。超能力者ですかね?
面接でセクハラじみたことを言われたこともあります。
大学の単位も危なくなってきました。このままだと卒業できません。
何もかも嫌になりました。私は大学も就活もやめてフリーターになりました。母を泣かせました。結局は許してくれました。

良い親をもったと思っています。

もともと興味のある分野の通信制大学に入り、週4-5日バイトして学費を賄い、家にもお金を少し程度入れながら勉強し、5年かけて卒業しました。
途中、バイト先が経営不振でクビになったり、パワハラを受けたりしました。

本当に働くのがいやです。人が怖いのです。職場では苦手な人の相手もしなければなりません。それに、自分の失敗にも萎縮してしまうのです。指摘されるとずっと凹みます。

もともと買い物でストレス解消をする傾向がありましたが、バイトがクビになったときに貯金が底をつきました。ストレスが溜まると何か買いたくなります。親の金に手をつけてしまったのはその時です。母を呆れさせました。

最近は入試が控えていることを口実に、勤務を減らしました。
大学院入試は大学までとは勝手が違います。研究のプランがしっかりしていないと合格できません。未知の世界です。研究計画を立てようとしてはどうすれば良いか分からなくなり、ずるずると時間だけが過ぎました。興味はあるのに…現実逃避したくてぼうっとしたり、勉強が手につきません。

通信制大学の同期はとっくに大学院に入学した人もいるのに。私は何をしているんでしょう。
いつも最大の理解者だった母が私の自堕落ぶりに心底腹を立てました。謝っても許してもらえません。当然ですよね。
お前を見ているとあの男(父)を思い出すと言われました。そう言われて当たり前です。
頑張らなければならないのは分かっています。でも心が折れかかっています。生きるための努力を全てやめて、何もかも投げ出したいです。

感想1

投稿読みました。読みながら感じたのは、“だらしなさ”や“怠け”として語られがちな状態の奥に、長い時間をかけて積み重なった緊張と消耗がはっきりとあなたの中に存在しているということです。自分を“クズ”と表現されていますが、経緯を追っていくと、むしろ一貫して周囲の期待や不安、現実的な制約に応え続けてきた疲弊が溜まっていっているように私は思います。
お父さんが突然、父親としての役割を手放した(適切な表現ではなかったらすみません)こと、その後の早すぎる死。母子家庭として住み慣れた土地を離れ、経済的不安と社会的な視線の中で生き直さざるを得なかった幼少期…そこで身につけた“勉強で黙らせる”、“成果で自分の居場所を確保する”というやり方は、生き延びるためには合理的だった一方で、安心して弱くなる(なれる)ということを奪われていったようにも思えます。いじめや性暴力を匂わせる脅しの経験、男性への不信感、人と距離を取らざるを得なかった学校生活は、「人が怖い」という現在の感覚と、決して切り離されたものではないのかなと私は考えてしまいます。
進路選択についても、ただの判断ミスというより、“貧困から抜け出すには学歴と資格”、“安定しない道は選べない”などという、母子家庭で育った人が内面化しやすい社会的圧力が強く影を落としているように私には感じられました。興味よりも不安回避を優先し、ステータスや安全そうな選択をしてしまうのは、浅はかさというより、この社会が繰り返し教えてきた生存戦略によるもののように思います。その結果、関心の持てない分野で自分をすり減らし、就活では“自分を語れる(表現できる)もの”を持たない者として切り捨てられ…なんだかこの社会の自己責任論の冷たさを改めて痛感させられています。
通信制大学を卒業するまで続けた時間や、働きながら学費を賄った過程も、「何もしていない」「逃げている」だけでは説明できない粘り強さも確かにあるように私は感じました。ただ同時に、働くことそのものが恐怖と結びついてしまったことで、アルバイトも学業も常に消耗しやすいと思いますし、その中で買い物という形で気持ちをつなぎとめようとしたことや、お母さんのお金に手を出してしまった自己嫌悪も、追い詰められた末の自分を何とか保つための対処なのではないかな…と。
また、お母さんとの関係が今、最大の支えでありながら最大の痛点にもなっていることも、あなたの苦しさを際立たせているのだと思いますし、“理解者だった人から見放された”という感覚は、生活基盤そのものが揺らぐ感覚に近いのではないかなと感じます。お父さんと重ねて見られたことは、努力不足への叱責以上に、存在そのものを否定されたような痛みを残したのではないでしょうか。(違っていたらすみません)
文章全体を通して、「生きるのをやめたい」というより、「もうこれ以上、自分を立て直す責任を一人で背負い続けることに耐えられない」という地点に来ているようにも私は勝手ながらではありますが、感じたところでした。努力や選択を個人の問題として扱われ続ける社会では、こうした疲労や苦しさは往々にして可視化されることはなく、「頑張れない自分」への嫌悪だけが内側に残ってしまうよな…と、だからといってじゃあどうしたらいいんだろうなと思考がぐるぐるとしている自分がいます…。
何もかも投げ出したい気持ちは無理もないことだと思いますし、それは決して無責任さの証明ではなくて、これまで背負ってきたものの重さを示しているのだと私は思いました。また気持ちが行き詰ってしまった時や、感情を外に出したくなった時は死にトリに声を届けてほしいですし、答えを出すことは簡単ではないと思いますが、“無理に頑張らなくても(努力しなくても)生きられる社会の在り方”について機会があれば一緒に考えたいなと思いました。

感想2

わたしは「クズ」も、「戯言」も好きなので、タイトルに惹かれて読ませていただいたところがあります(その理由は一番最後に)。

読み進めていくと、あなたの真面目さというものをもどかしい気持ちで感じとりました。太宰治のような父を反面教師に、また苦労している母を楽にさせてあげたい思いで勉学に励んだことは「あなたが今以上に頑張る」ことに拍車をかけたことだったのではないかなと思います。

「二兎を追って二兎を得よ」とんでもない言葉だなあと思いました。特に10代20代の頃には、「二兎を追う者は一兎をも得ず」を痛感したり、「一石二鳥」を経験することの方がずっと自然な気がします。家庭環境や学校の風潮から知らず知らずのうちに、小さな背中に多くのことを背負ってきたのではないかなと想像しています。

人間関係においても、傷ついてきた経験も多いようで人間が怖いと思うのも自然なことのように感じる一方で、「指摘されるとずっと凹む」のはあなたのどんなところから来るのだろう・・。過去の傷つきからくるものなのだろうか、はたまたプライドが傷つくのか・・。

自分自身をクズだと表現する一方で、どこかそれを認めたくない思い(理想と現実のギャップのようなもの?)があるのかなとも感じています。もう少しあなた自身についてお話を聞いてみたいです。

紆余曲折しながら、それでもやりたいことがあなたにあって、それに向けて前進しようとしていることは私はとてもうれしいなと感じます。もしそのことに興味があるなら大学院に行こうが行かまいが、興味を持ち続けてほしいなと思います。

フレデリック(レオ・レオニ著)という絵本をご存知でしょうか。バカにされることや、評価されないことに不安になる時に必ず思い出す絵本です。クズも戯言も好きだというのは、私が本当は役に立たない者であり続け、戯言ばかりを言っていたいと思うからです。(油断すると評価されたいし、ついつい何かの役に立とうともしちゃうんだけど。)もし読んだことがなければ是非読んでみてほしいです。

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